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【社説】

政治と世論を考える<2> 五・一五事件と民衆心理

 五・一五事件。一九三二(昭和七)年五月十五日に官邸にいた犬養毅首相を海軍将校らが暗殺したテロ事件に対し当然、当時の新聞も厳しい論調で向かった。

 「日本新聞通史」(春原昭彦著)は「かなり大胆にファッショを排撃した。とくにその論旨がきびしかったのは、東西の朝日、新愛知(現中日)、福岡日日(現西日本)」と記している。

 新愛知(中日新聞)の社説は、第二、第三のテロの出現を予測している。そして、「武器を所有するものが、赤手空拳にして何らの防備をも有せざるものに対する場合、それは武力を有するものが勝つに決まっている」と記す。

 だが、それは「物質的な勝利」にすぎないのであって、「人間の意思が暴力でどうすることもできない」と書き進む。そして-。

 「いわんや立憲政治がピストルの弾の十や二十のため、そのたびにぐらぐらしてたまるものではないということは、常識のあるものはだれだって知っている」

 大正デモクラシーの息を吸った立憲政治はそれほど強固だと考えられていたのだろう。だが、この事件後、政党内閣の慣例はもろくも打ち破られてしまう。

 もう一つの異変は世論の動向である。国民は何とテロの実行犯に同情的に変化するのである。三三年になると、軍法会議が始まり、新聞に裁判記事が載った。

 「東北地方の飢饉(ききん)を聞いて、国軍存立の為にも一時も早く現状打開の必要を感じ…」など被告の心情が報じられると、国民は将校らに清新さを覚え、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となった。

 嘆願書の数、実に百万を超えたという。将校らの行動は「義挙」だと国民は感じたのだ。その変化はやはり新聞報道に起因するところが大きかったようである。

 判決はこの国民感情に応えたように軽いものとなる。首相暗殺でも刑はたった禁錮十五年。しかも三八年には仮釈放である。

 立憲政治はピストルの弾でぐらつかなかったのかもしれない。でも、そこに熱せられた世論が入ると、予期せぬ化学反応を始める。暗殺を義挙だと変換する世論に支えられていれば、暴力は大手を振って闊歩(かっぽ)し始めるのだ。

 今年七月に亡くなった犬養毅の孫道子は当時小学生。母親は米を買いに行っても売ってくれなかったそうである。遺族をも白眼視する、倒錯した群集心理はいつの世も抱え込んでいるのではないか。

 

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