|ブログコメントについて【書き込みのルール】
・ 京極隊に関する話題以外のコメントはご遠慮ください。
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または長文のコメントはご遠慮ください。
・ お問い合わせや質問は、「お問い合わせ」より事務局宛にメールを
お送りください。
・ キャスト及び他のFANの方、丸亀市などを誹謗中傷したり不快感を
与えるようなコメントはしないでください。
・ 電話番号、メールアドレス、住所などの個人情報、
また通常では知りえないキャストのプライベートな情報等は
書き込まないでください。
・ 商用利用、宗教活動、物品交換等、売買に関する
コメントはしないでください。
※上記のルールが守られていない場合、事前の通知なしにコメントを削除させて
いただくことが御座います。また、その方のIPアドレスを拒否させていただく
場合もございますので、予めご了承ください。
2014年03月31日
京極隊事務局から
「遥かなる婆娑羅の志(こころ)」
熱き血流れる 婆娑羅の戦士
遥かな時を超え よみがえる
戦場(いくさば)に咲くは 武士(もののふ)の華
心に咲かせるは 愛の華
疾きこと風の如く 嵐の如く
希望あふれる明日(ひ)を 迎えるため
丸亀バサラ京極隊 今ここに[見参!]
愛の剣(つるぎ)かざし 命尽きるまで闘う
この世にあらわれる 婆娑羅の戦士
正義の名の下(もと)に よみがえる
戦場(いくさば)に響く 武士(もののふ)の鼓動
心に響かせる 愛の鼓動
疾きこと風の如く 光の如く
美しく大地を 伝えるため
丸亀バサラ京極隊 今ここに[見参!]
愛の扇かざし 命ある限り闘う
武士(もののふ)は 死ぬことと見つけたり
戦(いくさ)に 生きる者のさだめ
己(おのれ)を 貫く心意気
婆娑羅の心意気 婆娑羅の心意気
丸亀バサラ京極隊 今ここに[見参!]
愛の剣(つるぎ)かざし 命尽きるまで闘う
見守って下さったすべての方々のお幸せを心からお祈り致します!
3年間、本当にありがとうございました
丸亀京極観光ナビゲーター運営事務局
熱き血流れる 婆娑羅の戦士
遥かな時を超え よみがえる
戦場(いくさば)に咲くは 武士(もののふ)の華
心に咲かせるは 愛の華
疾きこと風の如く 嵐の如く
希望あふれる明日(ひ)を 迎えるため
丸亀バサラ京極隊 今ここに[見参!]
愛の剣(つるぎ)かざし 命尽きるまで闘う
この世にあらわれる 婆娑羅の戦士
正義の名の下(もと)に よみがえる
戦場(いくさば)に響く 武士(もののふ)の鼓動
心に響かせる 愛の鼓動
疾きこと風の如く 光の如く
美しく大地を 伝えるため
丸亀バサラ京極隊 今ここに[見参!]
愛の扇かざし 命ある限り闘う
武士(もののふ)は 死ぬことと見つけたり
戦(いくさ)に 生きる者のさだめ
己(おのれ)を 貫く心意気
婆娑羅の心意気 婆娑羅の心意気
丸亀バサラ京極隊 今ここに[見参!]
愛の剣(つるぎ)かざし 命尽きるまで闘う
見守って下さったすべての方々のお幸せを心からお祈り致します!
3年間、本当にありがとうございました
丸亀京極観光ナビゲーター運営事務局
京極隊事務局から
皆様、丸亀市観光ナビゲーター「丸亀城バサラ京極隊」及び「京極くん&うちっ娘」を応援して頂き、誠にありがとうございました。
京極高朗より事務局に託された内容を掲載致します↓ ↓ ↓
高朗、想い
われこそは丸亀藩6代目藩主京極、高朗である。
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この記事が、わし高朗からの最期の記事である。
まずは、これまで、われわれ丸亀城バサラ京極隊のブログを見にきてくれて、誠に感謝である。記事が更新されない時も多くあり、誠に申し訳なかった。それにも関わらず、たくさんの者がブログを見にきてくれておった。皆には、誠に頭が下がる。このブログで、もっともっと発信すべきことがたくさんあったし、もっともっと記事にしたいことがたくさんあった。それができなかったことが非常に悔しい。これからは更新されることはないが、恐らく、このブログは、この現代の世でわれわれが生きた証として残るであろう。これまで出会った、そして、ブログを見にきてくれた、全ての皆との想い出となり、今後、ここにたどり着いた皆にとっては、丸亀を知ってもらい、丸亀に興味をもってもらう、きっかけとなってくれたら、何よりである。
いろいろ想いを記す前に、ちょっとした、お知らせを一つ。香川県の情報誌「月刊香川こまち Komachi」の4月号に、わしがちょこっと載っておる。

先月の香川丸亀国際ハーフマラソン大会の時に撮って頂いたものである。嬉しいねぇ。載せて頂き、誠に感謝である。
これまで3年間、われわれ丸亀城バサラ京極隊が現代の世に蘇り、ずっと活動してくることができたのは、全て、われわれを支えてくれた皆、応援してくれた皆、出会ってくれた皆のおかげである。誠に、誠に、感謝である。
われわれは、それぞれの時代では、殿や姫としておったわけであるが、現代の世では、われわれの力は微力であり、丸亀をもっと知ってもらうために蘇ってきたが、なかなか力になれなかった。誠に、申し訳ない。もっともっとやるべきこと、やりたいことはいっぱいあったが、力不足でできなかったことが非常に悔しい。
しかし、この現代の世で、たくさんの者と出会うことできた。このたくさんの出会いこそ、わしの宝である。皆と出会うことができて、誠に良かった。そして、これから、われわれと出会ってくれた皆が、もっと丸亀を好きになってくれて、少しでも、丸亀の良さを広めてくれたら、わしは嬉しい。
丸亀は、誠に素敵な町である。丸亀には、素敵なもの、素敵ことがたくさんある。丸亀城、中津万象園、猪熊源一郎現代美術館、讃岐富士こと飯野山、本島を始めとする塩飽諸島、骨付鳥、飯山の桃、丸亀おしろまつり、まるがめ婆娑羅まつり、香川丸亀国際ハーフマラソン大会、そして、丸亀うちわ、「うちわ、最高ー!」、などなど、あげていけばきりがないが、誠に、魅力いっぱいの町である。もっともっとたくさんの者に知ってもらい、もっともっとたくさんの者に丸亀を訪れてもらいたい。これからも、丸亀をよろしくである。
われわれ丸亀城バサラ京極隊は、この現代の世を去るが、わららの心強い仲間、京極くん&うちっ娘は、これからも様々な催しなどに登場し、丸亀を盛り上げてくれる。引き続き、京極くん&うちっ娘の応援もよろしくである。
この3年間、辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、たくさんあったが、皆がおってくれたから、くじけず、これまで進んでくることができた。そして、皆がおってくれたから、楽しいことが、より楽しく感じることができた。現代の世で生きることができて良かった。そう思えるのも、全て、皆がおってくれたおかげである。皆、誠に誠に感謝である。ありがとうございました。
