まずは戦前の日本政府・警察当局に聞いてみよう。

昭和七年中に於ける 出版警察概観
内務省警保局

第三編 出版物の内容傾向
第一章 安寧関係出版物の傾向
第二節 新聞紙
第二項 右翼新聞
昭和七年に於て発行されたる右翼国家主義系の新聞の主要なるものは約二十七種の多数に上って居る。而して之等右翼新聞の内容は、之を全体的に見れば「日本精神に基づき、我国体に則る天皇の絶対主権を認め、天皇中心、皇室中心の政治組織の確立、君民一致、共存共栄の社会組織の実現を期し、以て益々皇威を発揚し、日本民族の世界的発展を期せんとする」の根本精神に於て何れもその規を一にして居るものである。併し、その指導原理、主義主張に於ては各々その背景たる所属団体、政党のそれに依り主観的相違があり、各々、夫々の立場を擁して所謂日本主義を強調して居るのであるが、之を大別すると純正日本主義を固執するものと、国家社会主義を標榜するものとの二種類に分ける事が出来る。・・・
 而して最近の国際的、国内的の諸情勢及ファッショ団体の著しい擡頭により之等右翼新聞は最近頓にその勢力を増加し、従って、その発行部数及創刊の数は日に加はりつつある状態にあり、前年に比し、出版界に於ける著しき新現象を示して居る。
而して之等右翼新聞は、前述の如く、何れも夫々政党又は所属団体を背景として、各々その立場を擁して夫々の指導原理、主義、主張を叫んで居るのであるが根本に於ては、何れも日本精神に基き、所謂日本主義を強調し、以て天皇中心、日本国体に則した一大革新を眼指して居る根本精神に於ては何れも一致して居るのである。従って彼等の終局の目標として主張して居る処は、新日本の建設、昭和日本の革新であり又その極端なるものに至っては暴力革命を煽動して居る。
 殊に最近の諸情勢、国際的諸関係に動かされて著しく擡頭し来れるファッショ的諸激流は之等右翼新聞の発展、活動に大いに刺戟を及し、之等の論調主張は著しく活発となり、中には論調筆端極めて過激不穏に走り、或は議会制度を否認し、錦旗革命を強調し、若くは暴力を肯定煽動する等安寧秩序を紊乱せんとするもの益々多からんとする傾向にある。殊に、血盟団、五・一五事件の突発を見るや、彼等は何れも之等の被告を以て国士、英雄扱ひにして筆を極めて讃美称揚し、以て暴力革命を示唆煽動するの筆致甚だ過激不穏なるものがあった。・・・

第三節 理論雑誌
第二項 右翼理論雑誌
 昭和七年中に発行された国家主義系右翼理論雑誌の主要なるものは約三十種の多数に上って居り、今後とも日にその創刊の数を増して行く傾向にある。
 而して之等右翼理論雑誌は其の所属団体政党又は其の色彩論調よりして国粋主義乃至純正日本主義の色彩を帯びるものと、国家社会主義乃至国民社会主義の色彩を帯びるものとに大別し得られる。

・・・併しその主張を大体大別するときは、前述の如く国粋主義乃至純正日本主義を標榜するものと国家社会主義乃至国民社会主義を標榜するものとに分ける事が出来る。従って右翼理論ざしの内容傾向も以上の二者に大別して、之を説明すると、
(一)国粋主義乃至純正日本主義の色彩を有する右翼理論雑誌は、その内容より観察すると、要するに熾烈なる天皇信仰と皇民意識をその思想的指導精神とするものにして、此の種類に属するものには、先づ「日本思想」「日本主義」「原理日本」等の如く、或は建国の神宣に基き、或は古来の日本精神「しきしまの道」、明治維新の復古精神の徹底を主張する等、単なる外来思想反対、又は漠然たる祖国精神礼賛の域に止り、従って思想的には未だ明治時代の国家思想、復古主義を脱却するに至らざる、専ら国粋主義協調の者がある又一方に於ては、「回天時報」「日本主義評論」「明徳論壇」等の如く、更に進んで一国一家の精神、全体主義に則り、天皇中心主義の政治による社会制度の改革、金融並に産業の奉還、重要生産業の国家的統制等を勇敢に唱へるものがある。就中、満洲事変を楔機として之等諸雑誌は一致して対支対外強硬政策、対満政策の確立を強調し、之に伴ひ内政上の不満も端的に発露し、或は政党政治否定、議会主義の否認又は資本主義打倒を叫び、或は五・一五事件等の直接行動の是認、錦旗革命の扇動等安寧上不穏記事を掲げ、注意、禁止処分を受けるものが甚だ多い。就中、生産党系のものに著しく、その論理過激を極めて居る。

次に、
(二)国家社会主義乃至国民社会主義を標榜する右翼理論雑誌の内容傾向を窺ふに、此の種のものは前述の日本主義系統のそれに比し比較的にその指導精神も確然たるものがあり、又其の視野も広く理論生前たるものあるを見る。
 殊に昨年来の我が国のファッショ運動の核心をなしたものは実に国家社会主義運動であった。抑も国家社会主義運動なるものは既に数年前より存在して居ったもので、即ち高畠素之を首領とする一派の提唱した国家社会主義運動がそれである。今日国家社会主義運動を唱へるものは殆んど皆高畠の影響を受けて居ると見ることが出来る。併し国家社会主義を説く分子も種々雑多で、其の中には或は従来右翼と目されて居た者もあり、或は又極左から転向したものもあり、従ってその理論中には未だ不明瞭な点、矛盾する箇所が尠からず存し、その統一、体系化がみられなかったが、最近欧州諸国に於ける此種運動の著しき昂揚に刺戟され、又特に上海事変、満洲事変及国内の政治経済情勢に動かされ、此の種理論は次第に明確性と具体性とを帯びつつあり、又一方純正日本主義系統のものも最近は次第に国家社会主義の色彩を帯びて来るものが多くなる傾向にある。
 今此の派の所説の内容を見るに、先づ国家社会主義は国家主義と社会主義が結びついたものであり、又国民社会主義は国民主義と社会主義が結びついたものであって、その主張する所のものは何れも、国家主義乃至国民主義を基礎として、日本主義の発揚、天皇政治の徹底を期し、資本主義を撤廃して社会主義を確立し、私有財産、政党政治議会政治の否定、生産手段の国有化、国家統制経済の実現を期し、以て国家生活を保障し、一君万民の国民精神に基く搾取なき新日本の建設を目指す行動的国民運動である。而して、その日本主義の闡明、皇室国体の擁護発揚といふ根本精神に於ては、前者の純正日本主義一派と軌を同うするものであるが、只前者は資本主義に代るものは必ずしも社会主義のみに限らずと主張するに反し国家社会主義派は、資本主義に代るものは必ず社会主義ならざる可からずとし、以て一国社会主義確立を何処までも主張する点に於て前者と著しく異なるものである。然れども、その反共産主義的主義は前者と何等変りはない
 尚、国家主義、国民主義といふも、此の両者は単に観念上の相違に過ぎざるもので、国家主義は個人主義に対立して国家至上主義、国家第一主義を主張し、国民主義派国際主義に対立して国民精神、民族精神を強調し、民族の発展を目指すものであるが、何れも国体の発揚、祖国日本の擁護を唱へて居る。故に両社は結局表裏の関係にあるものにして、その現実の政策に反映する場合には殆んど同一のものである。従って国家社会主義と国民社会主義も亦観念上の相違に過ぎず、その理論の実現政策への発現に於ては結局殆んど同一に帰するものである。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915504/106
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915504/133

「極秘」印
調第二四号 昭和十年一月
国内情勢調査資料第三輯 右翼運動の現勢
外務省調査部

凡例
一、右翼運動の目標とする所は単に国内問題のみに止らず一般外交問題にも直接重大なる関連(皇道宣布、大東亜結成を主張す)を有するものにして右は最近同運動がロンドン条約及満洲事変を契機として激化し来りたる事実に鑑るも将又海軍々縮問題に関する右翼各派の態度に徴するも極めて明瞭なり。而已ならず右翼運動は左翼運動と異りて(イ)実行力極めて大なること(ロ)軍部と密接の関係を有すること(ハ)其の性質上無下に之を弾圧する能はざること等の理由により運動今後の動向に対しては外交当路者としても常に細心の注意を払はざる可らざる次第にして是れ茲に本調書を作成したる所以なり

前編 右翼運動概観
第一節 序説
一、我国に於ける右翼運動は明治維新以後の欧米物質文明謳歌時代に之に反抗して起りたる所謂国粋保存主義に濫觴するものなるが近年急速に発展し来りたる右翼運動なるものは寧ろ世界大戦直後に於ける「デモクラシー」全盛時代に源を発するものと見るを適当とすべし。
即ち大戦直後澎湃として起りたる民主主義及自由主義思想は社会主義乃至共産主義等と共に我国各階層殊に青年学生層を席捲し勢の趨く所終には国体の基礎をすら危殆ならしめんとするが如き情勢となりたるを以て当時此等外来危険思想を排除して国体の擁護国粋の保存とを実現せんとするの運動期せずして擡頭し来りたり、是れ今日の右翼運動の濫觴を為すものにして同運動が当時主たる目的を社会主義の撲滅に置きたるに鑑み仮に之を反社会主義運動時代と称するを得べし・・・
アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
レファレンスコードB10070404800

最近、右翼左翼の定義で欧米流の「大きな政府小さな政府」の類の分類法を持ち出してくる人がいるが、そういう人はたいてい右翼あるいは保守である。それは偶然ではない。彼らは天皇どうこう国体どうこうから話をそらしたい、そらすことで右翼イメージの改善を意図していると考えられる。あるいは自分が右翼だと認めたくない、左翼への憧れ、といった思いもあるのだろう。

