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NHKスペシャル「本土空襲 全記録」 2017.08.12

(空襲警報)72年前私たち日本人は空襲警報が鳴る度にモグラのように地下に身を隠した。
はるか上空を飛ぶB−29から降り注ぐ無数の爆弾。
(投下音)
(爆発音)空襲の実態はこれまでそれぞれの町では語られてきた。
しかしその全体像となるとあまりに空襲の数が多く明らかになっていない。
Welcometomyoffice.今年空襲の実態を示す映像がアメリカで新たに発掘された。
178カットに及ぶ戦闘機から撮影された映像。
アメリカ国立公文書館にも大量の映像や攻撃記録が眠っていた。
これが日本各地で撮影されたガンカメラの映像。
至近距離から銃撃される民家や港列車。
子どもたちが学ぶ学校まで攻撃されていた。
今回新発見の映像や未公開資料など空襲に関するあらゆる情報を集めた。
爆撃や銃撃が行われた日時場所規模そして被害。
資料と映像を突き合わせて細かくデータ化した。
それらを基に本土空襲マップを作成。
これまで断片的にしか分からなかった空襲の全体像を描き出した。
すると空襲を受けた回数は従来の見方よりはるかに多く2,000に上り犠牲者はおよそ46万人に迫る事が分かってきた。
更に当初は軍事施設に限られた空襲が日米のしれつな戦いの中で果てしなく拡大していく過程も明らかになった。
日本人全てが標的になった。
投下された…撃ち込まれた…データと映像から見えてきたすさまじい空襲の実像。
日本を焼き尽くした本土空襲の全貌に迫った。
今年6月アメリカで開かれた航空ショー。
第2次世界大戦中の米軍機が空を飛ぶ。
注目の的は長距離爆撃機B−29。
(拍手)超空の要塞と呼ばれるB−29はアメリカ軍による日本本土空襲の主力だった。
第2次世界大戦中4年の歳月と30億ドルの巨額の費用をかけて開発されたB−29。
航続距離は従来の1.5倍。
日本からハワイまでとほぼ同じおよそ6,000kmに及ぶ。
このB−29が本格的な本土空襲を可能にした。
機体の腹には爆弾40発を搭載。
焼夷弾なら一度に1,000発を投下できた。
今回発掘されたアメリカの日本空襲に関する機密文書。
2万ページを超える戦闘報告書や作戦計画書などである。
NHKはこれらの資料と記録映像を基に空襲の計画とその結果を網羅した2種類の本土空襲マップを作成した。
これは本土空襲が始まる1年前アメリカ軍が既に作成していた攻撃目標のリスト。
標的は日本全国1,000か所を超えていた。
兵器工場や飛行場航空機産業。
軍事関係の施設に限定して精密爆撃を行う事が当初の計画だった。
こちらは実際に空襲を行ったあとの報告書。
爆弾を投下した日時と場所そして被害の規模がそれぞれ分かる。
1,000の攻撃計画からアメリカがまず目標に選んだのは東京の飛行機工場。
この計画のためにアメリカはある島をおさえようとしていた。
マリアナ諸島サイパン。
今はビーチリゾートとしてにぎわう島だ。
東京までは2,400km。
サイパンにB−29の基地を作れば爆弾を積んでも日本まで往復できる。
サイパンがあるマリアナ諸島を巡って日米のしれつな戦いが始まる。
戦闘機の翼に取り付けられた記録用の…機銃を撃つと自動的に撮影が始まるこのカメラが戦いを克明に写していた。
日本軍との空中戦。
当時アメリカは太平洋で日本の勢力圏を次々と奪っていた。
日本にとってマリアナ諸島は本土防衛の要。
激戦となった。
当時島に住んでいた日本の民間人も巻き込まれ日本側は合わせて5万人が犠牲になった。
(拍手と歓声)しかしアメリカ側もこの攻防で3,400人が戦死。
日米互いに憎しみを募らせた。
サイパンに100機を超えるB−29が集結した。
11月最初の攻撃目標東京の飛行機工場に向け飛び立った。
