2012年06月05日

琉球・沖縄の位置づけ

このブログは「アイヌ」を中心に民族や文化、言語を論じていく予定で始めたものであるが、その他、関連するテーマについても論じていく予定である。


さて、この文章では、沖縄・琉球について論じたい。
琉球は、「日本」における「民族」を語る上で避けて通れない存在である。

小林よしのりも一時期「ゴーマニズム宣言」で沖縄について論じ、『沖縄論』(2005年、小学館)という単行本が発刊されている。
彼は沖縄を論じたあと、アイヌ論を開始した。ある意味必然的な流れだったのかもしれない。
『撃論ムック』でも沖縄とアイヌを一緒にして論じている。


現在の沖縄県および、鹿児島県の一部である奄美諸島は、もともと琉球王国という日本とは別の国だったことは多くの人が知っているだろう。
それが、薩摩藩の侵略により属国とされてしまったわけである。そして明治の琉球処分によって完全に日本の領土とされてしまったわけである。

琉球王国は中国や日本との交易などによって近隣諸国の文化を取り込みながら独自の文化を発展させた。

たとえば沖縄の楽器として「三線(さんしん)」が有名であるが、三味線は沖縄から伝わった三線がもとになっているものである。日本の代表的な武道の一つとなっている空手も沖縄で伝承されていた武術がもとになっている。


沖縄の言葉は古代の日本語との分かれ目であり、アイヌ語などとは直接関係ない。
現代日本語とは似た言葉も多いであるが、発音がかなり変化している。たとえば米は「クミ」と言い、「星」が「フシ」、「月」が「チチ」などとなる。
しかし「太陽」は「ティーダ(車の名前にも使われている)」となりまったく違う。
この沖縄語を沖縄本島の多くの地域では「ウチナーグチ(沖縄口)」と呼んでいる。

たとえば「明日札幌に遊びに行きたいですが、お金がないです」を那覇の言葉で言うと「アチャ 札幌ンカイ アシビーガ イチブサイビーシガ、ジンヌ ネービラン」となり、我々の普段使っている「日本語」とはかなり違っている。


以下は沖縄で行われたウチナーグチの弁論大会の動画である。
これなどを聞いて、沖縄語の知識がある人以外はほとんどチンプンカンプンだろう。
http://www.okinawabbtv.com/culture/shimanukutuba/ipan.htm


これなども、沖縄語を努力して習得し、今活躍中の若手の話者と、沖縄語を母語話者との対話だが、まずさっぱり意味が分からないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=yLvobA9BBtg


なお、現在沖縄で日常的に話されている言葉は、ヤマト語(要するに日本語)にウチナーグチの単語を織り交ぜ、沖縄で独自に発展したもので、これはウチナーヤマトグチなどと呼ばれるもので、本来のウチナーグチではない。
沖縄が舞台の映画やドラマで耳にするのも大部分これであり、本当のウチナーグチのように、ヤマトの人間が聞いてチンプンカンプンのものではない。
もともと琉球の人たちが話していた言葉はかなり独自のものなのである。


また、琉球諸島の諸言語は島によっても相当の違いがある。
沖縄本島内部でも地域差があるが、宮古・八重山などはかなり違い、奄美諸島の言葉もこれまたかなり違う。
分類によっては、沖縄語・奄美語・宮古語・八重山語などと一つ一つを独自の言語と考えることもできる。
国連のユネスコなどではそれぞれ別の言語としてみなし、アイヌ語と並んで日本国の少数言語としている。


私の友人で石垣島出身の人がいるが、彼は自分たちは「沖縄人」ではないとよく言う。
人頭税のことは有名であるが、宮古・八重山(先島とも言う)の人たちは琉球王国の支配に苦しんだ歴史もある。

また現在鹿児島県の一部である奄美諸島もかつて琉球王国の一部であったわけであるが、「沖縄」ではない。
かつての琉球王国だった範囲の島々に住んでいた人たちの歴史や文化自体画一的なものではなく、多様なものであることは忘れてはいけない。


さて、この琉球の諸言語と日本語は、兄弟(もしくは姉妹)である。
繰り返しになるが、琉球の言葉を日本語の「方言」とみなすこともできるし、今は琉球の言葉を「方言」と表現することも多い。
確かに琉球語は日本語の分かれ目であるのだから、そうみなすこともできる。

アイヌ語については、まったく系統の違うものであるから、これはどう考えても日本語の方言とみなすことはできない。


すでに論じたように、言語の分類には必ずしも客観的な区分はない。
http://poronup.seesaa.net/article/266025946.html


このブログを読んでくれる人の多くは日本の義務教育を受けているはずなので、英語はある程度分かるはずである。
ドイツ語を学んでみると、英語とかなり似ていることが分かる。

下にいくつかの単語を並べてみる。

日本語  りんご  水    父    塩
英語   apple water father salt
ドイツ語 Apfel Wasser Vater Salz


「私は英語を話すことができる」を英語とドイツ語に訳すと、


I can speak English.
Ich kann Englisch sprechen.