次の当局資料もやはり右翼は天皇どうこう国体どうこうを主張する人だとしている。
島村一「高等警察概要」大阪府警察練習所 昭和19年

第二編 各論
第一章 特別高等警察
第三節 右翼関係
第一款 右翼運動の取締
一、右翼運動とは如何なるものか
 右翼とは左翼に対する反対語にして、右翼運動とは国家発展の為に現状を改善せんとする運動の総称である。
 国粋主義、農本主義、日本主義、国家社会主義等の愛国主義運動である。
 註 我が国体と絶対に相入れざる共産主義無政府主義社会主義等の主義運動を総称して之を左翼運動と呼ぶ

二、右翼運動に対して何故取締を行はねばならぬのか
真の右翼運動者に就ては其の精神に於て元より吾人警察官と何等異る点はないのである。即ち至尊の御為に、皇国の為にと云ったその盡忠の至誠に於ては寧ろ同志といった感なしとしないが、併し 如何に其の目的は正しく又貴く是認さるるものであってもその手段に於て国法に違背し治安を紊るに於ては之が放置さるべきものではないのである
例せば義賊と称せられた石川五右衛門はどうであったか
 赤穂浪士は如何
 五、一五事件、二、二六事件の関係者は?
何れもその結果は吾人の斉しく知悉せるところである
さればといって警察は明治維新に於ける新選組の如き反動的抑圧機関や乃至は歯車の役割を勤めやうと云ふのでは断じてない
換言すれば愛国運動の益々昂揚せらるることを庶幾すると共に之が合法の圏内に指導する役割を持つものであることを信じて疑はない 

第二款 右翼運動の概況 
我国に於ける右翼運動は其の当初に於ては社会主義思想に対抗して之が撲滅を目的として勃興したものであってその思想は純然たる国粋主義である。随って其の運動は国粋保存運動の範囲を出でなかったものである
 明治十四年頭山満、平岡浩太郎の率ゐた玄洋社の如き明治三十四年内田良平の主宰した黒龍会等がそれである
然るに之が大正より昭和に入ってからは当時の国内事情に刺激されて従来の国粋主義の内容に政治思想経済思想を取入れて其の内容を充実せしめた結果、その運動も亦国粋保存運動から国家改造運動に迄発展するに至ったのである
斯くの如く西洋流の左翼思想に反対して発生し遂に国家改造に迄発展した日本主義運動は満洲事変を契機として一大興隆を見たのである
殊に昭和七年八年は右翼団体誕生の期間であったのである。

二、右翼の国家改造を云為せしむるに至った理由として当時一般に指摘されてゐたものを抽出すれば
1、世界的経済不況に伴ふ国民の経済生活の不安増大
2、外交の難局と不振
3、政治の無為無策及堕落
4、財閥に対する反感
5、国民思想の動揺に対する憂慮
等が挙げられる

三、右翼運動に伴ふテロ事件の発生とその概要昭和七年以降の分を摘記すれば、
1、血盟団事件
2、五、一五事件
3、齋藤首相暗殺予備事件
4、若槻男爵暗殺予備事件
5、天行会独立青年社の陰謀事件
6、神兵隊事件
7、救国埼玉青年挺身隊事件
8、若槻男爵暗殺未遂事件
9、宇垣朝鮮総督暗殺予備事件
10、統天塾一派の不穏計画事件
11、土佐建青隊事件
12、昭和維新血誓隊事件
13、西園寺公暗殺未遂事件
14、神武会員の読売新聞社々長刺傷事件
15、国粋挺身隊員の一木邸暴行事件
16、朝鮮統治改革神風隊事件
17、美濃部博士暗殺予備事件
18、美濃部博士狙撃事件
19、永田軍務局長刺殺事件
20、帝都反乱事件(二、二六事件)

第三款 右翼運動取締上留意すべき事項
一、右翼運動の名に幻惑されてはならぬ
右翼運動に於ては皇道を振翳し勤皇愛国を口にするのを一般とする
従って之に幻惑されて視察内偵に徹底を欠くの虞がある。皇道や日本精神を看板に出してゐるとしても果してそれが真実のものであるかどうかは其のものの行動を仔細に吟味して初めて判明するのである
例せば皇道大本教の昭和神聖会がある、彼等の綱領には皇道の本義に基き」と云ひ「万邦無比の国体を闡明し」と云ひ又は「国本の基礎確立を期す」と云ふ等洵に日本主義「右翼」の名に恥じないものがある、併しその裏面に於ては恐るべき未曾有の不逞計画が仕組まれてゐたのである
二、所謂視線外の人物にも注意を怠ってはならぬ
(略)
三、事件の発生は対外的、対内的国策の行詰りを機縁とする
血盟団事件は国内財政問題の行詰りから発生し、五、一五事件は対支問題の行詰りと国内経済問題のそれを機縁としてゐるし、相沢事件は仮令相沢の誤認にせよ、「粛軍問題」を契機として起されたと伝へられ、更に二、二六事件は直接には相沢事件の公判に刺激されたものの如くである、従って此の点に意を注ぎ事件の発生を未然に防止することに心懸けねばならぬのである
四、現在こそ最も注意を要すべき時
大東亜戦下二年目国内的にも相当危険を存し、随所に憂慮すべき片鱗の次第に顕現せらるるありて事態の容易ならざるを観取せらるるあり
対外的にも亦極めて重大危機に直面しあるを以て、右翼の一部の輩は国内改造の要今より急なるはなしとの、緊迫せる意見を持し過去に於ける体験を生じて之が実現に何等かの手段を採るに至れば極めて怖るべき事件の発生は想像に難からず、特に此点留意すべきものあるを信ず
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449949/32

日本警察社「改訂増補 思想警察通論」昭和15年10月1日第10版

一 概論
 従前の社会改造運動と言へば社会主義を指導精神とする運動に限定せられた感があった。即ち社会運動の左翼と言へば、ボルセビキズム、レーニズムを奉ずる過激主義か無政府主義を指し。〔ママ〕中間と言へば、正統マルキシズムを指し。右と言へば社会民主主義を指導原理するものを称したのであった。
 然るに欧州大戦後の各国諸情勢、特に我国の客観的内外の諸情勢、即ちロンドン条約、満洲事変、上海事変、国際連盟脱退、並に経済的不況深刻化、政党の腐敗堕落、階級闘争の激化等々の諸現象に刺戟せられ、国民的自覚を促進せしめた結果従来の社会改造運動と異り、我国の特殊事情に立脚したる国家改造運動が台頭したのである。
即ち国家主義・国民主義・国家乃至国民社会主義・日本主義・農本主義等之である。随って之等改造運動も一種の社会運動たるに変りなく故に今日に於ては、左翼と言へば過激共産主義又は無政府主義にして中間と言へば正統マルキシズム乃至社会民主主義にして右翼と言へば前記の国家主義的諸運動を指唱する様になった
 而して前記国家主義的諸指導精神と「ファッシズム」と同一視する向もあるが、同一ではないが大体に於ては酷似し居るも我国の此種の運動には我国の特殊事情(肇国の精神)を指導精神とする所に相違がある所謂、日本的ファッシズムとでも称すべきか。左に其の概略を説明すべし。
 ファッシズムはイタリーの熱血児ムッソリニを首領とする国粋的極右団体たるファッシスチの主張を名づけてファッシズムと云ひ、今日に於てはファッシズムは極右主義を意味し、ファッショの名によって右翼団体或は右翼思想家といふ意味に用ゐられるやうになった。以上の意味に於て、こゝに云ふファッシズムとは、必ずしもイタリヤのファッシスチ党の主張そのものを意味せず、一般的に近来勃興せる右翼思想を意味せしめることにする。

1.ファッシズムは第一に国家主義である。従って国際主義(インターナショナリズム)に反対する。現実の世界は国家的対立である。国家なくして国民はあり得ない。しかも国家の強盛は必ず国民の幸福を齎す。資源に富める国土・殖民地の多くを持つ国家は強盛である、その国民はそれに乏しき国民に比すれば必ず恵れたる生活をなし高き文化的水準に生活してゐる。
 又、各国家は、如何に外交的親密を持ってゐても、一度利害の問題となれば自国の利益のためには他国の如何なる犠牲をも省みざる現情にある。それは歴史的に不変の事実である。欧州大戦の予想外の惨禍が世界の人心をして戦争の回避、平和の確立を念願して国際連盟をつくり、これを世界の永久平和の殿堂たらしめやうとしたけれども、しかし各国民間の国家意識は、それによっていさゝかも減衰されず、利害問題に当面すれば忽ち対立感情を激発せしめつゝあり、且つ国際連盟を自国の利益擁護にのみ利用せんとしつゝある現情にある。
 かくの如き情勢下に於て国際協調を名として自国の強大を犠牲にするが如くんばそれは国家国民をして自滅の軌道に進ましむるものである。国民の福幸を期すべくんば先づ国家の強大を策すべきである。国民の繁栄はたゞ国家の強盛の上にのみ約束される。国家の強盛が国民の繁栄を拓く唯一の原因であり手段である。といふのが国家主義の思想の根本理論であり、それだから、国民は国家の強盛のために敢然として挺身奮起する絶対的義務があり、それが国民繁栄の道であると主張する。

2.ファッシズムは、国民主義であり、民族主義である。国民・民族は歴史的伝統を持ち、その伝統の上に繁栄する。この伝統は他の国民・民族の伝統と合流合体し得ざる特性がある。それだから民族的反感は人間の歴史の存続する限り存続するであらう。対立する二民族関係に於て、一民族の繁栄は他民族の衰亡を招来することは歴史的事実である。されば、他民族の繁栄を期することは自国民の破滅を計る愚である。自民族の繁栄は他民族を克服するにある。大和民族の日本、アジヤ民族のアジヤと云ひ、イタリヤ人のイタリヤ(イタリヤ・ファッシスチの主張)独乙国民の独乙(独乙国粋党ナチスの主張「百パーセントの米国人」等々の主張は何れも民族主義の主張の上に立つ主張である。
 しかして、民族の繁栄のために必要とあれば、国家は殖民地の獲得を辞すべきではなく、それは正当なる行為であると認めらるべきだと主張してゐる。

