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【社会】

事実が消されぬように 戦災資料と向き合う26歳

戦時中の資料を手に話す東京大空襲・戦災資料センター学芸員の辻口亜衣さん=東京都江東区で

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 東京大空襲と原爆。この二つの戦禍に、広島出身の辻口亜衣さん(26)は向き合う。千葉大大学院で原爆投下に関する歴史を研究しながら、ことし4月、民間の東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)の学芸員になった。15日は終戦記念日。「資料を残すのは、戦争の事実を伝えてと願う人の思いを残すこと」と、使命の重みを感じている。 (辻渕智之)

 赤と白の産着(うぶぎ)がセンターの展示にある。生後七カ月の女の子が着て、大空襲で逃げる母におぶわれた。母は背中で眠ったと思ったが、翌朝、息はなかった。「寄贈されたお母さんの、もう二度と戦争を起こさないでという思いがこもってます」。辻口さんは言う。

 誘われて、二年前からセンターの補助研究員になった。今は四人いる学芸員で一番若い。この夏も、白手袋をはめ、資料整理に励む。空襲で焼失して配給用に発行されたという仮戸籍などを扱っている。

 生まれ育った広島で新聞記事や学校の教育を通し、原爆に関心をもった。小学校の図書室で、戦争に関する本もよく読んだ。買ってもらった三輪車に乗っていた男の子の被爆死。十代の少年らは被爆後に川へ飛び込み、「海行(ゆ)かば水漬(みづ)く屍(かばね)-」と軍歌を合唱しながら流されていったという。

 「私と変わらぬ年で、なぜ死ななきゃいけなかったの?」。高校時代から、原爆資料館の学芸員になるのが夢になった。「原爆を知るには戦争を知らなきゃ。戦争を知るには歴史を学ばなきゃ」と千葉大に進み、歴史学を専攻した。

 「八月六日午前八時十五分の一瞬やキノコ雲、やけど、放射能…。そうした固定化されたイメージだけで見てはいけない」。今ではそう考えるようになった。被爆した米兵捕虜を市民が虐待し、避難先の市民の間では部落差別もあったことも知った。

 「語られず、忘却されかけた事実や歴史の流れを多角的に見ると、日本人は単純に被害者だったと言えるのかな…」と自問する。被害者の立場が一面的に強調されすぎるのは、権力の側が書く「強者の歴史」の裏返しかもしれないと思う。

 仕事や子育てに忙しい同世代の友人からは「戦争のことばかり勉強してどうするの?」と言われることも。自身、奨学金の返済で生活に余裕はない。それでも使命感がある。

 「戦争のいろんな事実を知り、消されていかないように伝えたい。時代の空気にただ従順に流されて生きて戦争が起きてしまったら、私たちの子や孫の世代に説明できないから」

 

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