1999
1947年8月14日。インド独立よりも一日早いこの日、インド北東部の山深い地で、小さな国家が独立宣言を果たしていた。しかしその後、この地は世界から遮断され、意図的に隠蔽され続けている。ナガの国『ナガランド』は、国際社会に顧みられることもないまま、50年以上にわたって弾圧にあえぎ、そして独立を求める武装闘争を続けていた。
色鮮やかな織物と鳥の羽の髪飾り。手には槍と盾を持ち、地に響く奇声を発しながら、首狩りの戦士の踊りは徐々に興奮の度合いを高めていった。「ひょっとしたら、山奥では今でもまだ首を狩っている連中がいるかもしれないよ」。案内してくれた青年が冗談めかして言ったあと、こう付け加えた。「インドとは明らかに違う我々の文化を見れば、なぜナガがインドの一部ではないのか、なぜ我々が戦い続けているのかがおわかりでしょう」。
推定人口300万人。居住地はインド北東部から東はビルマ領にまでおよぶ。山岳地帯に住み、焼き畑と狩猟で独自の文化を育んできたナガは、イギリス植民地時代にその居住地の一部の侵略を許したものの、常に外部からの支配を拒み続けてきた。しかし、インドとビルマがイギリスから独立する過程で、全く実効支配を受けていなかったナガの居住地に、両国の国境線が一方的に引かれた。40以上の小さな部族からなるナガは、インド独立の前日、『ナガランド』としての独立を宣言したが、国際的な認知は全く得られなかった。
ナガの悲惨な歴史はこの時から始まった。「未開の人々を滅びるままにはしておけない」という名目で1951年以降進められたインドの軍事侵攻は熾烈を極めたといわれる。ナガは武装抵抗運動を組織するとともに、インド政府の選挙のボイコットなどを通して、一貫してインド支配に抵抗を続けている。
「1954~57年はとにかくひどかった。インド軍によって村という村が焼き払われた。私の村は3度焼かれ、村人の3分の1以上が犠牲になった」と、ロタ族の長老(66)は眉をひそめて語る。また、別のスミ族の男性(39)は言う。「私たちの世代の多くは、ジャングルの中で生まれた。村を焼き払われて、ジャングルに逃げ込むしかなかったからです」。インド軍の侵攻によってこれまでに20~25万人のナガ人が命を失ったといわれるが、これもまた推計の域を出ない。ここでは全ての事実が隠蔽され、歴史からもみ消されている。インド政府はごく一部の例外を除いて、外国人の立ち入りはもちろん、インド人の入域も厳しく制限する政策をとり続けている。
1978年の発足以来、インド軍による人権弾圧を監視し続けているNGO『ナガ人権市民運動』(NPMHR)の活動家(40)は語る。「1958年以来、インドの北東部対策として発効したArmed
Forces Special Powers Actという法律が、インドの軍と警察の非人道的な活動を容認しています。この法律によって、インド軍と警察は、治安維持を名目として逮捕、拷問、虐殺、レイプ、焼き討ちなど、あらゆる活動を黙認されています」。同法は現在も、インド最高裁でその違憲性の審議が続いている。NPMHRが調査したインド軍による人権被害リストには、被害者の名前とともに「逮捕」「拷問」「射殺」「刺殺」といった文字が毎月のように並ぶ。しかし「インド政府の隠蔽政策によって、ナガランドでの人権弾圧はなかなか見えてこないし、国際社会にも知られることはない。それでも、ここでは人々はインドによって弾圧され、殺されているのです」。
イギリス植民地時代、「未開の民族」としてイギリスが放置政策をとった一方で、19世紀末、アメリカン・バプティストの宣教師がナガランドに入り、布教活動を開始した。以来、首狩りの風習を捨てたナガの人々はキリスト教に帰依し、現在では9割を超える人々が敬けんなクリスチャンとなっている。スミ族の牧師(43)は言う。「インドは最初、銃でナガを従わせようとした。それが難しいとなると、今度は金で懐柔しようとした。そして今、宗教を含めたヒンドゥー化でナガをインドに取り込もうとしている」。特に、近年勢力を伸ばしているヒンドゥー至上主義団体やそれに支えられた政党に危機感をあらわにする。加えてインドからの植民や、バングラデシュから大量に流入する不法移民の問題も、ナガの独自の文化を脅かすものとなっている。「忘れ、許すことを説いている」一方で、「クリスチャンにとって、教会は正義の中心。そして独立を求める闘いには正義がある」と、教会関係者として独立運動に積極的に関わっていることを隠さない。
また、ドラッグ禍も現在ナガの若者の間で深刻な問題になっている。ビルマ領からマニプル州を経て、大量の麻薬がナガランドに流入しているが、これは「インド軍や政府関係者が裏で糸を引いている」と言われている。独立運動組織が検挙する麻薬は大麻樹脂、ヘロイン、化学合成薬品と多岐にわたり、量も一度に数百キロにおよぶこともある。延々と続く紛争状態に失望した多くの若者がドラッグに手を染め、またそれによってインド軍に操られているのだという。「若いころはひどいジャンキーだった」というスミ族の青年は(35)は語る。「ヘロインを手に入れるためなら何でもやった。取引相手がインド人だろうと関係なかった」。しかしその後麻薬と手を切った彼は、現在独立運動の諜報部員として対インド闘争に身を捧げている。「多くの人を死に追いやる麻薬はクリスチャン精神に反する。インドが麻薬を使ってナガを骨抜きにしようとしているのだ。若者たちには早く現実に気付いて欲しい」。
