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【社会】

人のつながり、熱を「母國」に込め 小田島雄志さん平和の俳句

終戦時の様子や句に込めた思いを話す小田島雄志さん=東京都千代田区で

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 本日一面の「平和の俳句」に掲載された<八月に母國(ぼこく)という語を抱きしめたい>の作者は、シェークスピアの全戯曲を翻訳し、演劇評論家として活躍した文化功労者の小田島雄志(おだしまゆうし)さん(86)=東京都世田谷区、東大名誉教授=だ。小田島さんは旧満州(現中国東北部)で生まれ、終戦の翌年、十五歳で日本に引き揚げてきた。 (矢島智子)

 八月は日本の敗戦で中国大陸に取り残された月であり、翌年、引き揚げるために新京(現長春)を出た月でもある。漁船に乗って満州南端の葫蘆島(ころとう)から博多へ。「憧れた日本がどんどん近づいてくる。その気持ちを表現したくてこの句ができました。母国という言葉には『祖国』よりももっと人間的なつながりがある、もう一歩踏み込んだ熱がある」と小田島さんは言う。

 なぜ日本に憧れたのか。満州は日本人や満州人など多くの民族が仲良く暮らす「五族協和」を建国のスローガンにしていたが「日本人は日本人街に暮らし、日本語以外は話さない。日本人は満州人が話す日本語のなまりを笑い、満州人も日本人には丁寧語で話す。満州人と友だちになっても互いの心の隙間を絶えず感じていた。日本への憧れは心を開くことのできる人間への憧れであり、日本に帰れば、同じ日本人として心から付き合えるだろうという夢があったんです」

 だが、苦労してたどり着いた母国で夢は破れる。引き揚げ者に向けられる目は冷たかった。「(国内にいる)日本人だって食えないところへのめのめと帰ってきて、自分たちの食うコメが減らされてしまう、という空気があった。おれだって日本人なんだぞ!と言いたかった」

 父は旧制一高から東京帝大を出ていたものの、なかなか定職に就けない。日本女子大を休学中の姉が会社勤めをして家族五人を養い、旧制中学になんとか編入できた小田島さんも日曜日は道路工事、夏休みは工場で石炭運びをして稼いだ。

 引き揚げから七十一年の今「母国」という言葉を意識することはなくなった。だが、英文学を研究対象とする中で、自分が微妙なニュアンスを伝えられる日本語の良さを実感し、大学で教えた地方出身の学生たちの話す方言にはうらやましさを覚えた。父から手ほどきをうけた俳句にも俳句の中だけで生きる言葉がある。「ますます日本語はいとおしくなりますね」

 

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