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われこそは、丸亀城バサラ京極隊、京極高朗である。
高朗
京極高朗より事務局に託された内容を掲載致します↓ ↓ ↓
高朗、想い
われこそは丸亀藩6代目藩主京極、高朗である。
この記事が、わし高朗からの最期の記事である。
まずは、これまで、われわれ丸亀城バサラ京極隊のブログを見にきてくれて、誠に感謝である。記事が更新されない時も多くあり、誠に申し訳なかった。それにも関わらず、たくさんの者がブログを見にきてくれておった。皆には、誠に頭が下がる。このブログで、もっともっと発信すべきことがたくさんあったし、もっともっと記事にしたいことがたくさんあった。それができなかったことが非常に悔しい。これからは更新されることはないが、恐らく、このブログは、この現代の世でわれわれが生きた証として残るであろう。これまで出会った、そして、ブログを見にきてくれた、全ての皆との想い出となり、今後、ここにたどり着いた皆にとっては、丸亀を知ってもらい、丸亀に興味をもってもらう、きっかけとなってくれたら、何よりである。
いろいろ想いを記す前に、ちょっとした、お知らせを一つ。香川県の情報誌「月刊香川こまち Komachi」の4月号に、わしがちょこっと載っておる。
先月の香川丸亀国際ハーフマラソン大会の時に撮って頂いたものである。嬉しいねぇ。載せて頂き、誠に感謝である。
これまで3年間、われわれ丸亀城バサラ京極隊が現代の世に蘇り、ずっと活動してくることができたのは、全て、われわれを支えてくれた皆、応援してくれた皆、出会ってくれた皆のおかげである。誠に、誠に、感謝である。
われわれは、それぞれの時代では、殿や姫としておったわけであるが、現代の世では、われわれの力は微力であり、丸亀をもっと知ってもらうために蘇ってきたが、なかなか力になれなかった。誠に、申し訳ない。もっともっとやるべきこと、やりたいことはいっぱいあったが、力不足でできなかったことが非常に悔しい。
しかし、この現代の世で、たくさんの者と出会うことできた。このたくさんの出会いこそ、わしの宝である。皆と出会うことができて、誠に良かった。そして、これから、われわれと出会ってくれた皆が、もっと丸亀を好きになってくれて、少しでも、丸亀の良さを広めてくれたら、わしは嬉しい。
丸亀は、誠に素敵な町である。丸亀には、素敵なもの、素敵ことがたくさんある。丸亀城、中津万象園、猪熊源一郎現代美術館、讃岐富士こと飯野山、本島を始めとする塩飽諸島、骨付鳥、飯山の桃、丸亀おしろまつり、まるがめ婆娑羅まつり、香川丸亀国際ハーフマラソン大会、そして、丸亀うちわ、「うちわ、最高ー!」、などなど、あげていけばきりがないが、誠に、魅力いっぱいの町である。もっともっとたくさんの者に知ってもらい、もっともっとたくさんの者に丸亀を訪れてもらいたい。これからも、丸亀をよろしくである。
われわれ丸亀城バサラ京極隊は、この現代の世を去るが、わららの心強い仲間、京極くん&うちっ娘は、これからも様々な催しなどに登場し、丸亀を盛り上げてくれる。引き続き、京極くん&うちっ娘の応援もよろしくである。
この3年間、辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、たくさんあったが、皆がおってくれたから、くじけず、これまで進んでくることができた。そして、皆がおってくれたから、楽しいことが、より楽しく感じることができた。現代の世で生きることができて良かった。そう思えるのも、全て、皆がおってくれたおかげである。皆、誠に誠に感謝である。ありがとうございました。
われこそは、丸亀城バサラ京極隊、京極高朗である。
高朗
京極隊事務局から
皆様、丸亀市観光ナビゲーター「丸亀城バサラ京極隊」及び「京極くん&うちっ娘」を応援して頂き、誠にありがとうございました。
京極高朗より事務局に託された内容を掲載致します↓ ↓ ↓
高朗、うちわ収集録3~11完
うちわの殿様、高朗である。
そう、わし高朗の中途半端にしておったブログ二大企画が「こんぴら丸亀街道 朗遊記」と、もう一つが「うちわ収集録」である。こちらも、結局、記事にできておらず、誠に申し訳ない。まぁ、わしの単なる、うちわ収集自慢でしかないが、こちらも、われわれの事務局に託させてもらった。またもや一気にどーんといくので、さらーっとでも見てもらえたら、嬉しい。というわけで、一気に「うちわ収集録」、いってみよう。
さぁ、うちわの殿様「高朗」の時間がやってきた。
『行き詰まる藩財政を立て直すべく、ここ丸亀の地に、このうちわ作りを広めたのは、まさにこの高朗の時代である。』
そんな高朗、現代に蘇ってきても、うちわに対する情熱・愛情は、誰にも負けない。
というわけで、うちわ大好き高朗の現代に蘇ってきてから収集したうちわの数々を気まぐれに紹介していこう。
まずは、こちら。
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わしが写っておる。こちらは、一年目に、丸亀城内にある「うちわ工房 竹」の方が作ってくれ、頂いたものである。その当時の京極隊の面々に作ってくれたようで、わしのは最初の頃に少し体験したうちわ作りの時の一場面をこうしてうちわに残してくれた。嬉しかったねぇ。
ちなみに、もう一面には、

「伊予竹に 土佐紙貼りて 阿波ぐ(扇ぐ)れば 讃岐(丸亀)「うちわ」で 四国(至極)涼しい」とある。四国の地を文字った素敵な一文である。
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「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
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こちらは、わしが現代の世に蘇って気に入って購入したものの中の一つである。柄が丸い竹のままの丸柄のうちわである。何より、色が良いねぇ。
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「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
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こちらは、歌舞伎の演目「暫」の、うちわである。「んっ?どこかで見たことある。」という者もおるであろう。そう、こちらは、われらが道誉様がもっていらっしゃたものである。わしは、なぜか一度も会うことが叶わなかったのであるが、どうやら道誉様が置き土産に残されたようなので、うちわ好きのわしが頂いたというわけである。道誉様の形見のようなものである。これって、どうよ?

