の可能性を、ようやく考え始めている。
クラウドファンディングあたりからかな、そうかぁ、と思い始めた。
クラウドファンディングあたりからかな、そうかぁ、と思い始めた。
まだまだ生兵法だが、僕は昨日某所でこれを「おすそわけ」に例えた。
作りすぎた料理や要らないお中元などを、近所に配ってまわる。
余剰な富は、分配されるべき「信用」があれば、分配されるのだ。
つい最近も、妹の知り合いがスピーカーを手放すので、要らない?と言われたが、余りに高価そうなのでビビって辞退した。
ままあることなのだ。
それを長らく、富の集中を目的に排除、抑制してきたのが、他ならぬ資本主義だ。
「働かざるもの食うべからず」と言って大衆を騙し、一方的な使役によって富を集中させた。
それは今も続いている。トリクルダウンは起きない。それは資本家・投資家への信用があまりに大きく、現場・労働者への信用があまりに小さいことによるものだ。
国も素直に金融政策でなく、財政出動すべきなのだ。
ちなみにVALUには「ニート」というカテゴリーがある。
斬新だなぁ、と思うが、ニートにだって価値はある、その人のパーソナリティや発言、ネットでの活動、Twitterの書き込みひとつにも価値がある、という考え方なのだろう。
僕らはいくらでも「信用」でお金を落とす。
あの子可愛いなぁ、今モノにならなくても、チャンスがあるかも知れないから、おごっておくか、とかね。
クレジットカードがすでに「信用」で成り立っているものなのだから、その先は見越して良いのではないだろうか。
共産主義にはできなかった「資本主義の超克」は、あるかも知れないね。
そしてそれが、一枚ナンボで働かされ続けたアニメーターに「本来」の価値を付与する契機となるのだ。