3.ファッシズムは議会主義を批難し、英雄独裁主義を主張する。イタリヤのファッシスチはムッソリニの、独乙のナチスはヒットラーの独裁下にある。
 議会主義を目して凡俗平凡化の政治形態だと云ふ。議会は数の勝つところ、いかに精良なる一偉人の主張も多数者の反対の前には一顧の値だも認められない。そして多数者の平均的凡俗の政治のみが生まれる。だから活発にして生気ある、而して効果的な政治を行ひ得ない。若し国家が一偉人を得、この独裁指導によって一斉に進むならば国家国民の繁栄のために最大の能力を発揮しうるであらう。自由主義の悪夢に醒めず、国民各自をして勝手な主張行動方向をとらしむるときは、たゞ混乱と無秩序を招来するばかりである。現実の各国家の悩みつゝある思想的経済的混乱は一に自由主義の悪夢に悩まさるゝ狂態であると批難する。さればファッシズムは強力なる統制主義を主張する。ムッソリニは「国家はたゞ国民に対して義務のみを強制する」と叫んだ。

4.ファッシズムは共産主義(コンムニズム)に強く反対する。個人の能力を認め、その最大の発揮を是認するからである。共産主義派人類の繁栄を約束するものではなくして貧困の平等を実現するに過ぎないであらうと論ずる。所有権の不可侵を認め、それを保証する刺戟によって国民各自に最大能率を発揮せしめんとする。共産主義に伴ふ国際主義は、ファッシズムの国家主義・国民主義と正面から衝突するものであって、強く排撃することは云ふまでもない。国際主義の如く、「国境なき世界人類の協同」などといふことは全然一つの空想でありソヴエート権力者の世界征伏の一手段でしかないと難ずる。

5.だからと云って、今日のあるがまゝの経済組織を完全に是認するものではない。独乙に於ける国粋党ナチスの如きは金融資本を国有とし、私的所有の金融資本を没収しやうと主張してゐる。たゞ生産的事業の私的経営はこれを是認するばかりでなく、社会生活上必要であるとして保護せんとする。だが、ファッシズムは、たゞ大資本家の完全に自由なる営利活動を放任して置かうとはせず、それ等の経営も国民の繁栄のためになさるべきことを要求してゐる。その手段としては統制経済計画を行ひ、国民の消費量に適応した生産を行はしめる。進んでは国家管理統制の下に生産と消費を適応せしめ合理化せんとしつゝある。

6.わが国に於ける右翼団体も、以上の如き諸種の主張を同様に持ってゐるが、しかし他と異った光彩陸離たる中心思想は、国体中心主義の点にある。建国精神を究極の大理想とし、これに反する一切の組織行動を強く排除し、日本民族の強盛なる理想国家を建設せんとしつゝある。それがためには、古来の日本精神を作興し、大財閥の暴慢を制限して国民大衆本位の経済組織を確立すること、財閥と合流して悪縁を持つ既成政党を清算し、国民大衆本位の政治を確立すること、追随外交を排して自主的外交を建設し、国民一致協力の下に強大なる理想国家に躍進せしめやうとしてゐる。しかもその熱誠が横溢して急進化し、反対者に対する暴力を敢行せんとする危険がある。

・・・以上に依って之を見れば概論に於ても述た如く、国家・国民主義は社会主義は勿論個人主義・自由主義の思想に対立する思想であって、国家第一主義・祖国至上主義であって之が日本化し理論的に押進むる時は即ち皇室中心主義となり神武建国の大精神の宣揚となり大日本主義、国体の精華となりて右翼団の主義綱領として現るものである。
 以上の如き根本思想を基調として政治的経済的諸組織を改造せんとせば当然に、共産主義派勿論、議会主義、資本主義にも反対をなし独裁主義統制経済主義全体主義となって現るゝのである。

我国の右翼主義の主な主張(p319~)
 既述の如く我国の右翼主義は国家第一主義、祖国至上主義なるを以て之の指導精神に反するものは総て排斥して国家の革新を行はんとするのである、其の主なる主張を簡単に説明すれば左記の様である。
1.共産主義に対する反対
 我国の右翼団体は前述せる如く発生原因が共産主義僕〔ママ〕滅にあったのである故に第一に共産主義の主張する総てに反対するのである。
イ、国体無視に反対する=我国の如き君民一如の家族的国家に対し、マルキシズム・共産党の如き我が国体の本義に悖る不逞思想は理論的にも実際的にも許すべからざることは右翼精神に非ずる〔ママ〕とも勿論である。然るに右翼精神は常に述る如く国家至上主義なるを以て国際主義であり其上に我国体を破壊せんとす国体無視の共産主義的諸思想に反対することは謂ふ迄もないことである。
ロ、国際主義に反対する=彼等の国際主義は究極に於て国家を否定し全人類の共同社会を夢想するのである、故に右翼主義とは根本的に相反する当然の事にして殊に国際危機に直面せる現下の諸情勢に於えは右翼たらずとも之に反対排斥するは吾々日本国民としての当然の道徳的であり確信である。
ハ、階級闘争・階級独裁に反対する=共産主義者の唱ふる階級主義は、人類の歴史は階級闘争の歴史と為すが之は飽迄個人主義の立場に於て一階級の利益のみを目標とする見解であるが、右翼は個人を超越して個人は国家に依存してゐると主張し国家第一主義なるが故に当然の帰結として階級闘争説を否定する。随って彼等の主張する階級独裁論、国家崩壊論の如きも我国体に於てあり得べからざるものだ君民一体の国体に於ては斯の如き階級及階級闘争はあり得べからざることであるとて排斥する。
二、唯物史観に反対する=之は唯物主義にして根本観念に於て既に氷炭相容ざる所である右翼主義派精神主義であり道徳主義にして我国の肇国精神に対する唯物主義に反対するは当然の結論である。
2.資本主義にも反対する
即ち総ての時弊は資本主義の根底を流るゝ個人主義、自由主義に胚胎する。我等主唱するは日本主義で、要するに一君万民主義である、故に個人の利益を主として全体の利益を度外視するを認めることは出来ないと。
 以上の如き主張に依り、然らば如何なる経済組織が必要かと言へば国家的全体的統制経済の実現を期すものあり或は強力の国家権力に依り経済の計画統制を行はんとするもの等である。
3.議会主義に反対する
 議会政治に対する反対傾向は理論的にも実質的にも其の根拠は薄弱の様であるが、要之に政党時代の悪弊に基因するものゝ如くであって其の主張の種なるもの一、二、を挙れば左の如きものである。
 元来議会政治は産業資本に依る自由競争時代に其の重を為せる自由主義的産業資本家の利益に適応せるもので、此の時代に封建的階級に対する、ブルジアジーの闘争場としての役割をなしたが今日ではブルジョアジー内部の利害闘争の手段となって意義を有しなくなった。
 議会政治の根本が、デモクラシーの基調の上に成立たった〔ママ〕のに対し、右翼の中心指導原理たる国家主義乃至日本主義即ち全体主義と相反するとするものの如くである。
4.独裁政治の謳歌
 現代の独裁政治には、ブルヂョアー独裁政治、プロレタリヤ独裁政治、ファッショ独裁政治の三形態があると云ひ得るであらう、之に対し右翼団体は左の如き見解を持って居る。
 ブルジョアー独裁政治=は普通選挙に依り一見国民総意の政治の如く見るも、資本主義発展に伴ひ今や金融財閥の利益を代表して国民大衆の利益を犠牲にするブルジョア―独裁なり。として反対する。
 プロレタリヤ独裁政治=は労働者農民のみの利益を擁護するに有力であるが之等は国民の一部であり、且つ彼等優秀であるとも認め難き故に全国民の幸福であると云ふ事は出来ないとして反対する。
 然らば右翼の主唱する独裁政治はと云に之には又種々の主張がある。即ち、我国に於ては徹底的天皇政治でなくてはならぬとするもの及ファッショ独裁乃至一党独裁政治を主張するもの等の様である。
5.直接行動主義
 右翼団体全部が直接行動主義を抱持すると云ふのではないが一部にては直接行動に依り政権を獲得せんとするものあることを認識せざるべからず。即ち議会に多数を得て政権を獲得せんとするの方法に依らず、大衆動員直接行動の方法を以て政権を獲得せんとするものであって一部の急進分子に過ぎない、現今では次第に議会を通じて其の目的を達せんとする傾向になりつゝある如くに観取さる。以上を要約すれば次の如くであらう。
6.世界的不況の中に投げ込まれた国家行財政が行詰り的形相を呈し、年来の思想国難に善処し、その打開策に一国を挙げて焦慮してゐる最中に満州事変が勃発し、うちで上海事変となり、更に北支方面に皇軍の活躍あるや、わが国の愛国運動は猛然として勃興した。加ふるにファッショ的独裁政治の世界的流行、日本精神の復興・忠君愛国運動の爆発的傾向が顕現した。
 それは、日本をして今日あらしめた伝統的国民精神の現れであり、愛国精神の発現であったことは、今にして「青年日本」の感を強からしめたものであるが、しかしその激化はついに国法の圏外に溢脱して血盟団事件となり、農民決死隊の活動、五・一五事件、国体明徴問題、神兵隊事件、永田事件、二・二六事件の突発等々により、多数の犠牲者を生ぜしむるに至った。これ等の事件は、「非常時日本」の逼迫感を強め、右翼団体の存在が保安警察上重要なる対象となるに至ったのである。
1.わが国の極右翼団体の共通点は、
イ 天皇政治の絶対的尊奉
ロ 共産主義の絶対的排撃
ハ 無階級理想政治の実現―国家国民の名に統一せられたる無階級政治
二 既成政党及大財閥の排撃
等の諸点にあり、これ等の共通点と忠君愛国的熱情が合流して、その運動の中心指導精神となってゐる。
2.従来右翼団体と云へば、資本家階級―既成政党或は大財閥、の御用団体たるかもの如く考へられてゐたのが通例であるが、しかし最近活動しつゝある右翼団体は、かくの如き封建的色彩をかなぐり棄てゝ、日本精神に立却〔ママ〕する理想政治経済組織の実現のためには、共産主義の排撃と同様の強烈さを以て大財閥の横暴に対抗し克服せんとする点に画期的特色を発見することが出来るであらう。
 ことに、既成政党が財閥の傀儡であったといふ点を重視し、既成政党の城砦に向って勇猛敢然たる抗争の意気を示してゐることは注意せらるべきだ。
3.以上の如き根本精神から、それは国家主義的精神の火焔となり、祖国を!日本を!大和民族を!と絶叫して忽ち全日本を熱狂震蕩せしむるに至った。これ等の諸運動・諸理論は、大正の中期から昭和六年頃に至るまでは「反動」といふ一種の侮蔑的一語に顧みられやうとしなかったが、澎湃たる愛国的興奮の波頭に乗って急激に国民運動の前線に出動し、輝かしく、しかも誇らかに愛国の旗幟を押し立てゝ時代の指導者的勢力の一角を正しく占拠したるかの観がある。かくてその運動勢力は、社会運動、国民運動、政治運動の中枢にまでその触手を延べて来たことは公知の事実である。
 この諸運動は、日本甦上のために好ましき現象である。だが、たゞ一つ問題となるのは、過激なる直接行動(テロ)によって目的の達成を企つる点と、此主義を私欲に利用するにある。勿論以下述べやうとする国家主義諸運動団体の全部にその怖るべきテロリズムを発見するのではないが、その二・三の中に猛烈なるテロを実演し、社会人心を興奮と不安と逼迫との赤爐の中にたゝき込んだ事例を見出すことが出来る。若し、これ等の「テロ」を放棄して熱鉄の如き日本伝統精神の団塊として合法的憂国運動に精進するならば、日本国民は挙げて望む所であらう。