「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
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こちらは、丸亀おしろまつりのうちわである。丸亀おしろまつりのうちわは一度紹介したが、こちらは2013年のものである。毎年こうやって、たくさんのうちわを作って配ってくれる。ありがたいねぇ。本年の丸亀おしろまつりも5月3日、4日に行われるので、是非、遊びに来てね。
ちなみに、もう一面には、
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もちろん、丸亀ボート。ナイターレースもある丸亀ボート、生で観るボートレースは迫力満点である。こちらも、是非、観に遊びに来てね。
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「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
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こちらは、2013年の瀬戸内国際芸術祭のうちわである。しかも、丸亀の本島も会場となった秋会期のものである。色が良いねぇ。
もう一面には、
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本島の作品が紹介されておる。わしも観に行ったが、素敵であったねぇ。作品はもうないであろうが、本島は見所いっぱいの魅力的な島であるので、是非、訪れてみてね。
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「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
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こちらは、わしが、自ら作ったうちわである。昨年の今くらいの時期であったかな、丸亀城内の「うちわ工房 竹」で、うちわ作り体験をした。ほぼ全ての工程をやらせてもらったが、大変であったよ。改めて職人さんたちの素晴らしさを感じたねぇ。実に貴重な経験をさせてもらった。丸亀城が描かれた、燃えるような赤のうちわ、なかなかの出来であろう?皆も、是非、うちわ作り体験してみてね。
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「うちわ、最高ー!」
次は、小さいものを二つ。
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こちらは、通常のうちわの半分くらいの、いや、もっと小さいかな、小型のうちわである。ちょこんと鞄などにも入り、持ち運びにも便利である。紅葉の葉が入っており、素敵であろう?何より、色が良いねぇ。
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こちらは、なんと、しおりうちわである。本に挟むしおりをうちわにした?うちわをしおりにした?実に、素敵な発想から作られたものである。おもしろいであろう?これまた、色が良いねぇ。
この二つは、丸亀城内の「うちわ工房 竹」で購入した。欲しいと思った者は、是非、丸亀城を訪れて、丸亀城を楽しんで、買って帰ってね。
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「うちわ、最高ー!」
次は、プラスチック製のうちわであるが、一気に四つ。
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こちらは、一年目、福井県は小浜に行った時に頂いたうちわである。われわれ京極隊の初めての県外への遠征であった。懐かしいねぇ。
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こちらは、2013年に丸亀で行われた「さぬき京極大会」のうちわである。全国の城下町の方々が城下町をより良くするために集まり、様々な催しが行われた。素晴らしい大会であったねぇ。
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こちらは、讃岐の歌姫、本多春奈さんのうちわである。これで扇ぐと、春風がそよぐとのことである。素敵であるねぇ。
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こちらは、丸亀のよさこい連、月下桜舞連のうちわである。2013年の婆娑羅まつりの時に頂いた。月下桜舞連の皆とは何度となく舞台を共にし、楽しませてもらった。誠に感謝である。わしも大好きな素敵な連である。カッコイイねぇ。
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「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
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こちらは、先日、出場した「6時間リレーマラソン大会」で「丸亀城バサラ京極隊高朗組」の証として作った、高朗組うちわである。番号がふってあり、高朗組として出場してくれた皆が、それぞれの番号のうちわをもっておる。もう一面には、
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もちろん、京極家の家紋、四つ目結紋である。
この大会に、高朗組として出場してくれた6名には、誠に感謝である。皆、実によく走ってくれた。当初、なるべく皆の負担を減らそうと、わしが9割くらい走るつもりであった。しかし、皆はそれぞれの目標を決め、自らの限界と思っておったところを超えるくらい走ってくれた。自らのために、高朗組のために。わしは間違えておった。力を合わせて戦うということを皆に教えてもらった。この6名の皆と共に高朗組として6時間を走り切ることができて、誠に良かった。最高の想い出となった。誠に感謝である。そして、この大会でも、たくさんの者に知ってもらえ、声をかけてもらえ、応援してもらえた。この大会で出会った全ての皆にも感謝である。
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「うちわ、最高ー!」
というわけで、一気に紹介してきた、わしのうちわたち、「うちわ収集録」いかがであったかな?うちわの数だけ想い出がある。それぞれのうちわに想い出、そして、想いが詰まっておる。本来、それぞれを個別にもっと詳しく解説していきたかったのであるが、できなくて、申し訳なかった。この「うちわ収集録」で、わしがうちわが大好きであることが伝わっておれば、何よりである。そして、少しでも、丸亀うちわに興味を持ってもらえておったら、誠に嬉しい。
丸亀は、うちわの生産量日本一。全国の生産量の9割を占める。そんな、うちわの町、丸亀を、そして、丸亀うちわを、よろしくである。
それでは、最後に、皆も一緒に、
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「うちわ、最高ー!」
高朗
京極高朗より事務局に託された内容を掲載致します↓ ↓ ↓
高朗、うちわ収集録3~11完