となる。英語とドイツ語は元を一つにする兄弟言語なのである。
(ともにゲルマン語族となる。)


さらに隣り合っているドイツ語とオランダ語となるとかなり似ているし、北欧の諸言語(フィンランド語をのぞくノルウェイ語・スウェーデン語・デンマーク語)もそれぞれドイツ語や英語に似ていたりする。


さて、琉球語も日本語に似ており、同源なので日本語の「方言」であるともみなせる。
とはいえ、独自の歴史を歩んできた琉球の言葉については、琉球語と呼んだり、沖縄語もしくは奄美語と呼んだりすることも可能なのである。


小林よしのりは、沖縄はヤマトと同源であるから同一民族であるとみなしているが、これは定義によって位置づけも変わる問題なのである。
少なくとも、同源であるから「同一民族」であるという解釈が唯一ではないことは確認しておきたい。

琉球の人たちを「琉球民族」とみなすことも十分可能なのである。

琉球王国がもし日本に併合されず、琉球という別の国であり続けたならば、琉球の人たちは琉球人・琉球民族・
と呼び、その人たちの言語は琉球語と呼ばれていたであろう。

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posted by poronup at 00:02| 北海道 ☔| Comment(4) | 琉球・沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして、通りすがりの者です。

ウチナーンチュは原日本人(縄文人)の末裔。
ヤマトンチュは原日本人と渡来人の混血の末裔。
ウチナーグチは原日本語。
と聞いたことがあります。
また
「琉球」とは、当時の中国側が勝手にそう呼んでいた東シナ海の向こう側の島々の総称で、
当時の沖縄の正式名称は「あじなわ」、もちろん日本としての。
とも聞いたことがあります。
それらが事実ならば
ウチナーンチュこそ、日本人の中の日本人てことになりますね。
Posted by ウチナーンチュ at 2013年11月03日 05:14
コメントありがとうございます。

私は「琉球」という名称は、沖縄と奄美を含んだ概念で使っています。
沖縄と書くと奄美は含まれませんよね?
奄美のことは忘れられがちですが、奄美も琉球を構成した大きな要素だと思います。

「琉球」はもとは「流求」と中国の歴史書に書かれたのが初出らしいですが、台湾を指す場合もあったようですね。


「日本」という名称も中国との関係で定着した国号のようです。
ニホンはヤマト言葉ではなく漢語ですからね。

ただ、本来は、琉球国と日本国はもともと別の国だったので、本来は日本に琉球は含まれなかったはずです。
同源であったとしても存在としては対等なものだったはずです。
それが併合によって日本に琉球が含まれることになったわけです。

オキナワ(ウチナー)がアジナワから来ているというのはよく聞きますが、「もちろん日本としての」というのはどういう意味でしょうか?
その頃のアジナワは日本に含まれなかったと思うのですが。

アイヌと沖縄(琉球)が「原日本人」だという説がよく言われますが、遺伝子などの研究が進み、アイヌと沖縄は必ずしも一致しないという見解も出ているようです。
そう単純な話ではないかもしれません。

そもそも、日本列島に同じ文化や言語を持った一つの「縄文(原日本)人」がいたとは考えにくいです。

アイヌと沖縄を比較すると、容貌は似てますが、言語はまったく違うし、文化もあまり似てないような気がします。
でも無関係には思えないし、今後解きほどくべき問題だと思います。
Posted by poronup at 2013年11月04日 15:06
稚拙な知識へのご返答ありがとうございます。

あと、沖縄の人々に深く根付いている土着信仰は、古神道のプロトタイプだというのもあります。

>オキナワ(ウチナー)がアジナワから来ているというのはよく聞きますが、「もちろん日本としての」というのはどういう意味でしょうか?

何となくそう記憶していました(日本文化圏)。実の所、詳しいことは知りません。私の願望がそうさせたのかもしれません。
ただ、個人的な見解なんですが(もちろん稚拙ではありますが)
太古の昔、極東に浮かぶ列島(日本・トカラ)に住む人々および国々は、同じ縄文人系、同じ言語系、同じ信仰系だったんじゃないかと思っています。

Posted by ウチナーンチュ at 2013年11月11日 03:42
お返事ありがとうございます。
遅くなってすいません。

私もアイヌについてはそこそこ資料を集めて勉強してきましたが、沖縄についてはまだまだです。私こそ稚拙です。
それでもそれなりにいろいろ文献を読んだりしながら考えてきました。

古代の日本列島に住んでいた人たちの生活がどのようなものであったのか、についてはまだよく分かりません。
土を掘れば土器や骨は出てきますが、彼らの話していた言葉や、彼らの信仰してきた信仰は発掘しても分かりません。

ただ、私の考えとしてはすでに書いたように、むしろ、現在日本列島に住んでいたさまざまな人々にはそれぞれの文化があったのではないかと思うのです。
アイヌ自身も地方によって風習や言葉の違いが大いに見られます。
琉球も島によって風習や言葉がかなり多様なのはウチナーンチュ様もご存知ではないかと思います。

和人も一つの画一的な集団ではありませんでした。
本州の中でも東北・北陸・信州・関東・中部・関西・中国など地方によってさまざまですし、四国・九州も独自の風土を持っています。
九州にはハヤトやクマソがいたことが分かっています。

古代においてこれらの人たちが共通の言葉や風習を持っていたとは考えられないのです。近隣の人たちはお互い接触する機会はあるにせよ、離れていると交流はなかなかありません。
むしろ国家による統一によって画一化が進んだと思われるのです。
でもまだはっきりしたことは分かりません。
真相は霧の中です。

またいつでもお越しください。ありがとうございました。
Posted by poronup at 2013年11月18日 07:56
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