右翼運動史
1.明治時代に於ける国粋主義運動
 我国に於ける右翼運動を指導する思想は、皇室中心主義的国家観の上に形造せられたる国粋主義であって、我国古来の伝統的精神の発現、国民精神の確立といふことは此の運動の中核をなす従って多くの外来思想をば浮薄、危険なりとして極力排撃する。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439974/167

警察叢書第二十三輯 ※昭和8年=1933年
国家主義運動の意義
奈良県警察部

 社会運動の査察は理論ではない、たゆまざる外部活動こそ最も望ましい。だが凡ての社会運動は個々的、断片的のものではなく、各々拠って来たる社会的原因と特殊の指導理論に基く連関性を有するものである以上、其の運動の動向を観察せんと欲せば、須らく源たる指導理論の何ものなるかを認識せ〔ママ〕なければならぬ。本輯も此の意味から最近急激に擡頭進展しつゝある右翼の運動に就いて夫々の主張点を抽出したもので各主義の概念丈は捕捉し得られるものと思ふが、勿論、論者によりては多少の差異点を有するのは止むを得ない。
尚社会運動の潮流に就いては各自の積極的研鑽を望む所で、本輯は其の一助たらしめんとするものである。
 昭和八年十二月 奈良県警察部

目次
一、まへがき
二、日本精神
三、国家主義
四、国家社会主義
五、国民社会主義
六、日本主義
七、皇道主義
八、スメラギズム
一〇、農本(自治)主義
一一、ファッシズム
一二、社会ファッシズム
一三、大亜細亜主義
一四、主要右翼団体の主義綱領

国家主義運動の意義
一、まへがき
 近時急激に擡頭進展しつゝある国家主義―ファッショ―の運動は、マルキシズムから発展した所のプロレタリア運動に真向から敵対し、猛烈なる行動によって国家国民の伝統維持に直進しようとするものである、更に政党財閥等所謂特権階級の腐敗堕落を匡正して、真に天皇親政の下に搾取なき一君万民の理想国家を建設せんことを主張するものであるから、勿論其の主張乃至団体の綱領そのものに対しては、濫りに制肘すべきものではないが、中には其の主張の貫徹に性急なる余り、動々ともすると直接行動に出で、遂には国法に触るゝに至るものゝあることは、最近の血盟団、五、一五、神兵隊等の各事件に徴しても極めて明らかである。
 此の傾向は現在我国の客観的情勢より見て、尚相当の進展性を持つものと見られ、従って治安維持を職分とする警察官の対象としては、従来の共産主義に対するものと相並んで重要性を持つ。
 そして之等の運動者の多くが抱き易い、警察官の立場に対する誤解と、其の運動の変転極まりない中に伍して、真相を把握し適切に警察権を執行せんとすることは、極めて困難事である。然し警察官は飽迄其の正しき職分―天職―を尽す為には、外議に動揺せず敢然として進まねばならぬ。
 斯くして確固たる信念と誤り無き認識の下に発動する警察活動は、即ち真に国家を衛るの途であるから、警察官自身絶へず国史に稽へ、日本精神をはっきり認識把握し、更に社会運動の情勢に通暁することを要する。
 斯の種運動の趨勢を観察するためには、その根源たる指導理論の如何なるものかに就き認識を明らかにし、根本的に排除すべき思想と、思想そのものは穏健にして我国体の精神に背反せず寧ろ合法的に発展せしむることが国家の利益なるものとの区別を明瞭にしておかなればならぬ。然して現在国民の指導精神たるべき日本精神の概核並に国家主義其の他右翼的各主義の主張する所を抽出せば次の通りである。

二、日本精神
 日本精神とは我国の建国以来、日本歴史を通じて我国民が一つの国家的乃至民族的行動規範として信奉し孜々として之を実践し来った伝統的精神である。即ち之れを定義付ければ
日本国体たる 天皇中心、一家的体制の下に建国の理想即ち日本民族の理想を実現せんとする精神」と規定することが出来る。
即ち日本精神は其の内容として、
(イ)日本国体(建国の組織原理)たる天皇中心一家的体制の維持発揚
(ロ)日本建国の理想(建国の目的原理)の実現
の二要素を含む。従って日本精神は国家組織上の規範たると共に国家目的上の規範である。そして之れは便宜的に抽象的に机上で案出された架空の規範ではなく、建国以来三千年日本民族がその国家生活に於ける民族的行動規範として信奉し、君民一致其の実現に努力し来ったと云ふ厳然たる歴史的背景を具有するものである(警察研究第九号、管太郎)
即ち日本建国の理想を実現銭とする天皇の当為的統治意思と、同じく建国の理想を実現せんとする全国民の当為的輔翼意思との、合致融合により存在する皇室を中心とし、之れを宗家として、義は君臣なれども情は父子たるの大家族精神である。そして日本建国の理想とは如何なるものであるか、要約して云へば、
「日本国体の下に日本民族が合体として向上発展、和親団結し精神的及物質的に充足せる理想国家を実現すると共に他方日本文化と日本民族性とを以て他民族を同化融合し、天皇中心的体制の下に之れを一家族化せしめ以て各民族平等に其の生を楽しむ理想的世界国家を実現すること」を内容とする。
西洋文明が日本に輸入されて、その特徴である科学や哲学の盛んになったことは勿論であったが、それと同時にその弊害である利己主義、我慾主義が国家の基礎を危くするであらうと云ふことは既に屡々心あるものゝ憂ふるところであった。既に明治大帝陛下は明治二十一年の頃これについて御憂慮あらせられ、或日侍講元田永孚を召させられて、その点を御述懐あそばされたとのことである。この陛下の御憂慮は四十五ケ年を経過した今日に於て、不幸にも遂に適中したのである。総ての公私の専門学校、殊に帝国大学はマルクス主義宣伝の学府となった観さへあると云はれ、単に大学だけはなく、共産主義の病毒は小学校教員の中にまで伝播しつゝある。この欧州文明の弱点たる利己主義の病は如何にして治療すべきかと云ふことが、現在日本の中心課題であるが、此の利己主義が政党の中に瀰漫して遂に選挙の腐敗となり、農村の窮乏となり、これに憤慨したる軍人ンの蹶起となって、五、一五事件なるものが現れた。五、一五事件は政党の腐敗、資本家の利己主義に対して起ったものではあるが、同時にそれは腐敗せる選挙人に対する鬱憤であるから、これを西洋文明の欠点である利己主義に対する弾圧と云ふことが出来る。
満洲事件と五、一五事件を中心として、日本精神は澎湃として勃興したが、この日本精神の依って来たるところは抑々何であるかと云ふこと、それが我等の研究の対象である。日本精神なるものは、日本人すべてがこれを意識してゐて、唯これを表現し得ないものである。それを表現し得ないと云ふのは、それが単なる感情に止まって、いまだ理智の程度までに進展してゐないからである。併し乍ら若し日本国民の勃興が、この日本精神によって
行はれたと云ふならばそれは世界の一大事実であって、これを理智の形に於て表現するまでに発達せしむることは、我等の義務でなければならぬ。
総ての社会的なる事実は、一朝一夕に出来上るものではない。それはその国の歴史に根拠を置くものであらねばならぬ。我が国の二千五百年の歴史及び伝統が、国民生活のうちに醞醸し、発達し、結晶して成立したものである。総ての社会精神は社会生活の所産であると社会学者は説く。従って誰が作ったものと言ふのでもなく、知らず識らずして社会に結成したのである。それが日本精神であって、従って我等はこれを国民の歴史のうちに其の本質を討〔ママ〕ねるより外に方法は無いのである。
若し我等が日本の歴史を遡って行くならば、そこに我等の逢着するところのものは、宗教であり、神和〔ママ〕である。仏デュルカイムは、すべて社会現象は宗教から始まると説いてゐるが、日本の社会も亦その原則の外に立つことは出来ない。我等の歴史の出発点は即ち神代の伝説である。そしてその伝説の中心をなすものは天孫降臨の事実である。日本書紀には、これを「葦原ノ千五百秋ノ瑞穂ノ国ハ是レ吾ガ子孫ノ王タルベキ地ナリ、宜シク爾皇孫就テ治ラセ、行クマセ、実祚ノ隆エマサンコト天壌ト窮リ無カルベシ」と言ふ天照皇大神の勅語に言ひ表はされ、後世北畠親房は、その神皇正統記の冒頭において「大日本は神国なり、天祖始めて基をひらき、日神長く統を伝へたまふ、我国のみ此事あり、異朝にはその類無し、この故に神国と云ふなり」と云って、我国家の基礎が宗教的信仰から始まってゐることを説いている。この日本は神の始め給ふた国であり、しかも皇室はその神の延長であるといふ信念こそ、我国の歴史に一貫したる根本精神であって、そこに君と民との結合が、宗教的の基礎を持ってゐることが明白となる。即ち君主は神であって、人民はこれを宗教的崇拝の対象となし、神を拝すると同様の敬虔の情を以て君主に対すると云ふことになるのである。そして御歴代の天皇は皆民を以て「オホミタカラ」と詔せられて自ら民の父母と称せられてゐる。(「日本精神講座」五来欣造)この信念こそ日本精神であらねばならぬ。
要するに我国は神国である、神ながらの国である。
明治天皇の御製に「我国は神のすゑなり神祭る、昔の手ふり忘るなよゆめ」と仰せられたのもこの御精神を歌はれたのである。(以下省略)
(「日本神典及神ながら之道」松本貞二郎)


