鬱蒼とした木々の中に立ち寄る人もなく、静寂の中にひっそりと溶け込んでいるお寺、神社。 一方参拝する人々でひっきりなしに賑わうお寺、神社と様々だ。心の拠り所お寺・神社を散策する。   野崎観音(大阪)《戻》 《次》 宝山寺(奈良)  

お寺・神社を訪ねて/一休寺(京都)

MAIN
一休寺(酬恩庵)を訪ねて・学研都市線京田辺下車約1k/説明文 は酬恩庵一休寺のパンフレットで 2007/12/1 (2010/10月再編集)
2007/12/1・一休寺
2007/12/1・一休寺由緒 [click]一休寺の沿革である。拡大で全てが閲覧できる。ご面倒だがスクロールを願う。一休寺は元の名を妙勝寺といっていた。 2007/12/1・一休寺の全体図
一休寺・酬恩庵・重要文化財・本堂 所在地は、京都府京田辺市薪里ノ内 102にあります。一休寺(酬恩庵)は当寺の元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当る一休禅師が康正年中(1455~6年)、宗祖の遣風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で、「酬恩庵」と命名した。 重要文化財・本堂 一休禅師御廟所(墓所) 御廟所(墓所)文明七(1475)年、一休禅師82歳の時自ら建立されたもので、廟前庭は虎丘庭園 と同じく村田珠光作の室町時代の枯山水庭園である。禅師は人皇百代後小松天皇の皇子である ので御廟所は宮内庁管轄である。この写真は方丈側の縁側から撮ったものだ。
見事なコントラス click 一休寺は紅葉の季節になると何ともいえぬ 素晴らし景観を、訪れた参拝客に披露してくれる。総門を潜ると紅葉が真っ赤に染まっていた。 又、遠くを眺めると山々の緑と一休寺内の紅葉の赤とのコントラスが絶妙だ。 写真click・拡大 一休寺 京都府・一休寺、 禅師はここで後半の生涯を送り 八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明十三(1841)年 十一月二十一日八十八歳の高齢を以て当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたので ある。このように禅師が晩年をすごされたことにより、「一休寺」の通称で知れれるに 至ったのである。
重要文化財・方丈
2007/12/1・一休寺
一休和尚像の掛け軸 2007/12/1・一休和尚の掛け軸 2007/12/1・一休寺
一休禅師の像。庭園にはいたる所に、とんちの一休さんをほうふつさせる関係のものが見られる。
右の写真は一休禅師が使用した輿で、八十一歳の時京都大徳寺、四十七代の住職になられた。一休寺から京都紫野の大徳寺にこの輿に乗り通われた。
2007/12/1・一休寺 大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある寺で、臨済宗大徳寺派大本山である。山号を龍寶山(りゅうほうざん)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。
2007/12/1・一休寺
BACK