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6月3日のブログに、水師営の会見でのステッセル露将軍の話を書きました。それかあらぬか今回は、先日亡くなった日露会戦の英雄東郷平八郎一族に関する訃報を記さねばなりません。
東郷尚武(とうごうひさたけ)氏。都庁の大先輩です。昭和6年生まれですから享年82歳でした。学習院を出て入庁、都市計画に精通し「都市政策の展開」など多くの著書を残す一方、ロンドン大学にも留学し、都庁きっての国際派の一人といわれました。
幕末に江戸城受け取りの責任者になった海江田信義の曾孫であり、東郷平八郎をその一族にする名家の出です。しかしその人懐っこさと開明的な言動には常に啓発されることが多く、又もっとも私に目をかけてくれた職場の先輩でした。
その先輩がある日私にこう小さく呟いていたことが忘れられません。「東郷平八郎といってもね、日露戦争は日本帝国主義の走りだという人もいますから」。
先輩にとって終戦は15歳の時。そこから始まる戦後の反戦平和の大合唱の中で、東郷一族であることに肩身の狭い思いをして来たかもしれません。ふっとそう思わせる呟きでした。社会風潮というのは時に傲慢にして残酷なもののようです。