こういった記事の中には、軍艦島で働いていた朝鮮人労働者たちが故郷の災害に救済金を送り、故郷の住民たちを感激させたという記事(「内地に行った労働者が旱害救済金を送る」)もあるのだが、(証言によると)給料も受け取れなかったという朝鮮人たちが、どうすればこのような寄付をすることができたというのだろうか?
この他にも1940年代の記事を見ていくと、福岡の勝田炭鉱に行き、1年で1400円を稼いで故郷に帰った朝鮮人の話(1941年)、筑豊炭田で故郷に1000円を送金、800円を貯金した朝鮮青年の話(1944年)などがある。
これらの姿は現在の韓国人の持つ「奴隷労働者」のイメージからはあまりにもかけ離れている(1941年の1400円は現在の金額で500万円以上の大金だ)。
私は、新聞の記事もまた100%の現実を伝えているものだとは思わない。伝達者の感情、あるいは先入観が影響している可能性もあるし、ましてや戦時期である。マスコミが軍部の監視、統制下に敷かれていたことは周知の事実である。
ただ、「新聞記事」には酷使されたり、殴打されたりする労働者たちの姿、つまり「暗い側面」も紹介されているのに、(韓国で取り上げられている)「証言」には内地に行きたがっていた労働者、大金を送金した鉱夫、金持ちになり戻ってきた労働者などの「明るい側面」はほとんど存在しない。
証言の中の朝鮮人労働者たちは皆「被害者」としてのみ存在する。このような中で「証言」だけを論拠にこの問題を語ることが、客観的事実の伝達ということができるだろうか?
過去に対する評価を一致させるべきとは思わない。意見は多様であることの方が望ましい。しかし、過去に対する一方的な「記憶」だけをもって、「現在」を生きている人々の怒りや悲しみを煽るような行為は止めるべきではないだろうか。