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NHKスペシャル「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜」 2017.08.13

いわゆる731部隊。
戦時中細菌兵器の開発を行った日本軍の秘密部隊です。
これまで厚いベールに覆われてきたこの組織。
その全貌を知る手がかりがロシア・モスクワで見つかりました。
当事者たちの肉声を記録した22時間に及ぶ音声テープ。
終戦から4年後731部隊の幹部らを裁くために旧ソ連で開かれた軍事裁判の記録です。
細菌兵器開発のために生きた人間を実験の材料として使ったと証言されていました。
731部隊が実験を行っていたのは中国東北部の旧満州にある秘密研究所。
生きたまま実験材料とされ亡くなった人は3,000人に上るともいわれています。
なぜ人体実験はこれほどの規模で推し進められたのか。
NHKは国内外の数百点に及ぶ資料を収集しました。
浮かび上がってきたのは軍人だけでなく東大や京大などから集められたエリート医学者たちも人体実験を主導していた実態でした。
京大出身のこの細菌学者は致死率の高いチフス菌を研究。
細菌を詰めた爆弾で大量感染を引き起こす実験をしていました。
この医学者は人の手や足を人為的に凍傷にかからせる実験をしていたといいます。
専門知識を持った医学者が集められ組織された事で実験が大規模に進められていったのです。
命を守るべき医学者がなぜ人体実験に手を染めたのか。
70年の時を経て明らかになる731部隊の真実です。
中国東北部にある都市ハルビン。
ロシア人が建設したこの国際都市は戦時中日本軍の拠点となっていました。
ハルビンの郊外20キロ。
731部隊の本部跡が今も残っています。
破壊された建物の残骸。
終戦間際部隊の存在を隠すために爆破されました。
当時の写真です。
部隊は周囲数キロに及ぶ広大な敷地で極秘に研究を進めていました。
四角い形の3階建てのビルには冷暖房を備えた最先端の研究室が並んでいたといいます。
その中央に周囲から見えない形で牢獄が設置され実験材料とされた人々がとらわれていたといいます。
731部隊が編成されたのは1936年。
当時日本は旧満州に進出。
国境を接し軍事的脅威となっていたソ連に対抗するため細菌兵器を開発していたのです。
部隊を率いていたのは軍医石井四郎です。
当時細菌兵器は国際条約で使用が禁止されていました。
しかし防衛目的の研究はできるとして開発を進めました。
部隊の人数は最大3,000人。
石井は細菌兵器開発のため全国の大学から医学者を集めていました。
極秘で進められた731部隊の研究。
その活動を公にしたのが終戦から4年後に旧ソ連が開いた軍事裁判ハバロフスク裁判でした。
裁かれたのは731部隊の幹部や関東軍の幹部ら12人。
多くの医学者が日本へと引き揚げた中逃げ遅れソ連に抑留された人々でした。
この裁判はこれまでソ連が公表した文書の記録しかなくねつ造だと批判する声もありました。
今回見つかった音声記録では部隊の中枢メンバーが人体実験の詳細を証言していました。
医学者たちの指示の下で致死率の高い細菌を使って人体実験を繰り返したと語られました。
これは731部隊の隊員が持っていた中国人の写真です。
こうした人々が部隊に送られ実験材料にされたといいます。
当時日本軍は日本に反発する中国やソ連の人たちを匪賊と呼びスパイや思想犯としてとらえていました。
ロシアで発見された資料です。
逆スパイにするなどの利用価値がないと軍が判断した人は裁判を経ずに731部隊に送られたと記されています。
その中には女性や子どもも含まれていたと裁判で証言されました。
こうした人体実験に大学から集められた医学者たちはどう関わっていたのか。
当時を知る元部隊員にたどりつきました。
こんにちは。
よろしくお願いします。
14歳の時に731部隊に入隊した三武さんです。
事実を知ってほしいと今回初めて取材に応じました。
部隊が保有する飛行機の整備に携わった三さん。
医学者の実験のため囚人が演習場へ運ばれた時に立ち会いました。
囚人はマルタと呼ばれていました。
三さんたちは少年隊員と呼ばれ1年間細菌学などの教育を受けました。
指導したのは全国の大学から集められた優秀な医学者でした。
元部隊員の一人須永鬼久太さんです。
これまで全貌が知られていなかった医学者たちの関与。
その手がかりとなる貴重な資料を保管していました。
731部隊の戦友会が戦後まとめた名簿です。
載っていたのは731部隊に集められていた医学者たちの出身大学と名前です。
こうした人々は技師と呼ばれ軍の所属となっていました。
私たちはこの資料だけでなく現存する部隊名簿や論文などから技師の経歴を洗い出し確認していきました。
その結果明らかになった内訳です。
最も多くの研究者を出していたのは京都大学。
次いで東京大学。
少なくとも10の大学や研究機関から合わせて40人の研究者が731部隊に集められていました。
技師となった医学者たちは軍医と並ぶ将校クラスとして位置づけられ731部隊の中枢にいました。
エリート医学者が部隊の研究を主導していたのです。
なぜこれほど多くの医学者が731部隊に関わる事になったのか。
取材を進めるうちに部隊と大学の知られざる関係が浮かび上がってきました。
