「こっちの方が燃費もいいし、値段も手頃だからいいと思うんだよね」
横浜郊外にある中古車販売店に来て、池崎は車の内部を確かめていた。それまで遠出をするというといつもレンタカーか電車だったので、池崎がそろそろマイカーがほしいと言い出し、中古車を二人で一緒に見に来たのだった。
車に対するこだわりをほとんど持ち合わせない一般的な女性のひとりであるユウカにとって、中古車という選択肢は特段気にならなかった。池崎がローンを組んで乗る車だから、池崎の好きな車を選べばよいと遠目から池崎を眺めていた。
「ユウカさん、どう思います〜?」
池崎はひんぱんにユウカに意見を求めてくる。
結婚の話題さえ出なければ、池崎は今まで通りユウカに従順で、愛くるしい存在なのだ。ユウカは、一通りいろんな車を眺めていくなかで、ひとつ気になった車があったので、池崎に聞いてみることにした。
「池崎、ああいう車はどうなの?」
ユウカが指差した先には、いわゆる白いワンボックスカーがあった。
「ん? ヴェルファイアですか? 高いですよ」
「でも、いいじゃん。車の中も広そうだし、7〜8人乗れそうだよ。将来を考えたら、安いんじゃない?」
「そんなにたくさん乗らないし、必要ないですよ。それより、小回り利いて気軽に乗れた方がいいと思いますよ。ユウカさんも運転しやすいでしょう」
「……うん」
いろいろと言いたいこともあったが、池崎が買うんだし、池崎の好きな車を選ぶのが一番いいと思って、それ以上は何も言わなかった。結婚してたら言えたのに、なんだかもどかしい……。
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ある日、池崎は帰ってくるなり、「ごめん、ユウカさん。再来週の土曜日、仕事が入っちゃった」と言ってきた。
「え? 土曜日出勤なんて珍しくない?」
「うん、まぁ。実は仕事っていうか、会社のイベントでBBQをやることになって……」
「いいじゃん。私も行きたい〜! 家族とかも参加OKなんでしょう?」
「家族がいる人はたしかにOKだけど、僕は運営側だから、ユウカさんと一緒に楽しむっていう感じじゃなくて、本当に仕事って感じなんだよね」
「え〜? それでもいいよ。私、池崎の会社の人に会ってみたい」
「でも家族じゃないと、紹介しづらいんですよね」
「彼女デスって紹介すれば?」
「そんな雰囲気じゃないんですって。ユウカさん勘弁してくださいよ。僕だって楽しみでいくわけじゃないんですから」
「うん、わかった。しょうがないね」
(勘弁って……だったら……家族になればいいじゃん)ユウカは伝えられない気持ちがどんどん胸に溜まっていくのを感じていた。
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夏のある夜、2人でテレビを見ていたとき、テレビでは「ギャップ夫婦、運命を変えた一言スペシャル」と題して、少し変わった一般人夫婦のプロポーズの言葉をクイズ形式で紹介する番組が始まった。
ユウカは、この風変わりなクイズに対してやる気まんまんで臨もうとしていたのだが、池崎はあっさりチャンネルを変えてしまった。
「なんで? いまから始まるの楽しみにしてたのに!」
「あれ? ユウカさん見てたの? ニュースを見ようと思って……」
ふたりの間に微妙な空気が流れる。
「池崎! 正直に言って。わざと変えたでしょう?」
「何言ってるんですか? そんなわけないでしょう」
「いいや、絶対わざとでしょう。結婚の話題になるのを避けるために番組を変えたでしょう」
「違いますよ」
「わかった。そんなに私と結婚をしたくないなら、私出てくよ」
「ちょ、何をいうんですか。また別れるっていう話ですか」
「ううん、そうじゃない。別れるわけじゃないけど、私たち急に距離を詰めすぎたんだよ」
「そんな、テレビのチャンネルを変えただけじゃないですか」
「ちがうよ。この前の中古車を選んだときもそうだったし、BBQの話のときも感じてたんだよ。今日のコレはきっかけ」
「え、そんな前のこと? 何かありましたっけ?」
「男の人って女が感じてること、黙ってたらほんと気づかないよね」
「そりゃ、黙ってたら気づかないですよ。当たり前じゃないですか。言ってくださいよ」
「なんで女が黙ってるか知ってる? 相手に気づいてほしいからだよ。気づくっていうのは愛情表現のひとつだと思うの。だから『髪切った?』って言われるだけでも嬉しいのよ、女は。でもさ、同棲してると一緒にいるのが当たり前になって、そういうのが鈍ってくるのかな。同棲してると結婚できないって本当かもね。だから、私、この家を出てしばらくの間、実家に戻ろうと思う」
「すいません。今までユウカさんが感じてる気持ちを気づけなくてすいません。これから、ユウカさんの気持ちをちゃんとわかるように努力しますから」
「大丈夫。今のままなら破滅するかもしれない。これは私の中の問題だとも思うの。勝手言ってごめんね。安心して、あなたのことは変わらず好きだから」
そういうと、ユウカはテレビの電源を消して、シャワールームに入った。うっすら浮かべた涙を池崎には見られたくなかったから。
残された池崎は、消されたテレビを前にして、まるで狐につままれたような顔をしていた。
(イラスト:ハセガワシオリ)