ところが、継続的に取材をしていくと、それとはまた違った幽霊の話を見出すことがある。
たとえば、拙著『遺体 震災、津波の果てに』(新潮文庫)の舞台となった遺体安置所に集まった被災者の女性についてお話したい。
彼女の名前を溝口恵子さん(仮名)という。震災が起きた時、恵子さん結婚を間近に控え、釜石市の老人施設で働いていた。施設は内陸にあったために助かったが、鵜住居地区にあった実家は流され、両親を失うことになった。婚約者(後の夫)も津波で家と仕事を同時に失った。
私が初めて恵子さんと会った時、彼女は自分が不思議な体験をしているのだと語った。
「震災後しばらくして、寝ている間に意識のないまま外へ出ていくようになったんです。自分じゃまったく覚えていないんですが、車を運転して瓦礫だらけの実家の跡地に行くんです。もちろん、真っ暗で誰一人いません。そこに何時間も立ちすくんでいる。何度か夫が探しに来て助けてくれました」
彼女は、まるで死んだ両親に呼ばれているのだというように語った。
また、こんな話もした。
「震災で亡くなった人の霊が私にとりつくことがあるんです。真夜中に私がいきなり子供になって『僕は海の底にいるよ。助けて』と泣きだしたり、中年男性になって『津波が来た! 助けてけろ!』と叫んだり。
あと、寝ている間に、大きなお墓をつくっていたこともありました。段ボールだとか、割り箸だとか、そういうものでお墓を作って戒名まで書いているんです。その字がまったく自分の字とはちがう」
彼女は震災の直後から1年以上も、こうした言動に苦しんでいた。自分ではまったく記憶のない中で、こういう奇行をしているのだという。
私はそれを聞いて、被災地で広まっている霊に関する話を思い浮かべたし、恵子さん自身も「自分は被災者の霊につかれている」と語っていた。
しかし、である。
震災から6年近く経った昨年の秋、彼女からまったく予期しなかった話を聞かされたのである。予期しなかった話とは、霊だと思っていたものが、心の傷が生み出した精神疾患による異常行動だったことが判明したのだ。
実は彼女には、誰にも言わなかった秘密があった。それは震災後に夫(震災時の婚約者)から激しいDVを受けていたことだ。
震災後、夫は家と仕事を失ったことで心が荒み、家庭内で暴力をふるうようになった。酒を飲み、気まぐれに恵子さんを罵った。赤ん坊が生まれると、今度はその子にまで手を上げた。子供が甘えて「遊ぼう」と近寄っただけで頭を壁に打ち付けたのだ。
恵子さんは震災のショックに加えて、日常生活の暴力でどんどん精神に異常をきたしていった。そしてある日パニックを起こして自分がどこにいるのかわからなくなり、子供を抱えて街をさまよいはじめる。そんな彼女を保護したのが、学生時代の同級生だった。恵子さんは大学病院の精神科へ運ばれて入院することになるが、そこで診断されたのが次の病気だった。