私の父は陸軍に応召し、亡くなる4年前に特攻でこれから出撃するパイロットに、爆弾の安全装置の解除の仕方を教えて回っていたと、初めて語りました。父が教えて回る前は、彼等は安全装置の解除方法を知らずに突っ込んでいました。父は「彼らは犬死にさせられた」と、本当に怒っていました。 続
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承前 「犬死に」とは、このように当事者が言うことであって、我々当事の事を知らない者が軽々しく言うことではありません。 続
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承前 何故日本の高度経済成長が成し遂げられたか。父もそうでしたが、生き残った者の「なぜ自分が生き残ったのか」という大きな贖罪感が後押しし、日本を絶対復興させるという強い思いによるものだと思います。 続
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承前 これから死にに行く同年輩のパイロットに死に方を教えていた訳ですから、死ぬ間際まで語れなかった訳です。 我が家には、特攻機のメンテナンスに使った工具が残っています。
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特攻に関してもう一つ 2006年ワルシャワからベルリンまでベルリン-ワルシャワ急行を利用した時、ポーランド人母娘と同席になりました。 ポーランドの変貌ぶりや日本について話したのですが、母親が突然「なぜカミカゼを日本はしたの?」と質問して来ました。 続
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承前 恐らく彼女は日本がヒステリックになって狂気から実行したと思っていたのでしょう。現在の日本と全く結びつかない。そんな疑問からの質問という感じでした。 私はしばし考えて 圧倒的な米軍の前に為すすべがなくなり、カミカゼを実行した。 と話しました。 続
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すると彼女は一言 ワルシャワ蜂起と一緒ね と言ったのです。 ワルシャワ蜂起でも圧倒的な軍事力の違いの前に、蜂起軍の人達は体に爆弾を巻き付けて、ナチスドイツに突っ込んで行ったのです。
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犬死に、が冒涜なら例えば虫けらのように殺され、も冒涜的表現で、その表現が本当に死者を冒涜するものなのかは文脈の中で読み取るものだと思います。その比喩が表す厳然たる事実を日本人は直視出来なかったのが戦後ではないのでしょうか。多くの死の上に戦後のこの社会があることを謙虚に考えたい。
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そもそも、なぜ、第二次世界大戦が起きたのか?それは第一次世界対戦、あまりにも大量に人が「虫けらのように殺され」た、という事実があって、あまりにもひどすぎて、その厳然たる事実を直視できなかったため、どこの国でも、「先の戦争で亡くなられた方々の無念」と死者を勝手に召喚し、
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自国をまとめようとした、死者を自己都合で勝手に使った、そういう冒涜あって、自動的・機械的に、死者の名を騙って、第二次世界大戦が勃発。
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あと、あれよね、そもそも、何かの役に立つ、ま、現代のてか、オレ様の役に立つように死ね、っていういわれはそもそも論でないよね。殺されていい理由あーる、それはオレの役にたつなら殺されていいのだ、ってな、理由なんかねーよ。
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こう生きろとか、こう死ねとかな、ま、オレ都合でひとにゆうてはいかんな。オレの役にたつように生きろとか、オレの役にたつように死ねとか。
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特攻隊の難しいところは異常な作戦と異常な状況下で生まれた純粋な心が矛盾しつつも存在すること。愚かで悲しくだけれども責めることもできない特攻隊員達。無謀で狂気的な作戦に反感を抱く兵も多かったでしょう。でも犬死と責めることはできない。どれだけの覚悟で飛んだことか。
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本当に、なんというか。特攻隊に限らず、国の為に死んでいったとか、犬死だとか、戦死者の供養の為にはこういう思想を持つべきだとか、そういう決めつけやめてほしいです。そんなことじゃないと思います。
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仰っている事はとてもよくわかります。敬意は払うべきだと思います。しかし一方でやはり作戦を立案した人間の責任は、私たちの将来に生かすためにきちんと追及すべき、掘り下げるべきではないでしょうか?そこが今まで不十分だったように思います。
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横から失礼します。別でもツイートしましたが。神風特攻隊創始者・大西瀧治郎海軍中将。1945年8月16日に割腹自決。戦後、特攻隊員戦死者名簿に名前を刻まれる。神風特攻隊の命名者・猪口力平海軍大佐。「後から行くぞ」と隊員を送り出したものの、1983年7月13日に死去。
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鹿屋基地から特攻隊員を送り出した宇垣纏海軍中将。1945年8月15日に玉音放送を聞いた後で11機23名を率い沖縄突入。宇垣中将は通常攻撃で敵艦を沈められると言ったベテランパイロットに「まかりならん」と特攻を命令。僕が印象に残る現地司令官はこの3人です。
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そもそもアイディア自体は大西というよりも城英一郎海軍大佐だったと言われています。一旦は城の上申を大西は退けていますからね。そもそも海軍と陸軍の権力争いかあったりと、今名前が出ている人間だけの責任ではないはずです。
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もちろんです。例えば海軍大臣・米内光正が何故特攻作戦を止めなかったのかと思います。何故 、井上成美海軍次官がその舌鋒をもって愚を看破しなかったのかと。残念ながら軍政は、作戦を指揮統括する軍令部には口を出せなかったんでしょうね。(これは、僕の推論です)
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そうかもしれませんね。いずれにせよ特攻で散った方々への敬意は抱きつつも、仰って頂いたような上層部の責任をきっちり追及して行くべきだと思うのです。このような組織の問題は未来もありうるからこそ、まさに今を生きる私たちの責任として追及すべきかと思います。
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