うちわの殿様、高朗である。
そう、わし高朗の中途半端にしておったブログ二大企画が「こんぴら丸亀街道 朗遊記」と、もう一つが「うちわ収集録」である。こちらも、結局、記事にできておらず、誠に申し訳ない。まぁ、わしの単なる、うちわ収集自慢でしかないが、こちらも、われわれの事務局に託させてもらった。またもや一気にどーんといくので、さらーっとでも見てもらえたら、嬉しい。というわけで、一気に「うちわ収集録」、いってみよう。
さぁ、うちわの殿様「高朗」の時間がやってきた。
『行き詰まる藩財政を立て直すべく、ここ丸亀の地に、このうちわ作りを広めたのは、まさにこの高朗の時代である。』
そんな高朗、現代に蘇ってきても、うちわに対する情熱・愛情は、誰にも負けない。
というわけで、うちわ大好き高朗の現代に蘇ってきてから収集したうちわの数々を気まぐれに紹介していこう。
まずは、こちら。
わしが写っておる。こちらは、一年目に、丸亀城内にある「うちわ工房 竹」の方が作ってくれ、頂いたものである。その当時の京極隊の面々に作ってくれたようで、わしのは最初の頃に少し体験したうちわ作りの時の一場面をこうしてうちわに残してくれた。嬉しかったねぇ。
ちなみに、もう一面には、
「伊予竹に 土佐紙貼りて 阿波ぐ(扇ぐ)れば 讃岐(丸亀)「うちわ」で 四国(至極)涼しい」とある。四国の地を文字った素敵な一文である。
「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
こちらは、わしが現代の世に蘇って気に入って購入したものの中の一つである。柄が丸い竹のままの丸柄のうちわである。何より、色が良いねぇ。
「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
こちらは、歌舞伎の演目「暫」の、うちわである。「んっ?どこかで見たことある。」という者もおるであろう。そう、こちらは、われらが道誉様がもっていらっしゃたものである。わしは、なぜか一度も会うことが叶わなかったのであるが、どうやら道誉様が置き土産に残されたようなので、うちわ好きのわしが頂いたというわけである。道誉様の形見のようなものである。これって、どうよ?
「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
こちらは、丸亀おしろまつりのうちわである。丸亀おしろまつりのうちわは一度紹介したが、こちらは2013年のものである。毎年こうやって、たくさんのうちわを作って配ってくれる。ありがたいねぇ。本年の丸亀おしろまつりも5月3日、4日に行われるので、是非、遊びに来てね。
ちなみに、もう一面には、
もちろん、丸亀ボート。ナイターレースもある丸亀ボート、生で観るボートレースは迫力満点である。こちらも、是非、観に遊びに来てね。
「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
こちらは、2013年の瀬戸内国際芸術祭のうちわである。しかも、丸亀の本島も会場となった秋会期のものである。色が良いねぇ。
もう一面には、
本島の作品が紹介されておる。わしも観に行ったが、素敵であったねぇ。作品はもうないであろうが、本島は見所いっぱいの魅力的な島であるので、是非、訪れてみてね。
「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
こちらは、わしが、自ら作ったうちわである。昨年の今くらいの時期であったかな、丸亀城内の「うちわ工房 竹」で、うちわ作り体験をした。ほぼ全ての工程をやらせてもらったが、大変であったよ。改めて職人さんたちの素晴らしさを感じたねぇ。実に貴重な経験をさせてもらった。丸亀城が描かれた、燃えるような赤のうちわ、なかなかの出来であろう?皆も、是非、うちわ作り体験してみてね。
「うちわ、最高ー!」
次は、小さいものを二つ。
こちらは、通常のうちわの半分くらいの、いや、もっと小さいかな、小型のうちわである。ちょこんと鞄などにも入り、持ち運びにも便利である。紅葉の葉が入っており、素敵であろう?何より、色が良いねぇ。
こちらは、なんと、しおりうちわである。本に挟むしおりをうちわにした?うちわをしおりにした?実に、素敵な発想から作られたものである。おもしろいであろう?これまた、色が良いねぇ。
この二つは、丸亀城内の「うちわ工房 竹」で購入した。欲しいと思った者は、是非、丸亀城を訪れて、丸亀城を楽しんで、買って帰ってね。
「うちわ、最高ー!」
次は、プラスチック製のうちわであるが、一気に四つ。
こちらは、一年目、福井県は小浜に行った時に頂いたうちわである。われわれ京極隊の初めての県外への遠征であった。懐かしいねぇ。
こちらは、2013年に丸亀で行われた「さぬき京極大会」のうちわである。全国の城下町の方々が城下町をより良くするために集まり、様々な催しが行われた。素晴らしい大会であったねぇ。
こちらは、讃岐の歌姫、本多春奈さんのうちわである。これで扇ぐと、春風がそよぐとのことである。素敵であるねぇ。
こちらは、丸亀のよさこい連、月下桜舞連のうちわである。2013年の婆娑羅まつりの時に頂いた。月下桜舞連の皆とは何度となく舞台を共にし、楽しませてもらった。誠に感謝である。わしも大好きな素敵な連である。カッコイイねぇ。
「うちわ、最高ー!」
次は、こちら。
こちらは、先日、出場した「6時間リレーマラソン大会」で「丸亀城バサラ京極隊高朗組」の証として作った、高朗組うちわである。番号がふってあり、高朗組として出場してくれた皆が、それぞれの番号のうちわをもっておる。もう一面には、
もちろん、京極家の家紋、四つ目結紋である。
この大会に、高朗組として出場してくれた6名には、誠に感謝である。皆、実によく走ってくれた。当初、なるべく皆の負担を減らそうと、わしが9割くらい走るつもりであった。しかし、皆はそれぞれの目標を決め、自らの限界と思っておったところを超えるくらい走ってくれた。自らのために、高朗組のために。わしは間違えておった。力を合わせて戦うということを皆に教えてもらった。この6名の皆と共に高朗組として6時間を走り切ることができて、誠に良かった。最高の想い出となった。誠に感謝である。そして、この大会でも、たくさんの者に知ってもらえ、声をかけてもらえ、応援してもらえた。この大会で出会った全ての皆にも感謝である。
「うちわ、最高ー!」
というわけで、一気に紹介してきた、わしのうちわたち、「うちわ収集録」いかがであったかな?うちわの数だけ想い出がある。それぞれのうちわに想い出、そして、想いが詰まっておる。本来、それぞれを個別にもっと詳しく解説していきたかったのであるが、できなくて、申し訳なかった。この「うちわ収集録」で、わしがうちわが大好きであることが伝わっておれば、何よりである。そして、少しでも、丸亀うちわに興味を持ってもらえておったら、誠に嬉しい。
丸亀は、うちわの生産量日本一。全国の生産量の9割を占める。そんな、うちわの町、丸亀を、そして、丸亀うちわを、よろしくである。
それでは、最後に、皆も一緒に、
「うちわ、最高ー!」
高朗
2014年03月30日
感謝、涙、感謝! 藤初
遅くなり ごめんなさい。
最後の演武、終了致しました。
お城に来てくれた皆様、今まで応援してくださった皆様、丸亀を好きになってくださった皆様、丸亀城へ来てくださった皆様
皆々様に 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
正直、寒すぎて 意識が遠のくほどの(言い過ぎ?笑) 寒空も......