最も多い11人の技師が確認された…公文書を保管する文書館が取材に応じました。
文部省と京都大学の間の往復文書を年ごとにとじていると。
そういった資料ですね。
その中から731部隊と大学の金銭のやり取りを示す証拠が初めて見つかりました。
細菌研究の報酬として現在の金額で500万円近い金額が研究者個人に支払われていたのです。
受け取っていたのは医学部助教授だった田部井和です。
致死率の高いチフス菌を研究していた田部井。
731部隊設立後間もなく赴任し研究班の責任者となります。
そこでどんな実験をしていたのか部下が証言しています。
人体実験をしていたという田部井。
同じ時期京大からは医学者7人が部隊に赴任していました。
取材を進めると教え子たちを部隊へ送ったと見られる教授たちの存在が浮かび上がってきました。
大きな影響力を持っていたのが医学部長を2度にわたって務めた戸田正三です。
戸田は軍と結び付く事で多額の研究費を集めていた事が分かりました。
それを裏付ける戸田の研究報告書です。
陸軍などから委託された防寒服の研究で8,000円。
軍の進出先での衛生状態の研究で7,000円。
現在の額にして合わせて2億5,000万円にも上る研究費を得ていました。
軍と関係を深めていた戸田。
そのきっかけとなったのが満州事変でした。
傀儡国家満州国が建国されると国民はそれを支持します。
こうした世論の中で大学は満州の病院などに医師を派遣。
現地の人々を病気から守る防疫活動のためとしてポスト争いを始めます。
戸田が所属する京大からも多くの医師が派遣されます。
東大や慶応大などと競いながら京大はその数を倍増させていきました。
当時戸田は医学者も国の満州進出に貢献すべきだと語っていました。
こうした中大学への影響力を拡大したのが731部隊です。
巨額の国家予算を与えられていたといいます。
今の金額で年間300億円の予算。
それを動かしていたのが731部隊の部隊長石井四郎でした。
京大医学部出身の石井は母校の指導教官の一人だった戸田と関係を深めていました。
戸田は石井と人事の話もしていたといいます。
「戸田先生が東京へ出てこられると石井君と3人でよく会談をした。
研究の件もあれば人事の件もあり先生はよく京大や若い人のために奔走された。
そのためよく占領地の支那本土へも旅行された」。
戸田が部隊の研究内容を把握していた事をうかがわせる文書も見つかっています。
教え子が書いた回顧録によれば戸田は中国の731部隊の関連施設を繰り返し訪れていたといいます。
「戸田先生が来ると早速高等官将校一同を集めての学術講演会が開かれ和気靄々と部隊の研究を推進された」。
戸田と関係が深い教授の研究室からは8人の医学者が京大全体では11人が731部隊へ赴任した事が分かっています。
京大に次いで多くの研究者が731部隊に集められた東京大学。
取材に対し「組織として積極的に関わったとは認識していない」と回答しています。
取材を進めると東大の幹部が石井と交流していた事実が明らかになりました。
医学者で東大の総長を務めた長與又郎です。
遺族の許可を得て入手した長與の日記です。
そこには総長時代から石井と接点があった事そして退任後の昭和15年731部隊の本部を視察していた事が記されていました。
「石井大佐の案内にて事業の一般を見学。
水だきの饗応を受く」。
この時の記録には東大から赴任した研究者たちの名前が記されていました。
東大からは戦時中少なくとも6人が集められた事が分かっています。
東大で開かれた微生物学会の集合写真。
石井を囲んでいるのは全国から集まった名だたる教授たちです。
大学の幹部と石井が結び付く中で優秀な医学者が集められていったのです。
医学者の中には731部隊に送られた経緯を詳細に書き残していた人もいました。
京大医学部の講師吉村寿人です。
基礎医学の研究で多くの命を救いたいと医学者を志したといいます。
国内で研究を続けたいと思いながらも教授の命令にはあらがえなかったと回想しています。
「軍の方と既に約束済の様な様子であった。
先生は突然満州の陸軍の技術援助をせよと命令された。
せっかく熱を上げてきた研究を捨てることは身を切られるほどつらいことであるから私は即座に断った。
ところが先生は『今の日本の現状からこれを断るのはもってのほかである。
もし軍に入らねば破門するから出て行け』と言われた」。
吉村らが送られた731部隊の秘密研究所。
実験のために運び込まれた囚人は年間最大600人に上ったといわれています。
生理学が専門だった吉村が命じられたのは凍傷の研究でした。
当時関東軍の兵士たちは寒さによる凍傷に悩まされていました。
その症例と対策を探る目的で人体実験を行っていた様子が裁判で語られていました。
人間を凍傷にかからせる実験をしたという吉村。
部隊で凍傷研究を進めながら満州の医学会では論文も発表していました。
論文にはさまざまな条件に人体を置いて実験していた事が記されていました。
絶食3日一昼夜不眠などの状態に置いてから零度の氷水に指を30分つけて観察していました。
裁判では吉村の研究室で凍傷実験の対象となった人を実際に見たという証言もありました。
部隊から高額の報酬を受け取っていた京大の田部井和。
実験室での研究から実戦使用の段階へと進んでいきます。
開発していたのは細菌爆弾。
大量感染を引き起こす研究を始めていたのです。