標的は…中島飛行機は日本の主力戦闘機のメーカーでここではゼロ戦のエンジンを作っていた。
これはその工場を狙った空襲の映像。
ほとんどの爆弾が標的から外れ工場の外に落ち市民にも犠牲者が出た。
工場から200mの位置に延命寺という寺があった。
この空襲を記録したアメリカ軍の機密文書が存在した。
B−2924機が爆弾231発を投下したがその命中率は僅か7%。
満足できない結果だと記されている。
本土空襲マップ。
東京のあと愛知兵庫の飛行機工場も爆撃。
2か月で13回の空襲が繰り返されていた。
しかしこれらの空襲に参加したB−29延べ1,031機のうち当初の目標を爆撃できたのは半分にすぎなかった。
それはなぜなのか。
本土空襲の作戦に22回加わった。
軍需工場だけを狙ってはるか上空から爆弾を当てる事は至難の業だったという。
B−29は日本軍の迎撃を避けるため1万mもの高度で飛んだ。
だがそこは風速100メートルのジェット気流が吹き荒れ厚い雲が視界を阻む空だった。
アメリカ軍が計画した精密爆撃は行き詰まっていた。
アメリカ陸軍航空軍は日本本土空襲の指揮官を更迭しある人物を呼び寄せました。
カーチス・ルメイ少将。
都市への無差別爆撃でドイツを苦しめた指揮官です。
ルメイは本土空襲の方針を精密爆撃から無差別爆撃へと大きく転換させました。
軍需工場に当てるのが難しいなら都市全体を住民もろとも標的にしようという作戦です。
民家の中には小さな工場も入り交じっていると無差別爆撃を正当化しました。
ルメイは本土空襲用の兵器として新型の焼夷弾を採用しました。
粘りけを加えたガソリンが充填されています。
燃焼力を高め消火しにくい工夫も凝らした新型焼夷弾。
アメリカは実物大の日本の家屋を再現し実験を繰り返しました。
3月10日焼夷弾を満載したB−29325機が日本に向かいました。
新型焼夷弾32万7,000発が住宅密集地にばらまかれました。
この空襲で12万を超える人々が犠牲になったと見られています。
こうなったりねあるいは…。
暮らしを根こそぎ奪われた日本の市民の間に復讐を誓う声が高まりました。
一方のアメリカ。
ルメイ少将は空襲の翌日こう宣言しました。
ルメイによる無差別爆撃が実行に移された背景には何があったのか。
日本軍がこれまでに中国で行った爆撃。
1938年から日本は当時国民政府の臨時首都だった重慶を長距離爆撃機で200回以上空襲。
焼夷弾も使った攻撃で1万人以上が犠牲になりました。
都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。
日本への爆撃は当然だと見る空気がアメリカにはあったのです。
東京大空襲の翌日からほかの大都市にも無差別爆撃が次々と行われました。
名古屋大阪神戸。
192万発の焼夷弾による空襲で市街地が焦土と化しました。
本土空襲による犠牲者は累計で14万人を超えました。
一方アメリカ軍のB−29にも日本の迎撃部隊の応戦で損害が出ていました。
マリアナの基地に戻ったB−29には無数の銃弾の跡。
戻らない機体も数多くありました。
B−29の撃墜を日本が宣伝する映像です。
空襲開始から4か月でアメリカ軍が失ったB−29は105機。
搭乗員の死者行方不明者は864人。
捕虜になる者も多くいました。
こちらはアメリカ側の宣伝映画。
捕虜になったアメリカ兵への残虐な仕打ちを国民にアピールしました。
(銃声)4月から6月にかけての本土空襲マップ。
攻撃対象が広がった。
軍港のある呉や飛行場のある鹿屋など地方の軍事都市である。
空襲が拡大した背景にはこの島があった。
硫黄島。
アメリカは日本からこの島を奪い最新鋭の戦闘機を配備しようとしていた。
戦闘機は航続距離が短くサイパンからは日本を攻撃できない。
硫黄島に基地があればそこから出撃しB−29を護衛して共に日本を空襲する事ができる。
硫黄島を巡る争奪戦はしれつなものとなった。
