「加計で決まり」ではない
だから、この話は政府側からみても、そもそも具体的に手を挙げている事業者がいるのかどうかは重要なパズルのピースだった。その意味で「加計ありき」かといえば当然、ありきである。
実際、松野博一文科相は7月24日の国会閉会中審査で、国家戦略特区諮問会議が獣医学部を新設できるように告示を改める方針を決めた昨年11月9日の前日、事前相談という形で加計側に懸念事項を文書で伝えたことを認めている。
事前相談できたのは「加計学園がそこにいた」つまり「ありき」だったからだ。
ただし、である。加計がいたところで、直ちに加計に決まるわけではない。他に手を挙げる事業者がいれば当然、そこも審査の対象になる。一足先に手を挙げていた加計は有力候補の一つだったが、他にも手を挙げる事業者がいれば当然、そことの競争になるのだ。
加計がなければ、申請は無意味なのだから「加計ありき」ではある。だからといって「加計で決まり」なのではない。ここが重要なポイントである。
なぜ野党や左派系メディアは「加計ありき」で大騒ぎしているのか。安倍首相が加計学園になんらかの便宜を図った可能性があるとみているからだろう。だが「加計ありき」と「便宜を図った」という話は本来、まったく別である。
首相が便宜を図っていなくても、加計が手を挙げている場合はある。今回はそれだ。加計が登場したのは、首相が便宜を図ったからか。そうではない。その点は加戸・前知事が7月10日の閉会中審査で証言した。「今治選出の愛媛県議と加計学園の事務局長が友人だった」ので、加戸・前知事はその話に飛びついたのだ。
朝日新聞など左派系メディアは加戸・前知事の証言をほとんど報じなかった。彼らは証言の重要性を理解していなかったか、故意に無視した。「加計ありき」とは「首相介入の結果」というストーリーを強調したかったからだ。まさにフェイクニュースである。
野党や左派系メディアは「加計学園が先にいたのは首相が便宜を図っていたから」という意図的な思い込みで「加計ありき」と言っている。それはまったくバカげている。加計が先にいたとしても、首相が特別な便宜を図っていなければ、なんの問題もない。
加計の理事長が首相の友人かどうかも関係ない。彼らは事実関係を間違えているだけでなく、話の論理的筋道も理解していない。こうなると、頭が悪いとしか言いようがない。念のため、繰り返そう。首相が便宜を図った結果、加計が先にいたわけではないのだ。
安倍政権は機会があるなら、以上の事実関係と話の筋道をもっと分かりやすく国民に説明すべきだ。「加計ありき」という言葉を否定するあまり、問題の本質がかえってあいまいになっているきらいがある。政権にとって、重要なのはあくまで「首相が便宜を図った事実はない」という点だけではないか。