ふつうは時給1500円貰えるような仕事をしているのに、どういうわけだか時給1000円で働かされている人々がいる。彼らは時給あたり500円分“搾取”されているというわけだ。
ここで利益に貪欲な企業は、“搾取”されている人々を他企業から、たとえば時給1200円を掲げて攫ってくるだろう。時給1500円の働きをする人々が時給1000円で使われているなんて、そんなオイシイ話を目聡い企業は逃さない。
こういう貪欲な企業がたくさんいると、彼らの時給は1500円にどこまでも近づいていく。彼らが不当に安く使われている限り、企業は安い労働力を求めてより高い時給を提示しつづけるから、結局どの企業も“搾取”できなくなってしまう。
こういうわけで、自由な市場経済では同一労働同一賃金は自然に達成される。それが達成されないのなら、何かが市場の仕組みに歪みを作り出しているということになる。
同一労働同一賃金を立法や司法で強制するのは、歪みを正すために別の箇所をさらに捻じ曲げるようなものだ。大体あらゆる仕事には、あらゆる労働力には、個性がある。それが同一かどうかなんて、裁判所に決められることじゃない。
正社員と非正社員のあいだに賃金の歪みがあるなら、そのような身分を生み出している社会保険制度や労働法制にこそ僕らは手を付けなきゃいけない。それらの改革が済んだとき、労働にふさわしい賃金は自然と支払われることになる。