しかし 皆様がいてくれたから こそ 京極隊を 続けて参る事ができました。
ステージから見る 皆様のお顔。
本当に 心強かったです。
ブログを見てくれていた方
テレビで見てくれた方
様々な方がいますが 皆様の応援、支えがあったからこそ、3年間活動する事ができました。
私にとって、京極隊とは
そりゃもう、本当は、
丸亀観光ナビゲータというものなのですが、、 私としては
私が元気をもらっている 私の元気の源でした。
ナビゲータしないといけないのに
私が 皆様に たくさんの愛を頂いておりました。 色んな方に出会えた事、本当に楽しい日々でした。
お声をかけてくれたり、写真を一緒に撮って頂いたり、本当に幸せでした。
そして なにより 丸亀大好きな私は
丸亀にいれる事、丸亀城でお城案内やショーが できた事。
幸せな時間をありがとうございました。
たくさんの思い出を詰め込んで
私達は お墓に戻りますが
後は皆様にお任せ致します。
私も遠くから (いや意外と近いかもしれない) 丸亀を 愛していきます!
一緒に丸亀を盛り上げていきましょうね★
今まで たくさんのお手紙など 頂いてありがとうございました。
最後の日も たくさんの愛で溢れたお手紙達は 私の元で 永遠に残り続けます。
この愛で お墓に戻っても 向こうで元気が、もらえます!^_^
皆様、どうか お元気で★
毎日を大事に、 笑顔で 過ごしましょうね(^_^)
本当に ありがとうございました。
丸亀城にも 変わらず ふらっと遊びに来てくださいね!!
そして、たまーに 京極隊の事を 思い出してくれたら 嬉しい限りです。
可愛い お子様達 愛おしかったな~~
皆様の事は忘れません!!!
本当に 楽しい時間を ありがとうございました!!!
だーいすーきー|(^3^)|
さらばーっ★★★
別れは 出会い
さよならは
未来への お守り
ありがとう 愛を込めて
藤初
最後の演武、終了致しました。
お城に来てくれた皆様、今まで応援してくださった皆様、丸亀を好きになってくださった皆様、丸亀城へ来てくださった皆様
皆々様に 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
正直、寒すぎて 意識が遠のくほどの(言い過ぎ?笑) 寒空も......
しかし 皆様がいてくれたから こそ 京極隊を 続けて参る事ができました。
ステージから見る 皆様のお顔。
本当に 心強かったです。
ブログを見てくれていた方
テレビで見てくれた方
様々な方がいますが 皆様の応援、支えがあったからこそ、3年間活動する事ができました。
私にとって、京極隊とは
そりゃもう、本当は、
丸亀観光ナビゲータというものなのですが、、 私としては
私が元気をもらっている 私の元気の源でした。
ナビゲータしないといけないのに
私が 皆様に たくさんの愛を頂いておりました。 色んな方に出会えた事、本当に楽しい日々でした。
お声をかけてくれたり、写真を一緒に撮って頂いたり、本当に幸せでした。
そして なにより 丸亀大好きな私は
丸亀にいれる事、丸亀城でお城案内やショーが できた事。
幸せな時間をありがとうございました。
たくさんの思い出を詰め込んで
私達は お墓に戻りますが
後は皆様にお任せ致します。
私も遠くから (いや意外と近いかもしれない) 丸亀を 愛していきます!
一緒に丸亀を盛り上げていきましょうね★
今まで たくさんのお手紙など 頂いてありがとうございました。
最後の日も たくさんの愛で溢れたお手紙達は 私の元で 永遠に残り続けます。
この愛で お墓に戻っても 向こうで元気が、もらえます!^_^
皆様、どうか お元気で★
毎日を大事に、 笑顔で 過ごしましょうね(^_^)
本当に ありがとうございました。
丸亀城にも 変わらず ふらっと遊びに来てくださいね!!
そして、たまーに 京極隊の事を 思い出してくれたら 嬉しい限りです。
可愛い お子様達 愛おしかったな~~
皆様の事は忘れません!!!
本当に 楽しい時間を ありがとうございました!!!
