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「われわれの民族教育は正当」悪夢一転、チマチョゴリ女子も感涙…独裁称賛に公金支出を許した朝鮮学校訴訟判決の中身
衝撃事件の核心更新「よっしゃ!」。傍聴人があちこちで立ち上がり、悲鳴のような歓声を上げた。チマチョゴリ姿の女子生徒らは涙を流し、その場で抱き合った。厳粛な法廷が、一瞬にして祭りの会場のような騒ぎになった。朝鮮学校を高校授業料無償化の対象とすべきか否かが争われた訴訟で、大阪地裁は7月28日、無償化に含めるよう義務づける原告側勝訴の判決を言い渡した。原告側の同様の請求を全面的に退けた同月19日の広島地裁判決とは正反対の結論になった。北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)による「不当な支配」はない、というのが大阪地裁の判決理由だが、朝鮮学校の教科書には独裁体制を称賛する記述も並ぶ。そうした教育に公金を出す必要性があるのか。北朝鮮による拉致被害者の家族はもちろん、国民世論ともかけ離れた疑問だらけの判決となった。
省令改正は「違法」
大阪訴訟の争点は大きく2つ。
(1)朝鮮学校を無償化法の対象から除外した文部科学省令の改正(平成25年2月)は適法か
(2)朝鮮学校が無償化の基準を満たしているか=北朝鮮や朝鮮総連からの「不当な支配」を受けていないか
(1)の点に対する大阪地裁(西田隆裕裁判長)の判断は、以下のようなものだった。
そもそも省令は、法秩序の上で、無償化法よりも下位に属する。法律で詰め切れない細かい部分を補うのが省令の役割だ。
その上下関係を踏まえて改めて無償化法の趣旨を見てみると、そこには「経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与することを目的とする」(1条)とある。
ところで、自公政権は朝鮮学校について「拉致問題に進展がなく、朝鮮総連と密接な関係にあることなどから、現時点では国民の理解が得られない」(当時の下村博文文科相)として無償化から外した。
こうした経緯から大阪地裁判決は「教育の機会均等の確保とは無関係な外交的、政治的な判断に基づく」改正であり、省令に許された範囲を超えているとして「違法、無効」と結論づけた。
一方で判決は、この省令改正が朝鮮学校を狙い撃ちにした差別にあたるという原告側の憲法14条(平等権)違反の主張には、何の言及もしなかった。影響の大きい憲法判断を避け、そのはるか手前の省令の役割という法秩序の話でお茶を濁した、という気がしないでもない。
もとより無償化の原資は税金だ。ましてや義務教育でもない、高等教育レベルの話である。その使途について政治的、外交的判断があって当然というのが、一般国民の通常の感覚ではないだろうか。
「民族教育」の名のもとに
争点(2)に関する判断は、まさに疑問符だらけだ。
北朝鮮本国や朝鮮総連との関係について、地裁判決は「朝鮮学校では、北朝鮮の指導者に敬愛の念を抱き北朝鮮の国家理念を賛美する内容の教育が行われており、この教育に朝鮮総連が一定程度関与している」と認定した。
さらに朝鮮学校の教科書の記述についても言及した。
《敬愛する金正日将軍様を、国防委員長として高く仰ぎお仕えしていることは、わが祖国と人民の大きな栄光であり幸福である》(社会の教科書)
《祖国の人民は誰もみな社会的人間の本性的要求と社会主義の理念に合う政治思想生活、物質経済生活、文化道徳生活を享受しており、これは、人民大衆中心のわが共和国の本質的優位性を明らかにみせてくれる》(同)
《朝鮮でヤンキーたちはヒトラーさえもはるかに凌駕(りょうが)した》(現代朝鮮歴史の教科書)