三、国家主義
 近来愛国主義的社会運動が勃興したので、之等を一括して「国家主義運動」と呼ばれてゐるが、其の内容は極めて複雑である。之れを定義すれば
「国家主義とは国家は国民個人又は外国に優越して存在せる最高の協同社会であるから国民は自己の属する国家のためには何人と雖も其の利害を犠牲にすべきものである」とする主張である。
 簡単に云へば「国家主義とは個人や世界の利害よりも国家の利害を重しとする主義である」随って個人主義及国際主義と対立する。(緋田工著、特高必携)
 即ち現実の世界は国家的対立であり、国家なくして国民はあり得ない。しかも国家の強盛は必ず国民の幸福を齎す、資源に富める国土、殖民地の多くを持つ国家は強盛である。又各国家は、如何に外交的親密を持ってゐても、一度利害の問題となれば自国の利益のためには他国の如何なる犠牲も省みざる現状にある。それは歴史的に不変の事実である。欧州大戦の予想外の惨禍が世界の人心をして戦争の回避、平和の確立を念願して国際連盟をつくり、これを世界の永久平和の殿堂たらしめやうとしたけれども、しかし各国民間の国家意識は、それによっていさゝかも減衰されず、利害問題に当面すれば忽ち対立感情を激発せしめつゝあり、且つ国際連盟を自国の権益擁護にのみ利用せんとしつゝある現情にある。
 かくの如き情勢下に於て国際協調を名として自国の強大を犠牲にせんとする様な事があれば、それは国家、国民をして自滅に導く結果となる。だから国民の幸福を図らんとすれば先づ国家の強大を策すべきである。国民の繁栄はたゝ国家の強盛の上にのみ約束せられる。国家の強盛が国民の繁栄を拓く唯一の原因であり手段であると云ふのが国家主義の思想の根本であり、それだから国民は国家の強盛のために敢然として挺身奮起する絶対的義務があり、それが国民繁栄の道であると主張する。(思想警察通論)
 そして此の国家主義による運動が我国に於て発展し実践的に成長する上に於て著しく国粋主義乃至日本主義の色彩を深め一つの団体の綱領を考察する場合に於ても其の何れに属するや判然しないものがある。此の原因は特に我国が皇統連綿世界無比の皇室を戴き晋〔ママ〕天の下率土の浜王土にあらざるなき特殊国体であるため、各主義其のものには多少の主張の異なるものがあっても実践上帰一するの外無き為であると云へる。

四、国家社会主義
 国家社会主義と云ふ言葉は元来独逸のビスマーク等によって唱へられた「ステートソシアリズム」の訳語で元来の意味は所謂「社会政策」のことであり、決して資本主義を否定するもので無く、之れが改良乃至補正を主張する思想であったのであるが、我国に於いては大正八年頃故高畠素之が自己の創案せる思想を「国家社会主義」と銘打ってから「ビスマーク」の唱へたものとは全然相異る内容を持つに至った。
 国家社会主義の経済制度に対する主張はマルキシズムとは全然異なり、社会主義(集産主義)の夫れと等しく、主要生産、金融、交通等の諸機関及土地を公有又は国有化せんとするものである。財の分配方面に対しては、私人的処分を認め其の共有化を主張しない。
 之れを定義付ければ「国家社会主義とは国家の力によって一種の社会主義を実現せんとする主義である」と云ふてよく、其の内容を我国の社会に当て嵌めて具体的に云へば「天皇中心の下に或る種の事業乃至或る限度以上の私有財産を国家の所有に移し、やがて此の世の中から搾取関係を無くしようとする思想である」と云へる。(緋田工著特高必携)
 真正の国家社会主義とは社会主義の正統に属して、即ち民主々義的国家に立脚して、集産主義を実行する主義を謂ひ、修正派社会主義の主張と一致する。(社会ト思想」高木斐川)
 国家社会主義とは国家主義と社会主義との結合したもので概言するならば「国家の力によって社会主義を実現しようとする主義」である。而して決してファッシズム其の物ではないのであるが、ファッシズムに頗る近似し大体に於てファッシズム系の思想と目すべきものである。此の点では農本主義も同様である。(「特高警察全書」佐々木與四蔵)
 学者の意見
 国家社会主義を一口に言へば「国家主義と名づくべき国民道徳の原理によって指導され、総合弁証法と名づくべき社会哲学によって基礎づけられるところの超階級的国家社会主義の謂である」と云ふことが出来る。即ち国家が国家の為に国家によりて行ふところの社会主義である。
 国家は帝国と区別されなければならぬ。共同の祖先と共通の伝統及文化を有する一民族がそれ自身独立の法的秩序を有するに至ったものが国家であり。一国家が他民族を支配して之れに法的統制を加ふるに至ったものが帝国である。
 国家社会主義は単に国家が国家の中に行ふところの社会主義を指すのではない。若しそれならば共産主義も亦国家社会主義に外ならないであらう。国家社会主義の国家社会主義たる所以のものは、云ひかへれば国家社会主義の本質的特徴をなすものは国家が国家のために国家理想追及の手段として行ふところの社会主義たるところにあるのである。これを国民の側から言へばあらゆる階級を調節して至上の位置にあるところの国家そのものゝ久遠の理想に奉仕するがために、全国民の協同的本然社会の実現、即ち渾然たる無階級の国家を建設するがために社会主義を欲求するのである。(「国家社会主義原理」林癸未夫)

五、国民社会主義
 此の言葉は近時独逸に於てアドルフ・ヒットラーの率ゆる「ナチス」の有名になった関係上人口に膾炙するに至ったが、此の主義は大体に於いて国家社会主義と大差ないものと見てよく、事実我国に於ては屡々同一意味に使用せられてゐる。
 唯国民社会主義に於ては「祖国意識」が甚だしく強調せられ、祖国第一、自国第一の気持ちが国家社会主義に於ける場合よりも強烈である。即ち自国乃至民族の優越性と独自性を強調する。(緋田工特高必携)
 国民社会主義は国民主義と社会主義との結合体と見るべきである。強いて云へば国民社会主義の国家理論は民族的国家観でつまり一般国民の幸福を主眼とし、民族の発展が同時に国家の発展であるとの見解を採るのであるが、国家主義と国民主義とが殆んど逕庭する処がないのと同様、国家社会主義と国民社会主義とは恰も楯の両面の如く実際問題として此の両者を弁別することは頗る困難であり、又区別するも実益ないことである。現在我国には純然たる国民社会主義の政党、又は団体として挙ぐるまで色彩の判明してゐるものは存在しない。又かゝる傾向の団体はあっても自ら国家社会主義であると称してゐる実情である。(「特高警察全書」佐々木與四蔵)
 国民社会主義も資本主義と共産主義とに反対して社会主義国家の建設を目的とする点に於ては、まさしく国家社会主義と同一である。然し国民社会主義が共産主義に反対する理由はそれが無産階級独裁制であると云ふことに重点をおかないで、それが国際主義に立脚すると云ふことに重点をおくのである。
 言ひかへれば共産主義の革命運動がプロレタリアの国際的団結、国際的統制によって超国家的世界的運動として行はれることに反対するものである。(「国家社会主義原理」林林癸未夫)此の点が国家社会主義の国家自体の目的、理想を実現する為に共産主義を根本的に排撃するのと区別し得るものと云へる。