だーいすーきー|(^3^)|
さらばーっ★★★
別れは 出会い
さよならは
未来への お守り
ありがとう 愛を込めて
藤初
2014年03月28日
京極隊事務局から
皆様、丸亀市観光ナビゲーター「丸亀城バサラ京極隊」及び「京極くん&うちっ娘」を応援して頂き、誠にありがとうございました。
京極高朗より事務局に託された内容を掲載致します↓ ↓ ↓
高朗、「こんぴら丸亀街道 朗遊記」稀・標・大・失・注・景・話・茶・移・琴・高・想
こんぴら丸亀街道を歩いた、高朗である。
そう、わしが、こんぴら丸亀街道を歩いた道程を綴っておった「こんぴら丸亀街道 朗遊記」、続きを記事にすると言っておきながら全くできなかった。誠に申し訳ない。未完では、いかん。もしかしたら、気になっておる者もおるかもしれぬ。わし自身も、未完のままでは心残り過ぎる。というわけで、こちらも事務局に託して載せてもらうことにした。
続きから最後まで一気にいくが、ご了承を(かなり前にはなるが前回までの様子は「朗遊記」で記事検索を)。少し長くなるが、お付き合いしてもらえたら、幸いである。
さぁ、それでは、一気に「朗遊記」、いってみよう。
寄り道から戻ってきた所には、こちら、
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南条町の石灯籠。こちらは、明和元年(1764)に農人町と南条町の講中によって建立された常夜灯で、当時の場所に現存しておる。移動されておる灯籠が多い中、当時の場所にあるというのは貴重であるねぇ。しかも、この石灯籠、この街道に残る一番古い石造なのである。
そんな南条町の石灯籠、わしが生きておった時代にもここにあったなぁと懐かしく思いながら、歩みを再開した。ちょうど南条町の石灯籠の所の道路にこんなものがあった。
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現代の者が、分かり易いようにと、標を作ってくれておる。ありがたいねぇ。この他にも、こんぴら街道沿いの家や店、電柱などには、
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このようなものが、要所要所に貼ってあり、実に助かるのである。そして、こんぴら街道には、こんぴらさんへ向かう人々を導くように、たくさんの灯籠や起点石、丁石がある。
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これらがあるおかげで、迷わず行けるし、どれくらい歩いたが分かるわけである。そんなのを見ていくのもおもしろいねぇ。
そして、歩みを進めていくと、どーんとこんなものが。
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中府の大鳥居である。こちらは、金刀比羅宮の一の鳥居で、花崗岩製の明神造りである。高さ22尺(約6.7m)柱の間15尺(約4.5m)、上部中央に「金刀比羅宮」と書かれた青銅製の額が掲げられておる。普通の道路に突然こんな大きな鳥居があるから、皆、驚くと思うねぇ。
そんな中府の大鳥居をくぐり抜け、気分良く、歩いておった。現代の者が作ってくれておる、こんぴら街道の見所などを載せた地図を片手に、この旅に挑んでおったのであるが、…。目印にしておった、平成の世に造られた「平成の丁石」の五丁の丁石が、行けども行けども見当たらない。歩くこと約30分、丸亀競技場が見えてきた。…ん?こんぴら丸亀街道、丸亀競技場の方には来ないはずでは?…。がびーん、道を間違えた。しかも、かなりの距離を気付かずに歩いてしまった。大失敗である。失意の中、とぼとぼと来た道を戻るはめに。とほほ。
約1時間の無駄な時間を過ごしてしまったが、これも何か試練か意味のあることだと自らに言い聞かせ、正しい道に戻り、気持ちを切り替え、再びこんぴら丸亀街道を歩き始めた。ちなみに、目印にしていた「平成の丁石」の五丁の丁石が、こちら。
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実に分かり易く立っておる。これは単に見逃したわしが悪い。まぁ、皆は大丈夫であると思うが、ここはきちんとこんぴら丸亀街道を進むには重要な所になると思うので、気をつけてね。ここから南に向かっていた進路を、一旦、東に変えて、少し進むことになるからねぇ。そして、また南に向きを変え南へ南へと向かうのである。だいたいは、現代の県道4号線を進んで行くことになる。県道4号線は歩道が狭い上に交通量が多いので、歩く時は気をつけてね。たまに県道4号線から外れていくのであるが、きちんと標となるものがあるので大丈夫である。
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徐々に街なかから郊外へ進むにつれて風景も変わっていく。東に讃岐富士こと飯野山を眺めながら歩いていく。柞原の常夜灯籠、正面寺の自然石灯籠、一里屋の灯籠と丁石
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などを見ながら、着々と進んでいく。
どれくらい歩いたであろうか、丸亀市の郡家町まできた所に、こんな所が。
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郡家の茶堂と賽銭碑。少し茶堂でゆっくりしていこうかと思ったが…、ここに茶堂はなかった。話はこうである。「昔、丸亀のお殿様が郡家の茶堂に寄った時、神野神社の神主さんがお出迎えに出てきた。その折、烏帽子のひもが殿様より長かった。ひもが長いほど位が高かったのでお殿様が休めないということになり、茶堂を与北に移したとか。」へぇ~。丸亀のお殿様って誰?まぁ、それはさておき、ゆっくりするのは与北まで行ってからにしようと、ここを過ぎて行ったわけである。この辺りで、やっと道程の約三分の一である。とはいえ、田畑が広がる地域を進むので、のどかな感じで、まだまだ気分良く歩くことができておったねぇ。
そんなこんなで、ついに丸亀市から善通寺市に入った。善通寺市には、先程話に出てきた与北町がある。そこまで行けば一休みだと、今一度、自らを奮い立たせて、ようやくたどり着いた、与北茶堂跡。
