5年間の推移を見てみると、興味深いことが分かる。最終的にはあらゆる資産価格が物価の上昇に合わせて上がっていくが、そのスピードはまちまちである。つまり資産の価格上昇にはタイムラグがあり、すべての資産が物価上昇と同じタイミングで上がっていくわけではないのだ。

 インフレの初期において、物価に先んじて上昇したのは外貨(フラン)と金であった。外貨と金が先に上昇を開始し、その後、物価が外貨に追い付くという状況であった。現在でもそうだが、外貨はもっとも流動性が高い資産のひとつであり、インフレの状況を敏感に察知する(アベノミクスに真っ先に反応したのも為替であった)。もし今後、インフレ懸念が台頭してきた場合、まずはドルを購入することが有益なヘッジ手段になり得るということを歴史は示している。

 一方、物価とは逆の動きを示したのが株価である。最終的には株価も物価に合わせて上昇していくのだが、インフレ初期の段階では、市場が混乱したことで逆に株が売られた。インフレの進行で日用品の値段も急騰していることから、当面のキャッシュを確保するため株を売った投資家も多かったと考えられる。

 インフレ初期において、外貨や金が上昇し、株価が下落したという事実は、ここに大きな投資機会が存在していることを示している。つまりインフレ初期に外貨や金に資金を投じ、そこで得た利益を株式に回すことができれば、インフレが収束した時には、物価上昇分以上の収益を得られる可能性が見えてくる。

 実際、ドイツではインフレが中盤に差し掛かると、買われ過ぎの反動から外貨と金が売られ、逆に株価が割安であるとして、株が急騰するという局面があった。確かに敗戦やインフレによって市場は混乱したが、だからといって、当時も世界的な自動車メーカーであったダイムラーが自動車の生産をストップするわけではない。

 国内の物価がどうあれ、輸出されたダイムラーの車は現地通貨で販売され、為替が割安になった分、見かけ上の売上高は増加することになる。この状況を市場が無視するわけはなく、今度は株式に対する買いが殺到する状況となった。

 ベルリンの株式取引所には買い注文が殺到し、処理が間に合わず、立ち会いを週3日に限定したともいわれている。庶民の中には株で生計を立てる人が現れたという話もあるくらいだ。