六、日本主義
 明治維新直後急激に流入せる自由民権思想のために甚だしく泰西文化を讃美せる所謂西洋崇拝時代たるの時潮を慨して陸実一派の創始した雑誌「日本人」及「日本新聞」に依る運動を以て日本主義運動の濫觴とする。従って一見新しい意味を持つものではないかの様に見えるが、実は此の言葉の意義が近来急転的に変化し今日社会運動用語としては「天皇制を絶対無上の至尊的指導精神として現在の資本主義を倒し統制経済と勤労者本位の政治を実現せんとする主義」を指すことになった。そして斯ゝる日本主義を古来の現状維持的日本主義と区別するために特に「革新的日本主義」或は「戦闘的日本主義」と呼ぶ人もある。
 此の主義は、国民と天皇との関係を父子の関係に於て見るものであるから、従って国民の間に階級の存在することを許さず、或る階級がある階級を支配し搾取することを許さない。国民が統率せられ、総攬せらるべき中心主体は唯上御一人のみであるとする。従って真の日本主義は資本主義を否定することゝなるわけである。
 由来日本民族の信仰に従へば、我が日本は国土、山川、草木、人獣、皆悉く、天皇の有たるべきものであるとせられてゐるから、一私人が土地を領有し、或は生産機関及金融機関等を私有してゐること自体が我が国体に反する事柄であるとするのである。
 故に真の日本主義に依れば、我が国の凡ゆる財は皆天皇有化―手取り早く云へば国有化せらるべきものとなる。唯彼等は或る程度の私有財産は之れを各個人に所有せしむることが、統治上乃至経済上便益であると為してをり、結局私有財産の思ひ切った限定を主張するものである。 
 我が国に於て、現在此の派の代表的団体は「神武会」「大日本生産党」「愛国勤労党」等である。(緋田工著。特高必携)
 日本主義に対する一二の者の見解
「日本主義の意義に就ては人に依りて説く所を異にするものもあるが、天皇中心主義、日本至上主義を高唱する点は何れも共通せる所である。中には更に政党政治を否認し独裁政治の確立を主張すると共に国際協調さへも排撃し、経済的には反資本主義的態度を採るかに見えるものもある。」(「特高警察全書」佐々木與四蔵)
「日本主義は階級利益を本位とする部分主義に非ずして全体を生かし全体の利益と幸福とを発展せしむる原動力である。」(「我等の進むべき途」赤松克麿)
「日本主義の真髄中核は万世一系の天皇を中心として日本民族が一心同体に家族的生活を為し一切の自我を捨てゝ此の中心的対象の中に自己の一切を捧げることによって自己を最も完全に生かすの途とする処の信念と実践のすべてを指すものである。」(「日本的社会主義の提唱」津久井龍雄)
「日本主義は根本に於て一つの人生観であり世界観であり絶対的な信仰に立つ一つの宗教である。寧ろ狂信とも云ふべき宗教的信念である。信仰の対象は云ふまでもなく天皇の「スメラミコト」である。日本主義とは一言にして云へば天皇教である。」({日本主義の再吟味」中谷武世)

七、皇道主義
 この主義は近来一部の人々によって使用せられてゐるが大体に於て革新的日本主義と同一のものと見てよい。唯日本主義なる語が往々反動的に響くので之れと分別せしめんとして此の新名称を採用せるものと云へる。(緋田工著特高必携)
 所が茲で一応の説明を要するのは皇道主義と王道主義の区別である。最近満州を統治するについて頻りに王道政治を振廻すものがあり、両者を混同してゐる様であるが観念上はっきり区別すべきである。
 王道は支那に発達したものであり、日本の皇道とはその根本精神を異にする。今この両者の区別される点を略述する。
(一)支那人の信念は哲学であり、日本人の信念は宗教であると云ふことが、先づ上げられるべき重要な区別である。支那人は希臘人と同じく哲学的国民である。両者とも理性の発達せることに於て世界の双璧である。但し希臘人の理性は思弁的であって、数学、論理がその中心であり、支那人の理性は実践的であって道徳政治がその中心である。従って支那人の天に対する信仰は哲学的性質のものであって、日本人の神に対する宗教的信念とはその性質を異にする。支那人は天を以て思索の対象となし、詩経の宗教的であった天の観念が、孔孟の時代に於ては汎神教の傾向を帯び来たり、半ば哲学的にして半ば宗教的であった。然るに後世・宋・明の時代に至っては、これが純粋なる哲学に変化するに至った。これに反して日本人の神に対する信仰は常に宗教的である。
(二)支那人の合理主義は、公正の観念を発達せしめ、適材を適所に置くと云ふ原則を励行せしめ、遂に「最良者の政治」と云ふものを生み出した。即ち最も有徳なるものが選ばれて天子になると云ふ観念である。堯舜の政治は即ちこれである。従って不徳なる天子はその位を失はねばならぬ。これがその弱点であって、国家中心の動揺を免れぬ。これに反して日本人の信念は宗教的であるから、我国の皇室は常に神の延長であり、国民は常に神に仕ふるの態度を以て皇室に仕へる。皇室も亦神の自覚を以て、その尊厳を保ち、こゝに世界に並びなき「君臣の宗教的結合」といふ国体を生み出したのである。
(三)支那の王道主義と称するは、この哲学的信念から出発したる政治を云ふのである。即ち天子は上帝の命を受け民を治める官吏であって、従って人民を幸福にすることこそがその義務である。もしその義務を怠った場合に於ては、天子は直ちにその位を失ふ。孟子の所謂「三代の天下を得るは仁を以てす。その天下を失ふは不仁を以てす。」とは即ちその意味である。即ち支那の王道主義なるものは、要するに人民を幸福にすると云ふことであって、その人民を幸福にする条件だけが君主存在の理由なのである。従って天子の位とその仁政とは一種の交換条件であって、支那人が「大徳は必ずその位を得、必ずその録〔ママ〕を得、必ずその名を得、必ずその寿を得」と云ふのは要するに天下を幸福にしたる君主の報酬を説くのである。君主から言っても人民から言っても、その間報酬関係、功利的関係が存在してゐるのである。書経に「我を撫すれば則ち后、我を虐すれば則ち讐」と云ったのも、かうした功利主義を言ひ現したものであり、同じく書経に「皇天親なし、諸徳是輔く、民心常なし、諸恵是懐く」と言ったのも同一のいみであって、天は徳あるものを助け、民は恵あるものに懐くと言ふこと そこに支那人の功利主義があり、その皇朝が政を失ふ毎に、革命によって位を失ふ所以である。斯の如き功利的政治観は、日本の君臣関係とは全く反対なるところで、要するに王道は功利的であるに反し、皇道は純粋なる君臣の宗教的結合であって、利害の観念を超越したる世界唯一の崇高なる政治道徳と言はねばならぬ。
 かうした王道と皇道の差別から、欧羅巴の十七八世紀の専制政治の弊を救ふ為めに、支那の王道観念が役立ったのは当然なことであるといえる。欧羅巴人の如き利己主義なる民族に対しては、支那人の功利主義から出た王道の思想こそ最も適当なる薬剤である。欧州の利己主義なる専制君主を警むるに「四海困窮せば天禄永く終らん。」とか「桀紂天下を失ふはその民を失へばなり。其民を失ふはその心を失へばなり」とか言った様な功利的道徳が極めて有効なのである。
 日本の皇道に至っては、君臣の宗教的結合であって、君主を神と信ずるのでなければ、到底実行の出来ないものである。欧羅巴人の如き君臣の関係が利己主義なるものにとっては、日本の皇道は決して模倣の出来ないものである。(日本精神講座」五来欣造)

八、スメラギズム
 是亦革新的日本主義の一派と見てよい、此の主義は元の希望社員たりし吉田靈明が提唱してゐる主義で「スメラギズム」と題する機関紙を発行してゐる。
そしてこの語源については我国天皇を「スメラミコト」と讃称するに出で皇道を海外に恢弘、皇威を世界に発揚せんことを主義として実践すべく名称付けたもので、従って其の本質は皇道主義と同一と見てよい。

九、国粋主義
 国粋主義は日本主義と同じく相当古くから唱へられ、本来西洋崇拝思想を排撃し、我国家の伝統を維持せんとするものであったが、是亦近来国家革新運動の勃興に刺戟せられて、著しく其の性質に変化を来した。
即ち従来は現状維持的立場にあって、マルキシズム運動に対しても必然的に既成政党乃至資本主義を擁護することを以て其の使命であるかの様に観念付けられて来たが、近来所謂非常時の声の下に既成政党が非難せられ、資本主義制度其のものも批判され、検討され、そして其の弊害著しきものとして、之れが制度の打倒さへ叫ばるゝに至った為、国粋主義も之れに合流し、資本主義改革をも其の主張の対象とするに至ったのである。
云ひかへれば、従来の如き現制度肯定の下に、赤化防止等を主張した現状維持的旧殻を脱して新しく国家社会主義的色彩を加味したものと云へる。

一〇、農本(自治)主義
 農本主義は、資本主義の都市中心、中央集権的政治経済制度に反対し、無政府主義のそれに似て、農村本位の自治組織、即ち一種の自由連合主義を主張する。然し無政府主義の一派でもなく、彼等は天皇制に対し、多かれ少かれ、忠誠と護持とを明言する、そこで農本主義は国家主義と、無政府主義との不自然な結合体であると云へる。
 我国に於ける此の派の代表的団体は、長野朗一派の「自治農民協会」、岡本利吉一派の「先駆者同盟」、権藤成卿の「自治学会」橘孝三郎の「愛郷会」「愛郷塾」、津田光造一派の「日本村治派同盟」及宮越信一郎一派の「国民解放社」等である。(緋田工著、特高必携)
即ち農本主義は、現代社会組織を都会中心の政治及経済制度で、農村を疲弊せしめ、自治を破壊するものとして排撃するのである。