海岸に築かれた日本の陣地を銃撃する様子がガンカメラに記録されていた。
アメリカの上陸部隊が島に一気に押し寄せた。
ひとつき後アメリカは硫黄島を占領。
そこにB−29の護衛を専門とする部隊が配備された。
アメリカ第7戦闘機集団。
最新鋭のP−51戦闘機100機以上が本土空襲に加わる事になった。
愛車のナンバーは…4か月にわたって日本への空襲に加わった。
これは…イェリンさんたちP−51部隊が護衛についた事で日本は急激に制空権を失っていった。
この事が本土空襲を地方の軍事都市にまで拡大させた。
P−51部隊には護衛のほかに新たな任務が与えられた。
ガンカメラの映像の分析からそれが詳細に見えてきた。
P−51はB−29と別行動をし始めていた。
その標的は飛行場に並ぶ軍用機や燃料庫。
超低空から肉眼で見ながら攻撃し日本の戦闘力を徹底的に奪っていった。
低空からの攻撃がいかに有効だったか。
日本の研究者たちの映像解析でも分かってきた。
上空からの空襲を避けるため迷彩を施したこの軍事施設も低空からの攻撃には無力だった。
こちらはアメリカ軍をかく乱するための偽物の戦闘機。
最初はつられて銃撃したもののすぐに見破られた。
6月中旬までにB−29の爆撃と戦闘機の低空からの銃撃でおもだった飛行場や軍事都市は軒並み破壊された。
本土空襲開始からの犠牲者は18万人を超えた。
アメリカ軍は攻撃の手を緩めず空襲の範囲を更に広げていきました。
新たな計画を示す本土空襲マップ。
これまで標的となったおよそ40の都市に加え北海道を含む地方の中小都市180にまで拡大していました。
もはや大都市には破壊すべき標的がなくなり空襲と無縁だった町も次々と攻撃されるようになりました。
ターゲットとして鉄道が狙われるケースがこの月になって急増している事が分かりました。
マップに落とし込んでみると攻撃された場所の数はひとつきで160か所に上りました。
ガンカメラが捉えた鉄道への機銃掃射。
場所は奈良県王寺駅。
その時列車には学生たちがいました。
低空からの激しい銃撃。
鈴木さんは背中を撃たれました。
近くの自宅まではって逃げたもののそこでまた撃たれ倒れました。
今も体には銃弾を受けた跡が残っています。
(鈴木)何でそんな…ねえニヤッと笑いながら何で撃ってくんの?顔も見えてるし。
私の邪推かもしれへんけど…なぜ鈴木さんたち学生が乗る列車が狙われたのか。
まさにその日の攻撃の報告書が見つかりました。
列車を銃撃し破壊した事が記録されています。
ところが当初の攻撃目標を見ると「大阪の飛行場」と書かれています。
実はこのころ日本の飛行場に戦闘機は少なくなっていました。
パイロットは自らの判断で目標を変更し撃ってよいとされていました。
これは臨機目標と呼ばれました。
この事が攻撃対象を更に拡大させていったのです。
北海道から九州まで。
全国各地で繰り返された鉄道への攻撃。
毛細血管のように全国に広がり日本を支えてきた輸送網が断ち切られていきました。
鉄道への空襲で2,300人が犠牲になりました。
終戦直前もう一つ大きな動きが浮かび上がった。
この時期Pー51をはじめアメリカ陸軍航空軍による空襲の40%以上が九州に集中していた。
それはなぜなのか。
その背景を示す文書があった。
九州から本土上陸を果たそうとする作戦をアメリカ軍は進めていたのだ。
鹿児島と宮崎の海岸から上陸し九州南部を攻略。
そこを拠点にBー29で関東を空襲し日本を降伏に追い込む計画だった。
一方日本軍はこの作戦を事前に察知。
各地から部隊を送り込み九州の守りを強化した。
かき集めた兵力は60万人に上った。
アメリカ軍の上陸予定地の一つ吹上浜。
本土空襲を巡る憎しみの連鎖は九州の地で後戻りできない最悪の事態へとエスカレートしていく。
各地から動員されてきた部隊は海岸で奇妙な訓練を開始した。
その光景が目に焼き付いている。
それは爆弾を抱えて戦車に飛び込む特攻の訓練だった。
