戦争責任、国会で検証を…読売主筆が特派員協会で講演(読売)
読売・渡辺会長 戦争責任語る・戦争責任の検証へ、昭和天皇を含む=読売渡辺会長(ライブドア)
読売新聞は去年から「検証・戦争責任」という連載を続けています。新聞を自分の政治工作の道具に使うのは気に入りませんが、3月3日の特集「メディア」はなかなかの出来栄えでした。
「言論」忘れ宣伝機関に 戦況伝えず国民鼓舞
業界機関紙も戦意発揚一色
〔42年2月にできた業界団体「日本新聞会」の機関紙『日本新聞報』では〕読売新聞の正力松太郎社長もインタビューで、「新聞の指導理念は国体観念に徹していなければならない」(第19号)と述べた。
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戦争は�商機�積極的推進も
一方、中外商業新報〔日経の前身のひとつ〕社長から転じて、日本新聞会会長に就いた田中都吉は、「〔中略〕私の経験では、軍部は勿論情報局内務省等、……誠に友好的協力的であった」(『五十人の新聞人』)と証言している。
新聞は必ずしも「統制に嫌々協力させられた」わけではなく、積極的に戦争推進に向かった一面をうかがわせる。
新聞の戦争責任論というと、言論弾圧を受けた被害者の側面を強調して正当化したり、責任を感じて戦後、新聞社を辞めた人(むのたけじ氏など)に間接的に批判させる形ばかりで、現役記者が自らの言葉で自社の責任を検証したことは殆どなかったと思います。そういう意味では画期的かもしれません。
特集での、二人の専門家へのインタビューも痛烈です。
統制甘受した�共犯関係� 佐藤卓己(京大大学院助教授)
彼〔情報局の情報官・鈴木庫三〕の残した日記などと実際の状況を比べてみた結果、言論弾圧といわれた事例の多くが、戦後、メディア側の責任逃れのために創作されたということが明らかになりました。「うちにも少しでもたくさんの紙をくれ」と言う形で、情報局に接待攻勢をかけていたのは、大出版社であり、大新聞社でした。確かに統制する側とされる側があったとしても、そこには共犯関係以上のものがあったのです。
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地方紙の一県一紙体制が、あんなにスムーズにできたのは、業界にも都合が良かったからです。地方紙は、全国紙の進出を抑えて地盤を固めたかった。全国紙は効率よく部数を拡大したかった。〔中略〕統廃合でつぶされた新聞社は、究極のところを言えば、紙の配給が原因でした。
発表のウソ分かっていた 山本武利(早稲田大学教授)
新聞社は「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」など海外の短波放送をひそかに聞いていた。しかし、これを紙面に反映させることはしていない。
――大本営発表はウソだとわかっていながらそのまま報道していた。
山本 そこは大変責任が重いところだ。確かに弾圧で自殺に追い込まれた人も少しはいた。しかし、3大紙は力があった。協力すれば抵抗できたはずだ。
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ドイツ、フランスではファシズムに協力したメディア人は障害、メディア界から追放された。これに比べ、日本のメディアの幹部は、戦犯容疑者として収監されたり、公職追放されたりしたが、復帰は早かった。
マスコミの大袈裟な決まり文句でいえば、言論弾圧で仕方なく軍部に協力したという「神話の崩壊」といえるでしょう。
グラフでみると当時は三大紙といっても「二強」朝日・毎日と「一弱」読売だったことが分かります。朝日と毎日、特にナベツネと靖国批判で意気投合していた朝日の若宮みたいな輩は、この問題提起にどう答えるのでしょうか。
新聞の戦争責任を認めたのは一歩前進ですが、ではその責任をどうとるのか。今の政府に戦争責任があるというなら、より当時との継続性の強い新聞がまず先にけじめをつけてみろと。ナベツネも政治に口出しする前に業界人としてやるべきことがあるだろ! 即刻廃刊しろとまではいいませんが(笑)
たとえば靖国神社の遊就館に難癖をつけるのなら、率先して日本新聞博物館の展示をすべて新聞の戦争責任を謝罪・反省する内容に全面改装してみろといいたいですね。
戦時中も戦後も新聞の体質は変わっていない、ということはたびたび指摘されてきました。例えば以前も載せた(ナベツネが死ぬまで書いてやれ)10年前の渡辺恒雄の再販問題をめぐる暴言についての報道もそうです。
衆議院・規制緩和に関する特別委員会(平成八年六月五日)
再販をやめてしまえというような、ただ流通経済の立場から、経済法の立場からのみ――経済法にもならぬ、こんなものは、そういう考え方は。そういういいかげんな物の考え方について何で新聞が大きなスペースをあけてこのような愚劣な考え方を報道しなければならないのか。国民の一%も支持しない少数意見を、それも中間報告はちゃんと報道したのです、立派に。あらゆる機会に中間報告というのはこういう愚劣なものだということを報道しているのです。報道してないのではないのです。
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こういう凶悪な人たち、お言葉をそのままお返しするわけでありますが、凶悪な人たちの議論を大々的に報道する義務を感じないのです。オウム真理教の教祖の理論を長々と新聞で連載して全部書けと言われたって、書きません。それと同じことであります。
