社会

【終戦の日特集】今は戦後か、戦前か 「神奈川新聞と戦争」

  • 公開:2017/08/15 02:00 更新:2017/08/15 02:00
  • 神奈川新聞
神奈川新聞と戦争1925年

続きを読む
【時代の正体取材班=斉藤 大起】「国民の思想的創造力を奪ひ、言論の自由を奪ふ如(ごと)き法案は、立憲治下に於(おい)て害あつて益なし」

 犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込み、6月に成立した改正組織犯罪処罰法のことではない。今から92年前の1925(大正14)年2月21日、本紙の前身である横浜貿易新報(横貿)が、国会で審議されていた治安維持法案を巡って記した社説「治安維持法は無用」の結びの言葉である。

 同法はロシア革命などを背景に、国体(天皇制国家)の変革や私有財産制度の否定を目的とした結社を禁じるため、制定された。28年には国会審議を飛び越した緊急勅令という手段で、政府は最高刑を死刑に引き上げた。奥平康弘著「治安維持法小史」(岩波現代文庫)の言葉を借りれば、この法律が「昭和前期を支配」したのだった。

 同書は、同法の限りない適用拡大と恣意(しい)性を説く。当初の目標だった日本共産党の壊滅を達成した当局は「新しい標的をもとめて転進」した。従来は合法とされていた労働団体や学者、新興宗教などもターゲットにされた。

 翻って92年後の今。「共謀罪」を巡る本紙記事で、治安維持法ははたびたび引き合いに出された。

 海渡雄一弁護士は「法律制定当時の政府は『完全な治安法であって乱用される恐れは一切ない』と言い、国会でも『純真な民を傷つけることはしない』と説明」したにもかかわらず「現実には際限なく乱用された」と指摘(2月3日付)。高千穂大の五野井郁夫教授は「内面はこうに違いないと捜査機関側が判断すれば、事実行為がなくても逮捕できることになった」(3月17日付)と、適用範囲をより拡大した41年の同法改正を解説した。

 二人が治安維持法を挙げたのは、この法律がもたらした捜査機関による権力の乱用、逸脱の恐れが「共謀罪」によって再現される―との懸念からだった。


 5月9日の本紙社説は「廃案にして出直すべきである」と「共謀罪」を批判した。「治安維持法は無用」と題した25年の社説に重ならないだろうか。「国民の思想言論をして、常に疑惧(ぎぐ)[不安]恐怖の間に戦(おのの)かしむるは、決して立憲の本義でない。断じて善政とは言ひ難い」。その反対の論旨は明確だった。

 だが、そこまでだった。同法に基づいた特高警察は42年以降、後に戦時下最大の言論弾圧と称される横浜事件を引き起こし、4人の命を奪った。既に政府や軍部への批判は封じ込められ、戦争に深入りする国策を表立って批判することはできなくなった。

 25年の時点で同社説が「司法官の認定によつて色々と解釈を左右にする事も出来、随(したが)つて将来政治的言論に対して、非常の圧迫を、国民に加ふる事となる」と推測した通りの社会が出現した。が、もはや戦時下の記者はこの社説の精神を忘れていただろう。本紙は戦争を賛美し、その遂行に全面協力した。

 言論は戦争を止めることができなかった。国内外に膨大な死者を出し、日本が敗戦したのは同法制定の20年後のことだった。

 歴史は繰り返す、と軽々しく開き直るわけにはいかない。歴史に学び、繰り返されかねない過ちを止めることが、後の世代への責任だ。

神奈川新聞と戦争1925年

神奈川新聞と戦争1928年

神奈川新聞と戦争1931年

神奈川新聞と戦争1932年

神奈川新聞と戦争1936年

神奈川新聞と戦争1937年

神奈川新聞と戦争1941年

神奈川新聞と戦争1942年

神奈川新聞と戦争1945年

神奈川新聞と戦争1945年

神奈川新聞と戦争1945年

COMMENTSコメント

※このコメント機能は Facebook Ireland Limited によって提供されており、この機能によって生じた損害に対して株式会社神奈川新聞社は一切の責任を負いません。

PR