「リラグルチド」(商品名「ビクトーザ」)、「エキセナチド」(商品名「バイエッタ」「ビデュリオン」)、「リキシセナチド」(商品名「リキスミア」)、「デュラグルチド」(商品名「トルリシティ」)などがすでに商品化されているが、いずれも糖尿病薬としては理想的なものと考えてよいと鬼頭氏はいう。服用には、自己注射するのが効果的だそうだ。
では、さらに一歩進めて、今後、アルツハイマー病そのものを治療する薬が開発される可能性はないのだろうか。
1つの候補として、女性ホルモンのエストロゲンには認知機能を高める作用があり、アルツハイマー病予防に有効と考えられるという。鬼頭氏と新郷氏はラットを使った実験で、エストロゲンと同等の作用をもつイソフラボン(大豆の成分)を投与したラットは、認知機能に大きな向上がみられることを証明した。
性ホルモンは加齢とともに減少していくが、不思議なことに50歳以上の男女を比べると、女性ホルモンであるエストロゲンは男性のほうが多くもっている。男性は男性ホルモンのテストステロンをエストロゲンに変換することができるからだ。それに比べ、女性は更年期になるとエストロゲンが急速に減少し、70歳前後で枯渇する。
アルツハイマー病は男性よりも女性に多いのは、こうした理由からなのだ。その意味で、ホルモン補充療法はとくに女性にとっては、アルツハイマー病予防の有効な選択肢の1つと考えられるという。
しかし鬼頭氏はさらに、根本的なアルツハイマー病治療薬の可能性について言及する。
「脳の糖尿病とは、つまるところ脳内のインスリン作用の不足ですから、究極としては、インスリンをアルツハイマー病薬として使うことが最も合理的です」
その意味で、最善の治療薬と考えられるのは経鼻インスリン吸入薬だという。脳との関係が最も直接的な感覚器官である鼻から吸入することで、インスリンが効率よく脳に届くからだ。
実はすでに米国では、「アフレッツァ」「アビドラ」などの経鼻インスリン吸入薬がアルツハイマー病治療薬として発売され、あるいは試用段階にある。しかし日本では残念ながら、まだ経鼻インスリン吸入薬の使用は認められていない。
それでも、希望はあると鬼頭氏はいう。
「さきほど糖尿病治療薬の第一選択としてあげたGLP‐1受容体作動薬は、アルツハイマー病の根本的治療薬としても、現状で使用できる数少ないものの1つであると考えられます」
GLP‐1に多くの有益な作用があることは前述したが、実はこのホルモンは脳でもつくられていて、神経の成長やシナプス機能の向上に貢献していることが確認されている。そして、海馬においては神経細胞を増やし、傷ついた神経細部を修復し、アミロイドβタンパクによる神経細胞の障害を抑制して、「魔のリレー」の発動をくいとめる働きをしていると考えられているのだ。
これらの作用を強化するGLP‐1受容体作動薬には、まさにアルツハイマー病対策の切り札となる可能性があるという。
「しかし、これらの薬の処方には、現行の健康保険制度では医師によって糖尿病の診断を受けていることが必要です。利用の幅を広げるためには、適応症を追加するなどの社会的・政治的な配慮が望まれます」(鬼頭氏)
2015年、米国のウィスコンシン大学とアイオワ大学の共同研究によって、全身のインスリン抵抗性の高まりが、脳の糖代謝の低下と関連していることが示された。
アルツハイマー病が「脳の糖尿病」であるという考え方は、いまや多くの研究機関で受け入れられ、研究が始まっている。冷静にみれば、それらはまだ基礎研究の段階だが、人類が苦戦をしいられてきたアルツハイマー病との戦いに、いずれはパラダイムシフトが起きることを予感させる。
いまこのときも介護で苦しんでいる人たちのために、そのときが一日でも早く訪れることを願いたい。