鉄路の行方 JR四国30年
JR四国30年 2 速度向上 2017/8/18 15:51
|
|
振り子式のディーゼル車はJR四国が1989年に世界で初めて開発した。急ピッチで整備が進む高速道路に対抗するためだ。その最初の車両となった2000系は、最高時速がそれまでの車両を10キロ上回る120キロで、ディーゼル車が苦手とする上り坂も難なく疾走した。土讃線と予讃線で営業運転を始め、岡山―高知間の所要時間を18分短縮した。
鉄道ファンでつくる鉄道友の会四国支部の井上武支部長(66)=徳島市二軒屋町1=は「2000系は山の中をジェットコースターのように駆け抜ける画期的な車両だった」と思い起こす。
98年にはさらなる高速化へ、最高時速130キロのN2000系が高徳線に本格投入された。他の路線でも枕木のコンクリート化や通過線の直線化などの改良が進められ、民営化当初と今を比較すると、徳島―高松間は最短で1時間26分から58分へと28分短縮、徳島―阿波池田間も14分短縮し1時間9分に、徳島―牟岐間も21分短縮し1時間8分に、それぞれ高速化を果たした。これらの取り組みは一定の効果を上げたが、高速道との競争に勝ち切ることはできなかった。
四国に初めて高速道が通ったのは、85年のこと。愛媛県の三島川之江―土居間の11キロが4月に開通した。その後、4県で着実に延伸し、本州とつながる瀬戸大橋の88年開通、明石海峡大橋の98年開通などに続き、2000年には四国4県の県庁所在地が高速道で結ばれた。現在は総延長660キロに及ぶ。
JRにとっても瀬戸大橋の開通は大きな効果があった。開通した88年度の鉄道運輸収入は前年度を26・7%上回り、しばらくは好調が続いた。しかし、高速道が整備されるに連れ、鉄道の優位性は薄れ、乗客が減少。さらに09年には民主党政権下での千円高速により、乗客離れが加速した。16年度の収入は、ピークだった1996年度の370億円を36・2%下回る236億円にまで落ち込んだ。
JR四国は近年、高速化に積極的ではない。西牧世博(つぐひろ)専務・鉄道事業本部長は「やれることはやった。徳島線や牟岐線では路線直線化の余地はあるが、投資に見合う効果があるかどうか」と話す。
その姿勢は、11日に高徳線で初の営業運転を行った新型ディーゼル特急2600系にも現れている。最高時速は120キロと、N2000系より10キロ遅くし、車両の調達価格を抑えた。傷みやすい振り子式をやめて空気ばねを採用し、維持費の削減も図っている。
一方で、高徳線と並行する高松自動車道では4車線化工事が行われ、徳島―阿南間でも四国横断道の建設が進む。路線維持にさらなる暗雲が立ち込めている。(高松支社・宮本真)
【写真説明】車体を傾けてカーブを通過するN2000系=高松市内
- JR四国30年 2 速度向上 8/18 15:51
- JR四国30年 1 厳しい経営環境 8/18 15:43
WEB週間ランキング(特集・連載)
注目コンテンツ
徳島新聞社から
|