一面わかやまけんさん15年に死去 「こぐまちゃんえほん」ベストセラー「こぐまちゃんえほん」シリーズなどを手がけ、戦後の絵本の世界に大きな足跡を残した岐阜県出身の絵本作家わかやまけん(本名・若山憲)さんが、二〇一五年七月に八十五歳で死去していたことが、分かった。本人の遺志で伏せられていたが、大分県宇佐市の宇佐市民図書館で開かれている追悼の原画展「ありがとう! わかやまけんさん」に合わせ、初めて明らかにされた。 わかやまさんは一九三〇年、岐阜市生まれ。地元でデザインの学校に通い、グラフィックデザインの仕事を経て、二十代前半に上京。教科書の挿絵を描く仕事を始めた。外国の絵本を集めるのが好きだったといい、やがて自分でも絵本を描き始める。七〇年から刊行の「こぐまちゃんえほん」シリーズ(こぐま社)は、累計九百五十四万部に上るロングセラーとなった。 うち『しろくまちゃんのほっとけーき』(七二年)は二百九十三万部発行のベストセラー。「しろくまちゃん」がお母さんとホットケーキを焼き、「こぐまちゃん」にごちそうする物語だ。卵を落として割るなど失敗も経験しつつ、自分で作る楽しさや仲よしと一緒に食べる喜びを伝える。 こぐま社の担当編集者、関谷裕子さん(61)は作品の特徴を「小さな子どもをぱっと引きつける色彩や構図。デザイナーの経験が生きているのでは」と話す。「絵本を作る時には『とにかく子どもの目線に立った作品になるように』と話し合いを重ねた」と振り返る。 妻の智恵子さん(84)=東京都在住=によると、わかやまさんは、持病のパーキンソン病が悪化する二〇〇一年まで、創作活動を続けた。絵本への情熱を支えたのは、何だったのか。 「本と植物が好きな、もの静かな人でした。戦争で自由がない時代に子ども時代を送ったので、子どもに夢を与えたいという思いで絵本を描いていたと思います」と智恵子さんは話す。自宅を訪れた学生や子どもたちに「自分の青春時代は、戦争で夢が持てなかった。君たちは自分の好きなことを見つけて、それをやったらいい」と語りかけることもあったという。 今回の追悼展は、原画約三百点を所有する福岡県太宰府市の子どもの本専門店「赤とんぼ」の協力で、宇佐市教委などが主催。福岡と佐賀、和歌山の各県でも開かれる予定だ。「赤とんぼ」代表の高橋純一さん(70)は「わかやま先生ゆかりの中部地方でも開けたら」と協力を呼びかけている。 宇佐市民図書館での追悼展は九月三日まで。無料。問い合わせ先は同館=電0978(33)4600 (川原田喜子) ◆戦後絵本の礎つくる<岐阜市の児童書専門店「おおきな木」の店主・杉山三四郎さん(64)の話> わかやまさんの作品は、三世代で読み継いでいる人もいると思う。分かりやすいシンプルな絵が、子どもの心に真っすぐ伝わるのでは。戦後の絵本業界の礎(いしずえ)をつくり、長く活躍された方がいなくなるのは寂しい。
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