一一、ファッシズム
 ファッシズムは元来一個の主張として提唱せられたものではなく、イタリー首相ムッソリニが採用し、実践し来った跡を辿って、後人がかうもあろうか、あゝもあろうかと探った結果、出来上った思潮である為に、一言で要約して定義付けることは極めて困難であるが、其の特徴を列挙すれば次の通りである。
一、愛国的立場に立つこと。
二、社会主義(勿論共産主義を含む)を排撃すること。
三、現存せるが如き議会制度を排撃すること。
四、独裁政治主義を採ること。
近来独逸の「国民社会主義ドイツ労働者党」(略称ナチス)が非常な勢いで擡頭したが、此の党の主張が大体に於て、上記の特徴を有し、ムッソリニの主張と似通ふので、世人から此の派もファシズムを奉ずる党派であると俗称せられてゐる。(緋田工著、特高必携)
即ちファッシズムは、予め詳細正確に研究せられ、体系付けられた思想でなく実行の必要から生れ出たのであって、最初から理論的では無く実際的のものである。
我国に於てファッシズム的右翼運動が顕著になったのは昭和六年秋頃からで、其の発展のすさまじく、燎原の火の如く、燃え熾るに至ったのは、資本主義より派生せる諸弊害や、政党政治議会政治に対する世人の信用が往時の様でなくなったのと、極左運動の跳梁に依る社会不安醸成の如き、世界的原因が伏在し、更に満洲事変に刺戟せられた為である。日本主義、国家(国民)社会主義、農本主義等は、ファッシズム系に属する思想と云へる。(「特高警察全書」佐々木與四蔵)
ファッシズムは議会主義を非難し、英雄独裁主義を主張する、イタリーのファッシズムは、ムッソリニの、独逸のナチスは、ヒットラーの独裁下にある。(而し、ファッショの独裁は、共産党方面の暴民蜂起の為、当時の国家機関と其の運用だけでは之が鎮圧が出来ない為、中産階級が実力を以て起ったのである)。議会主義を目して、凡俗平均化の政治形態だと云ふ、議会は数の勝つところ、いかに精良なる一偉人の主張も多数者の反対の前には、一顧の値だにも認められない、そして多数者の平均的凡俗政治のみが生れる、だから活発にして生気ある而して効果的な政治を行ひ得ない、若し国家が一偉人を得て、この独裁指導によって一斉に進むならば、国家国民の繁栄のために最大の能力を発揮し得るであろう、と主張してゐる。(思想警察通論)
一二の者の意見(社会主義的偏向を示すものの立場より、ファッシズムに対する批判)「ファッシズムの意義は欧州大戦後資本主義の一般的危機に於て発生した独占資本主義の国内的、国際的の政治動向であって、資本主義擁護又は修正のために、一面予防的反革命として、プロレタリア運動の抑止を目的とする点に求められ、そして統治権力と金融資本の接近度の進展に応じて其の体制をとゝのへ、発展しゆき、国家資本主義確立の方向を採る。(イタリーのファッショは生産は民間の企業と為すを原則とし、其の弊害のみを統制せんとしてゐる。)所の権力集中的の協力政治であると云へる。(「ファッシズム研究」佐々弘雄)
「ファッシズムは各国資本主義の危機に応化するために、特殊的に要求された自然発生的の運動形態で、その本質は、帝国主義時代に於ける「資本主義防衛」のための反動的役割を果すべく生れたものに外ならない(「ファッシズム研究」河野密)
「我々がファッショ、またはファッシズムと云ふときには国民主義の把握に成功し、社会主義の実現に失敗した運動、または思想を指称するのであって、主としてイタリーのムッソリにやドイツのヒットラーが実践し、高調しつゝある運動や、思想の特殊性を抽出総合して斯く呼んでゐるのである。(「ファッシズム研究」赤松克麿)
右述べた一二の者の意見は前書せる様に、社会主義的立場より、ファッシズムに対する理論的解剖をなしたるものであり、その解釈の当否は別として、今日実際問題として諸種の社会主義団体は集会に於いて、或はビラ、檄等に於いて「ファッシズム反対」なる主張を表示してゐる実情であるから、その反対する思想的論拠を知る一半の資料として掲げたものである。
尚ファッショはイタリーで発生した思想であることは既に述べた通りであるが、そのイタリーのファッショと、我国のファッショ―ファッショと名称づけることは正しくないのであるが一般にこの名の下に論じてゐるから、或は疑似ファッショと云ってもよい。―とは発生の動機を異にし、目的を異にし、主義を異にする。
イタリーのファッショ運動の実態は、富豪と中産階級にあるのに比して、我国のファッショ運動は殆んど反対の立場にあるものである。イタリーのファッショの政治の主義は、個人的企業を承認して私有財産は尊重するが、我国のは個人的企業と、私有財産を或は否定し、或は軽視する。
イタリーのファッショの正面の敵は、共産党にあるが、我国のファッショの正面の敵は、資本家と、起業家と、政党である。イタリーのファッショは自ら政党を作り、単一政党ではあるが政党主義に立脚してゐるに対して、我が国のファッショは政党を否認し、官僚専政を目的としてゐる。イタリーのファッショは生産に重きを置くが、我国のそれは分配に重きを置いてゐる。固よりこの差別によって、イタリーのファッショを是とするものでもなければ、我国のそれを非とするものでもない。唯だ、漫然我国の右傾団体をファッショ運動と称し、それをイタリーのファッショ派と混同することはいけない。
我国の政治家の中には、ムッソリにが国事を一身に負ひ、専決独断するのを見て、痛快事とすることから、自然に英雄崇拝の観念より、その政治をも想像し、卓励風発の政治振りの治下には、国民が生々活発であろうと云ふものもあるが、如何なる英雄が出て三面六臂と動かしても、一人の力には限りがある。要は国民全体に自由と活動を与ふるの外、一国の勢力を振起するの途はない。徒らにファッショファッショと騒ぎ立てゝ、肝心のイタリーにファッショが発生したる事情を知らず、目的を知らず、政経を知らず、主義を知らず、唯其の直接行動にのみ痛快味を覚へて、之れに倣はんとすることは感心せぬ。
ムッソリニは日本にファッショの叫びがあると云ふことを聞いて、冷然として、ファッショはイタリーの輸出品ではないと云ったとのことである。
若し事実であるならば、その眼識時流を抜くものである。(「旋風裡の日本」竹越与三郎)
ファッショなる語義は大体「束ね」と云ふことである、ムッソリニの率ゆる黒シャツ隊は常に斧を多くの木で束ねたファッショと称するものを、どこへでも持ち歩いてゐた、そして遂にはその黒シャツ隊そのものをファッショと呼ぶ様になり、更に転じてムッソリニの強力政治そのものを指す様になったのである。

一二、社会ファッシズム
 社会ファッシズムとは、共産主義者が社会民主々義者を指して、悪罵的意味を含めて呼ぶのであって「マルクス主義の仮面を冠れる愛国主義であり、結局資本主義の新しき段階に於ける新しき独裁のための御用主義である」と云ふ意味である。共産主義者に云はせると、社会民主々義も、国家社会主義も、日本主義も皆、資本主義の新しい独裁の型であって、資本主義の延長であるに過ぎない、と見るのである。
而して其の中で、社会民主々義は社会主義の仮面を冠ってゐるから最も危険な敵であると云ひ之れを社会ファッシズムと呼んで、普通のファッシズムと区別してゐる。(緋田工著、特高必携)

一三、大亜細亜主義
白色人種の圧迫に対抗して、全亜細亜民族の結合協同を図り、我国皇室を以て之れが盟主として進んで世界全民族の同化融合に依る理想的世界国家を実現することを主張する。而して此の主義の本質とする所は、日本主義の自国優越思想と一致するものであるが、特に対外的活動を主張する点が此の主義の特徴であると云へる
尤も此の主義の根源は一に我国建国理想に基くもので、即ち建国理想の対外的には消極的に、日本帝国の自衛を完うする外尚積極的に
(イ)日本文化及日本民族性による他民族の文化的、社会的同化融合
(ロ)日本国体たる天皇中心一家的体制を組織原理とする他民族の国家的同化融合
を図るべきものとし、日本精神の内容たるべきものである、此の主義を一口に云ふならば、「日本を盟主として、全亜細亜民族の結成を図らんとする思想」と云へる。
一四、主要右翼団体の主義綱領(括弧内は創立年月並に中心人物)
一、黒龍会(明治三十四年一月、内田良平、伊東知也)
(一)吾人は肇国の宏謨を恢暢して東方文化の大道を闡揚し進んで東西文明の渾和を図り亜細亜民族興隆の指導者たることを期す。
(二)吾人は法治主義の形式に偏して人民の自由を束縛し時務に常識を欠き公私の能率を障碍し憲政の本旨を没却したる百般の宿弊を一洗し以って天皇主義の妙諦を発揮せんことを期す。
(三)吾人は現行制度を改造し外交を振制して海外の発展を図り、内政を改革して国民の福利を増進し、社会政策を確立して労資問題を解決し以って皇国の基礎を鞏固ならしめんことを期す。
(四)吾人は軍人勅諭の精神を奉体して尚武の気風を振作し、国民皆兵の実をあげ以て国防機関を充実せしめんことを期す。
(五)吾人は欧米に模倣せる現代教育の根本的改革を図り国体に淵源せる国民教育の基礎学を建設し以て大和民族の公徳良智を向上発達せしめんことを期す。

二、大正赤心団(大正七年四月 森健二)
(一)皇室を中心とし我国民精神の統一完成に務む。
(二)国体の尊厳を危くする凡ての思想に対し其の撲滅を期す。
(三)帝国憲政の穏健なる発達を庶幾す。
(四)党派に偏せず一意国威の伸長を念とす。
(五)殖民興業の国家的発達に協力す。

三、皇道義会(大正七年 石井三郎)
(一)皇室中心主義を基礎とし憲政有終の美をなすこと。
(二)国民思想を善導し忠誠至純の気風を涵養すること。
(三)大和民族の海外発展に努力すること。
(四)行政機能を刷新し地方自治の発達を図ること。
(五)殖産興業の振興を策し国防を充実せしむること。
(六)尚武右文の士気を振作し国士を養成すること。