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…跡?うん、茶堂跡である。決して、ここで茶が飲めるなんて思ってはおらぬ。うん…。ここは、丸亀街道の中間に位置した最も大きい茶堂であった。そして、ここの石灯籠は街道で一番高いのである。まぁ、とにかく半分きたということで、この与北茶堂跡を見ながら一休みした。善通寺市では、この他に、二つで一対と思われておる角下組石灯籠と角上組石灯籠があった。
そして、山下の道標を
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「右金刀比羅道」通り進むと、いよいよ、まんのう町に入った。まんのう町には、富隈神社
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があり、ここには境内に灯籠と丁石がある。大正3年(1914)の神社統合の際、付近の灯籠と丁石6本が移された。富隈神社の辺りには、公文の茶堂跡や善住木食上人と護摩堂跡があり、現在はそれぞれ移設されておる。かつては眼鏡灯籠という珍しい灯籠もあった。是非、見てみたかったねぇ。まんのう町を歩いていくと、火袋以外は自然石のままの灯籠もあった。
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そしてそして、ついについに、琴平町に入った。目的地は、もうすぐである。代官所跡を見ながら進み、藤の棚跡辺りから県道4号線を外れて、一路、こんぴらさんへ向けて行く。そこで見えてきたのが、どーんと、こちら。
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横瀬の石鳥居。この鳥居をくぐり抜けると、横瀬の石灯籠と地蔵堂があった。
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地蔵様に手を合わせ、最後の力を振り絞る。
そこに見えてきたのは、たくさんの小さな灯籠と、とてつもなく大きな灯籠が。
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そう、このとてつもなく大きな灯籠こそが、目指しておった「高灯籠」である。ついについについに、到着である。
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高灯籠。地鎮祭から5年がかりで万延元年(1860)に完成したもので、高さは27.6mあり、日本一の高さを誇る灯籠である。昔は、丸亀の沖合を通る船やこんぴらさんを目指して歩く人々の重要な目印になっておった。ちなみに、費用は金三千両とか。この説明で充分高いことは伝わるとは思うが、実際に目の当たりにするとびっくりするよ。わしのこの旅の証として画像に高朗うちわを一緒に写してきたが、高灯籠の画像にも下の方に橙色のがあるのが分かるかな?この対比からも、それまでの灯籠とは桁違いなのが分かるであろう。この高灯籠は、琴電琴平駅のすぐ横にあるので、こんぴらさんへ参った時には、是非、見てもらいたい。
というわけで、道程約14kmのこんぴら丸亀街道、丸亀港の太助灯籠から琴平の高灯籠まで、何とか歩き切ることができた。正直、きつい旅ではあったが、いろいろなものを見ることができたし、様々な発見があったし、何より大きな達成感を味わうことができた。なかなか経験することのない貴重な経験となった。それにしても、昔の者はこんぴらさんへ参るのに、よくこれだけの距離を歩いたものである。誠に感心する。それだけ、こんぴらさんへ参るということは意味のあることであったわけであるねぇ。そういうわしも、その昔の者ではあるが。とにもかくにも、この、こんぴら丸亀街道を無事に歩き切ることができて良かったということである。
「こんぴら丸亀街道 朗遊記」おしまい
ってな感じで、一気にいってしまった「こんぴら丸亀街道 朗遊記」、いかがであったかな?本来、もっとこまめに詳しく、旅の様子や見所の説明、わしの気持ちを綴っていくはずであった。それができず、こういう形になってしまったこと、誠に申し訳なかった。皆に、この旅の様子が上手く伝わったのか、こんぴら丸亀街道の魅力が上手く伝わったのか、分からぬが、こんぴら丸亀街道を歩いてみようと思わぬまでも、知ってもらうだけでも、興味をもってもらうだけでも、わしは嬉しい。長い記事にお付き合いしてくれて、誠に感謝である。
高朗
京極高朗より事務局に託された内容を掲載致します↓ ↓ ↓
高朗、「こんぴら丸亀街道 朗遊記」稀・標・大・失・注・景・話・茶・移・琴・高・想
こんぴら丸亀街道を歩いた、高朗である。
そう、わしが、こんぴら丸亀街道を歩いた道程を綴っておった「こんぴら丸亀街道 朗遊記」、続きを記事にすると言っておきながら全くできなかった。誠に申し訳ない。未完では、いかん。もしかしたら、気になっておる者もおるかもしれぬ。わし自身も、未完のままでは心残り過ぎる。というわけで、こちらも事務局に託して載せてもらうことにした。
続きから最後まで一気にいくが、ご了承を(かなり前にはなるが前回までの様子は「朗遊記」で記事検索を)。少し長くなるが、お付き合いしてもらえたら、幸いである。
さぁ、それでは、一気に「朗遊記」、いってみよう。
寄り道から戻ってきた所には、こちら、
南条町の石灯籠。こちらは、明和元年(1764)に農人町と南条町の講中によって建立された常夜灯で、当時の場所に現存しておる。移動されておる灯籠が多い中、当時の場所にあるというのは貴重であるねぇ。しかも、この石灯籠、この街道に残る一番古い石造なのである。
そんな南条町の石灯籠、わしが生きておった時代にもここにあったなぁと懐かしく思いながら、歩みを再開した。ちょうど南条町の石灯籠の所の道路にこんなものがあった。
現代の者が、分かり易いようにと、標を作ってくれておる。ありがたいねぇ。この他にも、こんぴら街道沿いの家や店、電柱などには、
このようなものが、要所要所に貼ってあり、実に助かるのである。そして、こんぴら街道には、こんぴらさんへ向かう人々を導くように、たくさんの灯籠や起点石、丁石がある。
これらがあるおかげで、迷わず行けるし、どれくらい歩いたが分かるわけである。そんなのを見ていくのもおもしろいねぇ。
そして、歩みを進めていくと、どーんとこんなものが。