一度に10人以上の囚人を使い効果を確かめたと部下が証言しています。
生きた人間を実験材料にした医学者たち。
本来人の命を守るべき医学者はなぜ一線を越えたのか。
それを後押ししたと見られるのが日本国内の世論です。
1937年日中戦争が勃発。
中国側の激しい抗戦で日本側も犠牲が増えていきます。
日本軍は反発する中国人らを匪賊と呼び掃討作戦を行っていきます。
政府もメディアも日本の犠牲を強調し中国人への憎悪を駆り立てました。
「暴虐極る匪賊」。
「匪賊を徹底殲滅」。
世論は軍による処罰を強く支持。
匪賊に対する敵意が高まっていたのです。
そうした時代の空気と研究者は無縁ではありませんでした。
731部隊以外でも学術界では匪賊を蔑視する感情が広がっていました。
それを示す資料が北海道大学で見つかりました。
当時の厚生省が主催する研究会が発行した雑誌です。
染色体を研究する大学教授の講演の記録。
満州の匪賊を生きたまま研究材料とした事を公に語っていました。
「匪賊が人間を殺すならばその報復ではないがその匪賊を材料にしてはどうかと思いついた」。
「死んだものは絶対にだめである…染色体の状態が著しく悪くなる」。
「匪賊一人を犠牲にしたことは決して無意義ではありません。
これほど立派な材料は従来断じてないということだけはできます」。
14歳の時に731部隊に入隊した三さん。
匪賊は死刑囚だから実験材料として利用してよいと教えられたといいます。
戦争が泥沼化していった1940年代。
731部隊はついに細菌兵器の実戦使用に踏み切ります。
中国中部の複数の都市で少なくとも3回細菌を散布。
細菌兵器での攻撃は国際条約で禁止されていましたが日本は批准しないままひそかに使用しました。
更に民間人にまで感染を広げる目的で中国の集落に細菌をまいたと証言されています。
そして戦争末期の1945年8月9日。
ソ連が満州に侵攻。
731部隊は直ちに撤退を始めます。
部隊は証拠隠滅のため全ての囚人を殺害。
実験施設を徹底的に破壊しました。
医学者たちには特別の列車が用意されいち早く日本へ帰国しました。
部隊の事は一切口外するなと言われた三さん。
この時死体の処理を命じられました。
その死体の処理に「少年隊来い」って言って引っ張られていって死体の処理を各独房から引っ張り出してほれで中庭で鉄骨で井桁組んでガソリンぶっかけて焼いた訳。
焼いてね全部焼き殺して骨だけにして今度骨を拾うの。
いや戦争っていうのがこんなものかと。
戦争ってのは絶対するもんじゃないと。
つくづくそう思いましたね。
本当にね一人で泣いた。
人体実験を主導し日本へいち早く帰国した医学者たち。
戦後その行為について罪に問われる事はありませんでした。
アメリカは人体実験のデータ提供と引き換えに隊員の責任を免除したのです。
多くの教え子を部隊に送ったと見られる戸田正三は金沢大学の学長に就任。
部隊との関わりは語らないまま医学界の重鎮となりました。
チフス菌の爆弾を開発していた田部井和。
京都大学の教授となり細菌学の権威となりました。
凍傷研究の吉村寿人も教授に就任。
「自分は非人道的な実験は行っていない」と生涯否定し続けました。
「私は軍隊内において凍傷や凍死から兵隊をいかにして守るかについて部隊長の命令に従って研究したのであって決して良心を失った悪魔になったわけではない」。
当事者たちが口を閉ざす中でタブーとなってきた731部隊。
戦後72年となる今年その歴史が改めて問われています。
医学者をはじめさまざまな科学者の代表が集う…防衛省から大学などへの研究資金が急増する中で今大学と軍事研究の在り方が議論されています。
会場では731部隊がアメリカの原爆開発と並んで取り上げられました。
今私たちに問いかける医学者と731部隊の真実。
それは戦争へと突き進む中でいつの間にか人として守るべき一線を越えていったこの国の姿でした。
今回発見された音声記録。
その最後には被告たちが自らの心情を語った発言が残っていました。
医学者柄沢十三夫。
人体実験に使われた細菌を培養した責任者でした。
戦争が終わってから初めて罪の重さに気付いたと語っています。
2017/08/13(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜」[字]

戦時中、旧満州で細菌兵器を開発した731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、エリート医学者はどのように集められ、なぜ人間を実験材料にしたのか、迫る。

詳細情報
番組内容
戦時中、旧満州で密かに細菌兵器を開発し実戦で使用した、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を「死刑囚」とし、実験材料としていた実態を克明に語っていた。こうした実験を主導していたのが、大学等から集められた研究者達だった。エリート医学者はどのようにして集められ、なぜ人間を実験材料にしたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。
出演者
【語り】伊東敏恵

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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