四、縦横倶楽部(大正八年六月森傳
(一)日本国体の原理を闡明し、皇道を世界に布かんことを期す。
(二)世界経済連盟を組織し人類共存共栄の実を挙げんことを期す。
(三)人類共存の大義に基き総ての偏狭的思想を撲滅せんことを期す。
(四)社会混沌の病根を剔抉し之が掃蕩を期す。
(五)東西文明の融合を図り順美文明を創造せんことを期す。

五、大日本国粋会(大正八年十月 尾野實信、高田豊樹)
(一)皇室を中心として民族の統一を図り盛んに経綸を行ふ事。
(二)政治を侠道より行ひ政治家に信義を守らしむる事。
(三)韓国併合以来二十年東亜の天地今猶騒乱熄まず生民塗炭に苦しむ、之を救ふは日本国民の天職と信ずる事。
(四)敬神崇祖の念を昂め国民の思想を善導すること。
(五)労資の協力により資本家労働者相互の共存共栄を図り国民生活の安定を得せしむる事。

六、赤化防止団(大正十一年十一月 米村嘉一郎、金輪日東)
(一)赤化は社会秩序の根底を破壊し、人類の幸福を呪詛するものなるが故に本会は一死以って之が防遏に任ずべきを誓ふ。
(二)資本家の横暴と富豪の専恣とは過激思想助長の原因をなすが故に、資本家、富豪に対して極力猛省を促す。
(三)労働運動は爾来社会主義との連絡に依り多く誤解を受けたり。真に労働者の叫びたるときに何人か之に反対せん、本会は極力労働運動の社会主義との分離を期す。

七、満蒙義団
(一)大日本の交流弥弥盛んならしめ国家を永へに泰山の安きに置かんことを期す。
(二)満蒙の沃野を開発し其の実庫を拓かんことを期す。
(三)赤化の侵入を防遏し進んで大亜細亜人の糾合を図り以って異人種に拮抗せんことを期す。
(四)世界公道の咽喉たる此地の制度を鞏固にし以って後日覇を唱ふる基礎を築かんことを期す。

八、大統社(大正十三年 武井裕)
(一)大統社は光輝ある我国体宣揚のため決死殉難の志士によりて結ばれたる血盟たり。
(二)大統社は新興日本の機運に副はざる制度不条理なる旧悪制度の改廃を期す。
(三)大統社は弱小亜細亜諸民族の大同団結を策し奪はれたる亜細亜の奪還を期す。
(四)大統社は進んで外圧の武装的鉄鎖を断ち人種の平等入国貿易の自由を提唱し世界人類の共存共栄を期す。
(五)大統社は一切の行動世俗の毀誉褒貶を顧みず只天の照鑑審判を俟つ。

九、大日本正義団(大正十四年二月 西井栄蔵)
(一)忠君愛国孝行信義の念を専とし、己が稼業に精励すべし、
(二)仁道正義を旨とし、慈悲任侠の道を忘るるな。
(三)自重の念を起し廉耻の心を養ひ共同親和の実をあげよ。
(四)親分は親の如く乾分は子の如く乾分同志は一家兄弟たり。親分の命ずる処は水火も辞せず兄弟は互ひに相親しみ互ひに相扶け又礼儀を忘る可からず。

一〇、神農会(大正一五年十一月(山田春吉)
(一)皇室中心国民相愛の大義に起ちて諸制を釐革し陋習を打破し以て社会平和と国家興隆に資せんことを期す。
(二)質実剛健なる精神の振興を計ること。
(三)社会欠陥の改善不当なる制度の改革促進を計ること。
(四)博愛共有の大義を宣揚すること。
(五)公衆慰安の大道を展開すること。

一一、明徳会(昭和二年三月 塩谷慶一郎)
(一)吾人は忠誠皇室を尊ぶ。
(二)吾人は我が王道の大仁に依って全世界の統制を期す。
(三)我々はボルセヴィズム並にファッシズムを排す。
(四)吾人は社会各階級各個人の正義と自由とを主張す。
(五)吾人は貴族富豪の専恣横暴を許さず。

一二、七生義団(昭和三年八月、小島安次郎、木村清)
(一)我等は帝国憲法を尊重して之を擁護す。
(二)我等は国家社会の秩序破壊者及び煽動者に対して挑戦す。
(三)我等は公徳の尊重維持者を以て自任す。
(四)我等は頑迷を排撃し進歩主義を重ず。

一三、愛国社(昭和三年八月 岩田愛之助)
(一)愛国社は対支問題及び思想問題の研究を為す。
(二)本会は大陸積極政策の遂行及び研究並に思想問題の研究を以て目的とする。

一四、国本社(大正十五年三月 平沼騏一郎男)
(一)本社創始の大使命は我日本帝国の興隆と我が民族の安栄W図るを以て目的とす。
(二)右使命を果す為め国民精神の作興と智徳の並進を主張す。
(三)現下の時弊を匡救せん為質実剛健醇厚中正、独立創始、博愛共存、の美風を涵養せんことを期す。

一五、日本会(昭和二年九月 野一色)
(一)日本文化美性の発揮東西文化の融合。
(二)非日本主義的思想及行動の排撃。
(三)全国的風紀革正の運動。
(四)勤労精神の鼓吹奨励。
(五)自主的対外正義の高唱。

一六、恢引会(大正十三年三月 大井成元)
(一)明治天皇の御遺徳を顕揚し、今上陛下の聖旨を奉戴した国民精神を作興し時弊を矯正し以て国体の精華を発揮せんことを期す。
(二)教育国防に関する事項を討究し以って国運の発展に資せんことを期す。

一七、明倫会(昭和七年七月、田中国重、石原広一郎)
(一)皇祖肇国の神勅を奉戴して天壌無窮の我国体を尊重し忠君愛国及献身奉公の至誠と道徳的観念との普及徹底を期す。
(二)既成政党の積弊を打破して天皇制時の確立国家本位の政治の遂行を期す。
(三)退嬰追従外交を排して自主と正義とを基調とする外交を断行し以て国威国体の宣揚発展を図り且つ大亜細亜主義の実現を期す。
(四)統帥大権の発動並国際的軍備平等権を確保し以て自主的国防の安固を期す。
(五)根本的行政財政及税制の整理を断行し且産業の振興、中正なる経済政策の遂行並民族の海外発展に依って国力の充実及国民生活の安定を期す。

一八、猶存社(大正八年創立、仝十二年行地社其他に解消 大川周明、北一輝、満川亀太郎)
(一)革命的大帝国の建設運動。
(二)国民精神の創造的革命。
(三)道義的対外策の提唱。
(四)亜細亜解放の為めの大軍国的組織。
(五)各国改造状態の報道批評研究。
(六)国柱的同志の魂の鍛錬。

一九、行地社(大正十三年創立、昭和七年二月神武会に解消 大川周明、満川亀太郎 中谷武世
(一)維新日本の建設。
(二)国民的理想の確立。
(三)精神生活に於ける自由の実現。
(四)政治生活に於ける平等の実現。
(五)経済生活に於ける友愛の実現。
(六)有色人種の解放。
(七)世界の道義的統一。

二〇、神武会(昭和七年二月 大川周明)
(一)日本建国の精神、日本国家の本質及国民的理想を闡明し、本末主客を顛倒せる形式的教育の弊風を改革し、真個の日本国民を育成すべき皇国的教育組織の実現を期す。
(二)天皇親政の本義に則り、党利を主として国策を従とする政党政治の陋習を打破し、億兆心を一にして天業を四海に恢弘すべき皇国的政治組織の実現を期す。
(三)一君万民の国風に基き私利を主として民福を従とする資本主義経済の搾取を排除し、国民の生活を安定せしむべき皇国的経済組織の実現を期す。

二一、建国会(大正十五年二月 赤尾敏、津久井龍雄)
(一)我等は普通選挙の実施と共に全国民をあげて天皇に直接し建国の精神に立脚せる真正なる日本民族の日本国家を建設せんことを期す。
(二)我等は日本民族が有色人種の先頭に立ちて全人類の世界文明を実現するの我が歴史的使命を成就せんことを期す。
(三)我等は日本民族の伝統的道徳を維持し軽佻浮薄を排し質実剛健の美風を作興せんことを期す。
(四)我等は国家によりて国民生活を統制し日本国民の天皇の赤子として平等なる所以を徹底し同胞中一人の不幸不平なるものなからしめんことを期す。
(五)我等は各人の有する財産、地位、階級、職業、知識、技能、筋肉が皆国家社会の為に存在することを確信し、犠牲の精神に依りて極度に之れを国家社会に奉ぜしめんことを期す。

二二、大日本生産党(昭和六年六月、内田良平、吉田益三)
(一)大日本主義を以て国家の経論を行ふ。
(二)欽定憲法に遵ひ君民一致の善政を徹底せしむること。
(三)国体と国家の進運に適合せざる法律制度の改廃を行ひ政治機関を簡易化せしむること。
(四)自給自足立国経済の基礎を確立すること。

二三、日本国家社会党(昭和七年五月 赤松克麿、平野力三)
(一)我党は国民運動により金権支配を廃絶し、皇道政治の徹底を期す。
(二)我党は合法的手段に依り資本主義機構を打破し、国家統制経済の実現に依り国民生活の保障を期す。
(三)我党は人種平等、資源衡平の原則に基きアヂア民族の解放を期す。

二四、国粋大衆党(昭和六年三月 笹川良一、畠山義雄)
(一)神武肇国の活精神に培はれたる我国特有の文化を擁護発展せしめ以て国利民福を期す。
(二)産業上の自由競争の弊害を芟除し相互扶助の精神の長養具現を期す。
(三)立法、行政及地方自治に侵徹せる弊●陋習を打破し神州正気の伸張を期す。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437018/2