中府の大鳥居である。こちらは、金刀比羅宮の一の鳥居で、花崗岩製の明神造りである。高さ22尺(約6.7m)柱の間15尺(約4.5m)、上部中央に「金刀比羅宮」と書かれた青銅製の額が掲げられておる。普通の道路に突然こんな大きな鳥居があるから、皆、驚くと思うねぇ。
そんな中府の大鳥居をくぐり抜け、気分良く、歩いておった。現代の者が作ってくれておる、こんぴら街道の見所などを載せた地図を片手に、この旅に挑んでおったのであるが、…。目印にしておった、平成の世に造られた「平成の丁石」の五丁の丁石が、行けども行けども見当たらない。歩くこと約30分、丸亀競技場が見えてきた。…ん?こんぴら丸亀街道、丸亀競技場の方には来ないはずでは?…。がびーん、道を間違えた。しかも、かなりの距離を気付かずに歩いてしまった。大失敗である。失意の中、とぼとぼと来た道を戻るはめに。とほほ。
約1時間の無駄な時間を過ごしてしまったが、これも何か試練か意味のあることだと自らに言い聞かせ、正しい道に戻り、気持ちを切り替え、再びこんぴら丸亀街道を歩き始めた。ちなみに、目印にしていた「平成の丁石」の五丁の丁石が、こちら。
実に分かり易く立っておる。これは単に見逃したわしが悪い。まぁ、皆は大丈夫であると思うが、ここはきちんとこんぴら丸亀街道を進むには重要な所になると思うので、気をつけてね。ここから南に向かっていた進路を、一旦、東に変えて、少し進むことになるからねぇ。そして、また南に向きを変え南へ南へと向かうのである。だいたいは、現代の県道4号線を進んで行くことになる。県道4号線は歩道が狭い上に交通量が多いので、歩く時は気をつけてね。たまに県道4号線から外れていくのであるが、きちんと標となるものがあるので大丈夫である。
徐々に街なかから郊外へ進むにつれて風景も変わっていく。東に讃岐富士こと飯野山を眺めながら歩いていく。柞原の常夜灯籠、正面寺の自然石灯籠、一里屋の灯籠と丁石
などを見ながら、着々と進んでいく。
どれくらい歩いたであろうか、丸亀市の郡家町まできた所に、こんな所が。
郡家の茶堂と賽銭碑。少し茶堂でゆっくりしていこうかと思ったが…、ここに茶堂はなかった。話はこうである。「昔、丸亀のお殿様が郡家の茶堂に寄った時、神野神社の神主さんがお出迎えに出てきた。その折、烏帽子のひもが殿様より長かった。ひもが長いほど位が高かったのでお殿様が休めないということになり、茶堂を与北に移したとか。」へぇ~。丸亀のお殿様って誰?まぁ、それはさておき、ゆっくりするのは与北まで行ってからにしようと、ここを過ぎて行ったわけである。この辺りで、やっと道程の約三分の一である。とはいえ、田畑が広がる地域を進むので、のどかな感じで、まだまだ気分良く歩くことができておったねぇ。
そんなこんなで、ついに丸亀市から善通寺市に入った。善通寺市には、先程話に出てきた与北町がある。そこまで行けば一休みだと、今一度、自らを奮い立たせて、ようやくたどり着いた、与北茶堂跡。
…跡?うん、茶堂跡である。決して、ここで茶が飲めるなんて思ってはおらぬ。うん…。ここは、丸亀街道の中間に位置した最も大きい茶堂であった。そして、ここの石灯籠は街道で一番高いのである。まぁ、とにかく半分きたということで、この与北茶堂跡を見ながら一休みした。善通寺市では、この他に、二つで一対と思われておる角下組石灯籠と角上組石灯籠があった。
そして、山下の道標を
「右金刀比羅道」通り進むと、いよいよ、まんのう町に入った。まんのう町には、富隈神社
があり、ここには境内に灯籠と丁石がある。大正3年(1914)の神社統合の際、付近の灯籠と丁石6本が移された。富隈神社の辺りには、公文の茶堂跡や善住木食上人と護摩堂跡があり、現在はそれぞれ移設されておる。かつては眼鏡灯籠という珍しい灯籠もあった。是非、見てみたかったねぇ。まんのう町を歩いていくと、火袋以外は自然石のままの灯籠もあった。
そしてそして、ついについに、琴平町に入った。目的地は、もうすぐである。代官所跡を見ながら進み、藤の棚跡辺りから県道4号線を外れて、一路、こんぴらさんへ向けて行く。そこで見えてきたのが、どーんと、こちら。
横瀬の石鳥居。この鳥居をくぐり抜けると、横瀬の石灯籠と地蔵堂があった。
地蔵様に手を合わせ、最後の力を振り絞る。
そこに見えてきたのは、たくさんの小さな灯籠と、とてつもなく大きな灯籠が。
そう、このとてつもなく大きな灯籠こそが、目指しておった「高灯籠」である。ついについについに、到着である。
高灯籠。地鎮祭から5年がかりで万延元年(1860)に完成したもので、高さは27.6mあり、日本一の高さを誇る灯籠である。昔は、丸亀の沖合を通る船やこんぴらさんを目指して歩く人々の重要な目印になっておった。ちなみに、費用は金三千両とか。この説明で充分高いことは伝わるとは思うが、実際に目の当たりにするとびっくりするよ。わしのこの旅の証として画像に高朗うちわを一緒に写してきたが、高灯籠の画像にも下の方に橙色のがあるのが分かるかな?この対比からも、それまでの灯籠とは桁違いなのが分かるであろう。この高灯籠は、琴電琴平駅のすぐ横にあるので、こんぴらさんへ参った時には、是非、見てもらいたい。
というわけで、道程約14kmのこんぴら丸亀街道、丸亀港の太助灯籠から琴平の高灯籠まで、何とか歩き切ることができた。正直、きつい旅ではあったが、いろいろなものを見ることができたし、様々な発見があったし、何より大きな達成感を味わうことができた。なかなか経験することのない貴重な経験となった。それにしても、昔の者はこんぴらさんへ参るのに、よくこれだけの距離を歩いたものである。誠に感心する。それだけ、こんぴらさんへ参るということは意味のあることであったわけであるねぇ。そういうわしも、その昔の者ではあるが。とにもかくにも、この、こんぴら丸亀街道を無事に歩き切ることができて良かったということである。
「こんぴら丸亀街道 朗遊記」おしまい
ってな感じで、一気にいってしまった「こんぴら丸亀街道 朗遊記」、いかがであったかな?本来、もっとこまめに詳しく、旅の様子や見所の説明、わしの気持ちを綴っていくはずであった。それができず、こういう形になってしまったこと、誠に申し訳なかった。皆に、この旅の様子が上手く伝わったのか、こんぴら丸亀街道の魅力が上手く伝わったのか、分からぬが、こんぴら丸亀街道を歩いてみようと思わぬまでも、知ってもらうだけでも、興味をもってもらうだけでも、わしは嬉しい。長い記事にお付き合いしてくれて、誠に感謝である。
高朗