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公取委員会というのは、そのような意味で、内閣に責任を負わず独立して権限を行使するという団体であり、私はそのこと自体が憲法違反だと思うのでありますが、憲法論になりますからここでは申し上げませんが、そのような委員会が勝手につくった私的委員会の私的な中間報告なるものを、どうして我々が大きく報道しなければならないかということに疑問を持つ。
いくら強調しても足りないと思いますが、10年経った今なおどの新聞もこの発言の存在自体を認めていません。
攻撃対象にされた三輪芳朗・東大教授の見解。
「反論封じる日本の新聞:新聞再販と知る権利」『東京大学新聞』(1997年5月6日号、通算3061号)
著作物には雑誌・書籍も含まれ、雑誌協会・出版協会も結託して新聞協会と協調している。このため、見直し論は雑誌にも掲載されず、言及する論文を含む書籍も出版を拒否される。『日経』見開き頁の右肩を飾る城山三郎の文章のタイトルは「言論弾圧への恐ろしさ」だが、巧まざるユーモアだ。継続中の言論弾圧は、再販適用除外の是非を超えた重大問題の所在を教える。今回は顕在化したが、情報を管理・統制してこれまでどれほど「知る権利」を侵害したかわからない。今後もいつ何をされるかわからないとの恐怖心を抱かせる。
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「戦争中の新聞と変わらないな」とは当時中学生だった知人の言だ。ドイツとイタリアでは新聞はすべて廃刊され、戦後の新聞は新しい題号で新しい経営者により連合軍の許可を得て発行された。日本の新聞は旧題号のまま発行を続け、廃刊を命じられたものはない。1945年の9月10日頃朝日新聞社を訪れた米人の新聞記者グループは、「なぜ日本の新聞は廃刊しないか」と尋ねたという。自ら選択したから、強制されたとの言い訳は今回は使えない。「言論の自由」「民主社会」の守護神を自任する機関群の行動と製品の質に対するわれわれの成熟度が問われている。白でも黒でも鼠を捕るのがよい猫だ。「新聞の機能」が重要だとしても、既存の新聞という機関がよいとはかぎらない。
フリー記者・長岡義幸氏。
検証・蕃作物の再販制度(2) 不正常な取引がまかり通る新聞の販売現場(『月刊社会民主』96年10月号)
委員会を傍聴したある専門記者は「渡邊氏の発言は再販制に関連する新聞報道が一方的なものだということを自ら宣言したようなもの。再販がなくなると民主主義が衰退し、言論の寡占化が進むと言っておきながら、自分たちがいま再販問題で報道していることの中身はいったいどうなるのか。戦時中の大本営発表と見まがうばかりだ。それこそ新聞の危機ではないかと思う」とわだかまりを語っていた。
再販制存続の是非を判断するには、秋葉氏の言うように事実に基礎をおいた実証的な議論と検証によってなされるペきなのに、現実は声の大きいものに�少数意見�がかき消されているという構図だ。しかもその少数意見は、新聞協会のアンケート調査(九五年三月実施)でさえ六・〇ないし七・五パーセントになっていた。決して一パーセントに満たない数字ではない。
池田信夫の「ドット・コミュニズム」第6回 「情報社会主義」の崩壊
読売新聞の発行部数は1000万部を超え、かつてソ連共産党機関紙『プラウダ』の立てた世界記録に迫っているが、気に食わない意見を排除するところもプラウダに似てきたようだ。出版社も著作物再販についての反対意見は載せないため、ここに言及されている東大の三輪芳朗教授の論文はどこの雑誌にも掲載されず、三輪氏のホームページでしか見ることができない。この価格カルテルの理由が「言論の多様性を守る」というのだからお笑いだ。
そして、この翼賛体制が特殊指定でも繰り返されているわけです。戦時中の大本営が新聞協会、あるいは活字文化推進会議や自公民の議員集団に変わっただけで。
泥酔論説委員の日経の読み方:新聞特殊指定の堅持求める
社会面では、讀賣新聞記者に対する情報源の開示を東京地裁が命じた事件について、御用学者3人の意見を載せメディアは特別なんだという同じことを言わせています。
異論を一切報じないこの紙面構成が異様だと感じず、平然と載せてしまう彼らが北朝鮮とかかつての「大本営発表」とかを嗤う資格があるのでしょうかねえ。
日経が社説で大本営発表 特殊指定で最後の悪あがき 渡邉正裕(MyNewsJapan)
平均41歳0カ月で平均年間給与1,283万円(2004年12月31日現在)という明らかに市場価値より割高な実力以上の社員の高給を、世間並みの成果主義導入で下げるだけで、新聞は相当に安くなる。私は、日経のデスクや部長や編集長らが、世間では全く使い物にならない人間だらけで、社外に出たとたん、年収を3分の1にしても雇い手がいないことを、実体験として見ている。
戦争責任を問われなかったからこそ、今でも新聞による言論統制が可能だと言えるでしょう。そしてそれは、横浜事件や西山事件などメディアが被害者とされた事件ばかり喧伝し、メディアの加害責任と現在も継続中の言論統制には沈黙する出版社や学者、作家及びジャーナリストも同罪だということです。
<3/26 更新>
大銀行にはそういうヌシが顧問の肩書きで
死ぬまで優遇されていたが、それより酷い。