上陸を阻もうと日本が準備したのは特攻作戦だった。
鹿児島の地下深くに築かれた特攻作戦の通信基地。
特攻機は目標に体当たりする時ここにモールス信号を送り続けた。
信号が途絶える事はパイロットの死を意味していた。
大本営が策定した…本土上陸を狙うアメリカ軍に全兵力を挙げた特攻で打撃を与えようとする作戦だった。
決号作戦に備えて空と海のさまざまな特攻兵器が開発され九州に配備された。
九州南部だけで40か所の特攻基地が建設された。
アメリカ軍は既にフィリピンや沖縄の戦いで特攻による大きな被害を受けていた。
命を捨てた体当たりを神風と呼び日本に対する恐怖心を強めた。
当時のアメリカの雑誌記事。
「神風は20世紀の人類の仕業とは思えない不気味な兵器だ」。
「日本は何をするか分からない」。
その恐怖が膨らむにつれアメリカ軍の日本への攻撃は激しさを増していった。
民間人も標的になった。
撃たれているのは学校。
一部の校舎に決号作戦を準備する兵士たちが駐屯していた。
多くの子どもたちが犠牲になった。
当時小学生だった久保さん兄妹。
学校のすぐそばで空襲に遭い逃げ込んだ防空壕。
そこを爆弾が直撃した。
久保さんの4歳の弟と1歳の妹が亡くなった。
(鈴の音)空襲の的になった子どもたち。
激化する戦闘は子どもたちの間にも敵と戦うという気持ちを高めさせた。
国は最終決戦に向け全国民を戦闘に総動員する義勇兵役法を制定。
小中学生の年齢でも志願すれば戦闘に加われるようになった。
じゃあみんなもしっかりやるぞ。
(一同)はい!当時14歳だった関屋文夫さん。
学校で繰り返しアメリカ軍への攻撃方法を学んだ。
子どもも大人も軍人も民間人もいつの間にか果てしない殺し合いの中にいた。
アメリカ軍の機密文書にはこう記されていた。
「民間人とはいかなる軍の組織にも属さない者である。
この定義によれば日本に民間人はいない」。
8月本土空襲マップにひときわ大きな空襲が2つ刻まれた。
広島と長崎に向かった2機のB−29から落とされた原子爆弾。
21万を超す命が奪われた。
日本の降伏は目前だった。
しかし本土空襲はやまなかった。
終戦の前日東京大空襲の倍779機のB−29が出撃した。
8月15日日本降伏。
一年にわたる空襲の結果66の都市が焦土となった。
少なくとも45万9,000人。
これが本土空襲の犠牲者の数である。
イェリンさんは戦後38年たって日本を訪れた。
その時ふとした事で心が動いた。
皆さんおはようございます。
(一同)おはようございます。
駅で体に銃弾を受けた鈴木知英子さん。
戦後戦争の悲惨さを伝えるため語り部の活動を続けている。
命を奪い合い互いに恐れと憎しみを増していった日米の戦い。
本土空襲。
こうして日本は焼き尽くされた。
2017/08/12(土) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「本土空襲 全記録」[字]

太平洋戦争中、戦闘機に装備され、機銃を撃つと自動的に作動する「ガンカメラ」の映像など、最新の発掘資料をもとに、日本本土への空襲の“全貌”に迫る。

詳細情報
番組内容
太平洋戦争中、戦闘機に装備され、機銃を撃つと自動的に作動する「ガンカメラ」の映像がいま相次いで発掘されている。米国でB29による新たな空襲映像も見つかった。日本本土への空襲。その規模の甚大さゆえに捉えきれてこなかった本土空襲の“全貌”が、ようやく見えてきた。膨大な新資料に分析を加え、データ・推移を地図にして可視化することで、大規模な戦略爆撃作戦の知られざる全体像に迫る。
出演者
【語り】ミムラ,濱中博久

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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