現在まで国連では、ナガは先住民として招待され意見を述べたことはあるものの、政治問題としては取り上げられたことはない。しかし、ナガランドではすでにナガランド民族社会主義評議会(NSCN)が主導する『ナガランド人民共和国』が国家組織として産声をあげつつある。インド統治下でありながら市民から税金を集め、政府と軍隊を組織して対インド闘争を続けている。民主的手続きによるものではないが、国会や内閣も備えている。兵力約6000人。志願制で必要経費以外は報酬も皆無だが、志願する若者は後を絶たず、士気も極めて高い。また“国家”予算は6億円にも達するという。R・H・ライシン国務大臣(53)は語る。「ナガランド問題は、インドの内政問題でも治安問題でもない。国際問題、国家間紛争なのです」。20万人とも言われるインド駐留軍を相手に、独立を求めて徹底抗戦を続ける彼らに、一般市民の支持は強い。そして1997年8月1日、ナガランド人民共和国政府はインド政府との間で停戦に合意、ナガランド問題の決着をめざして和平交渉に入った。危うい和平交渉の行方
「メリークリスマス!」。町にはサンタクロースの人形が立ち、行き交う人々は互いに誰かれ構わず声を掛け合い、満面の笑みで握手をする。「こんなに平和なクリスマスは初めてです」と、ナガランド人民共和国軍の大尉夫人(32)はほほえんだ。逮捕や暗殺、レイプに恐れおののき、夜間の外出など命がけだった以前に比べれば、インドとの停戦合意の影響は劇的だった。
「確かに、以前に比べて状況は飛躍的に良くなった。しかし、根本的には問題はまだほとんど解決していない」と、停戦監視部隊のプンシン中佐は言う。ナガランド人民共和国軍に属する彼の任務は、インド軍と協力して停戦中に起こる様々な問題を協議、解決することだが、「数は減ったとはいえ、停戦中の今も、一般市民や独立運動の活動家が殺されて続けている。しかしインド側の協力が得られず、真相は全く究明できないまま。傷から軍の銃剣が使われたことまでは推測できるのだが」と表情を曇らせる。
インド軍との停戦は多くの市民からの圧倒的な支持を得ている。「状況はとても良くなった。あとは問題の最終解決、独立だけだ」という楽観的ともとれる声があちこちから聞こえる。しかし、問題はそう簡単ではない。「インド政府の対応は不誠実すぎる」と、インド首相との交渉に当たっているナガランド人民共和国のTh・ムイヴァ首相(64)は語る。加えて、「近年のインドの政権はいずれも脆弱。ようやく交渉が進展したら次はまた別の首相になっていて、交渉はそのたびに何度もやり直しだ」。ナガランド問題の協議は、「首相級では比較的前向き」に取り組まれるものの、「インドの政治家や官僚が解決の足を引っ張っている」ため、首相の交代は交渉の進展に大きな支障となっている。この3月24~27日、オランダのアムステルダムでインド政府との交渉が持たれたばかりだったが、4月17日にはインドのバジパイ首相の退陣が決まり、再び交渉は後戻りするとも考えられる。停戦期限は今年7月30日で切れる。それまでに何らかの進展が見られない場合、停戦期限の延長に応じず、再び戦闘状態になることは「残念ながら、十分に考えられる」という。その日に備えて、国際市場で調達した武器をベンガル湾に荷揚げし、陸路ナガランドへ運び込むことに「力を入れている」とムイヴァ首相は明かした。
ナガ内部も一枚岩というわけではない。現在インド連邦を構成するナガランド州政府はいわゆる「併合派」が主導しており、50年以上にわたるインド支配で「闘争よりもインド支配下での平和を」望む声もある。また独立派も、NSCN以外にナガ民族評議会(NNC)やビルマ領出身のコニャク族を主とするNSCNカプラン派と呼ばれる勢力が主導権を主張して対立しており、ナガ同士で戦火を交える事態にも発展している。
ナガランド周辺では第二次大戦末期、多くの犠牲者を出したことで悪名高い「インパール作戦」が展開された。ナガランド州の州都コヒマには、旧日本軍戦没者の慰霊碑が建てられている。ナガの老人には、当時の旧日本軍兵の姿をなつかしく語る人は少なくない。日本ではナガという名前さえ全く知られていないが、ナガにとって日本は、同じ顔をした兄弟との思いが驚くほど強い。R・H・ライシン国務大臣は日本についてこう語る。「インド政府に対して援助をするなとは言わない。しかし、アカウンタビリティーを要求して欲しい。その金で、我々は苦しめられているのです」。
現在、インド北東部では多くの民族が自治権拡大などを目指して武装闘争を続けている。バングラデシュ・ビルマ国境からインド北東部、中国雲南省に抜ける山岳地帯はモンゴロイド系山岳先住民の居住地だが、彼らの置かれた状況はこれまでほとんど注目されることはなかった。その問題の多くは植民地時代に端を発し、冷戦下での大国の対立にほんろうされてきた歴史がある。森林資源はもとより、石油など地下資源の埋蔵も期待されている同地域の、カギを握るとも言われるナガの独立問題。半世紀にわたってその窮状を放置してきた国際社会の責任は大きい。