さて、琉球は薩摩藩の侵攻を受け日本の支配を受け、明治以降は、独自の言語や文化を捨て日本に同化する事を強いられた。その歴史についてここで詳しくは書かない。
また沖縄戦では多大なる犠牲を強いられた。
そして戦後は、アメリカによる占領で苦しみ、日本「復帰」後も米軍基地の引き起こすさまざまな問題で苦しみ続けている。
小林よしのりは、『沖縄論』で、琉球への侵攻・併合について、こう書いている。
「わしは勉強すればするほど、「薩摩侵入」も「沖縄県」への移行も、世界の変動の中から考えると、必然であり、最善のことだったように思えてきた。」(p184)
まず、一つ重要なのは、琉球と日本が同源であり、「同一民族」であったとみなせたとしても、侵略は侵略であることである。
ドイツ語とオランダ語は兄弟言語であり、ドイツ人とオランダ人は同源である。
1940年にナチス・ドイツはオランダを侵攻して占領したが、もちろんこれも侵略である。
同じゲルマン民族だから侵略ではないということにはならないだろう。
サッダーム・フセインは1990年にクウェートに侵攻して併合したが、これも侵略である。
イラクもクウェートも多数派は民族的にアラブ人であるが、同じアラブ人同士だから侵略ではないということにはならない。
また、薩摩が侵入しなかったら異民族が侵略しただろうというのも勝手な言い分であろう。
これは、アイヌを日本が統治しなかったらロシアが統治しただろうとか、韓国を日本が併合しなかったらロシアや中国に支配されただろうという言い分と同じ論法である。
防犯対策が必ずしも万全ではないお店に泥棒に入った盗っ人が逮捕されて、「いや、俺が泥棒しなかったとしても、警備が手薄だったんだからほかの奴が盗んだだろう。俺は悪くない」と言い張るのと同じである。
仮に琉球なりアイヌなり韓国を日本が侵略せず、ほかの国が侵略したならば、その国が後世非難されただろう。
もし日本が侵略しなかったならば、それは日本にとって罪状が一つ減るのだから日本の歴史にとっては名誉だったのではないか。
仮に中国なりほかの国が琉球を侵略したならば、その国の罪が一つ増えるわけだから、日本とは無関係である。
この論法が有効ならば、中国がウイグルを侵略しなければ、ロシアが侵略しただろう、だから中国は悪くない、と言うことができる。
琉球が日本に侵略されたことによって数々の苦しみがあったわけだが、小林よしのりは、それを「必然」であるとか「最善」であるとどうしてみなせるのか。
これが「歴史の必然」であるならば、パレスチナにイスラエルを無理矢理建国したことも、中国のチベット併合やウイグル侵略も「必然」ということになるだろう。
(実際、侵略した側はそうみなしているのだろうが。)