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空っ風がしつこい二月、干上がった田畑やあぜ道からは
嫌がらせのように砂埃が舞い上がり、歩くことを邪魔 するが如く横風が吹きつけている。 博徒三人は次郎太に追いつくと、博徒1は、 「おい、次郎太、おめえ賭場やめたんだってな。 当てはあんのかよ」 次郎太にも顔馴染みの客三人だったが、初めて声を かけられたことに違和感があった。客は小僧を同格には 見ておらず、あくまでも格下である。声をかけるのは 馬鹿にしたり、八つ当たりが定番だった。賭場より 離れた田んぼの一本道にまで走り来て、今になって 気安く声をかけるのは不自然に決まっている。 銭を狙って来たのは明白である。 「次郎太、おめえ江戸に行くんだろ? どうせ向こう 行きゃあいい仕事も見つかるだろ、今持ってんの、 置いてけよ」 「・・・・」 「こっちは何とでもしてやれんだぜ、な。 持ってるもん全部出せよ。死にたくねえだろ」 三人がゆっくりと抜刀して、じりじりと次郎太に 迫って来る。次郎太は後ろへ下がりつつ、 「勘弁してください、銭がなきゃ俺も困るんで」 「うるせえ、全部出せや、死にてえのか」 博徒1の怒声が飛ぶ。 次郎太はしゃがみ込み、手を着いて、 「俺ぁ死にたくねえです、勘弁してくだせぇよ」 ヘコヘコと懇願するが、 「死にたくなけりゃ銭出せって言ってんだろが、ほれ」 博徒1が次郎太に近寄り、脇差の刃を次郎太に近づけた。 と、次郎太はいきなり砂を博徒の顔に投げつけ、 博徒1が顔を背けた途端に、腰の脇差を抜き、 飛び掛るように博徒1の小手から首をなぞって背後に 回った。刃の衝撃は博徒1の首にかかり、 鮮血を噴き出して横に崩れ落ちた。 これを見た博徒2は夢中で上段から振りかかるが、 小柄な次郎太はその下へ潜るような勢いで突っ込み、 小手を下から斬り上げた。思わず博徒2の手が緩んで 刀が落ちかかると、次郎太の脇差が叩き落すように 斜めに振り下ろされ、刃は深く博徒2の首を切り裂いた。 博徒2は前のめりに膝を着き、その場に倒れた。 残る博徒3も予想外の展開に慌てて斬りかかるが、 次郎太の突き上げるような脇差は、相手の左手首に 直撃し、これもまたまもなく倒れ込んだ。 「銭より命だんべが」 血糊の付いた脇差を浪人の袖で拭い、顔に付いた血を 腰の手ぬぐいでふき取ると、 「罰としていくらかちょうだい」 と、博徒達の袂や懐を漁り、 小銭を手にするとその場を離れた。 ・・・・ 前橋から大前田英五郎の自宅がある大胡まで距離はあるが、 朝から行けば昼前には十分である。 一回挨拶で顔を見せただけであり、忘れているかもしれず、 用事で不在もあり得たが、せっかくの機会だからと向かった。 身内はもはや無いも同然であり、以前世話になった文之助 親分が、次郎太が賭場を出て二年後に亡くなったと知り、 頼るべきは英五郎親分と思ってのことだった。 「次郎太? ああ、いたっけな、片目の小僧だったな」 幸いに英五郎は自宅にいて、次郎太のことも 覚えていたらしい。 居間へ通された次郎太と約八年ぶりの顔合わせとなった。 「その顔なら見れば思い出すわな」 英五郎、このとき齢七十を過ぎていかにも隠居然とした 風体だったが、やはり歳に似合わぬ巨体はそのままに、 昔同様に快活に笑い、 「あれから江戸へ行ったそうだな、どうしてた、 元気にしてたかい」 何の衒(てら)いも無く気安く語りかけた。 「へぃ、江戸に向かいまして、しばらく路頭に迷うところ を、ひょんなことから偉い御武家の方に拾われまして・・・・」 「偉い御武家?」 「幕府の偉い方だそうで、何やら色々と役職を持って 幕府を仕切っておられた様子で」 「ほう、役職か。どんなもんだ?」 「勘定奉行を何度も、それから、外国奉行、南町奉行、 歩兵奉行、陸軍奉行並、軍艦奉行、海軍奉行並・・・・ えー・・・・他幾つも」 「そりゃあすげえな。で、その御方の名前は?」 「小栗上野介忠順」 「小栗・・・・ああ、聞いた覚えがあるな。幕府の台所を 取り仕切ってた御方だな。うん、それは知ってる。 その御方の家来にでもなったのかい?」 「へぃ、左様で」 「ほんとか? 賭場の小僧が奉行の家来か。 誰も信じそうもねえなあ」 「いえ、嘘ではねぇです、中間として御屋敷の一角に 間借りしまして、これまで世話になっておりました」 「中間・・・・うん。それがまたどうして今ここに来たんだ?」 「親分は噂を御存知で?」 「噂?」 「埋蔵金です」 「埋蔵金・・・・幕府の埋蔵金か」 「へぃ、その埋蔵金について話がありまして・・・・」 「幕府が隠したって話はあるな。赤城山中とか、だろ?」 「へぃ」 「こんな状況で隠すのは理屈に合わねえなあ。てめえから 幕府返上で、江戸城も明け渡したってえじゃねえか。 しかも将軍までが降参と聞いてる。勝負は決まったわけだ。 この期に及んで大金隠すなんざ、刀捨てて石つかんで喧嘩 するようなもんだろ・・・・おめえは何か知ってるのかい? 見たのか?」 「いえ・・・・ただ、殿が御役御免となって、上州へ移住される 際に手伝いましたので、千両箱は沢山見ております」 「たしかに勘定奉行といえば、べらぼうな額を扱う役職 だろうが、その小栗さんは、また幕府を起こそうとでも いうのかね」 「いえ、殿は、殺されました」 「殺された?」 「西軍に難癖をつけられて、無実でありながら問答無用で 家臣三人と共に首を斬られ、翌日には嫡男又一様も家臣 三人と高崎城内で首を斬られました」 「そうか・・・・それはひでぇな。で、残された者達は?」 「御夫人方は事前に会津へ避難されました」 「ふーん・・・・官軍としては幕府を代表する者として 見せしめか。で、おめえはどうしたんだ? なんでここへ来たんだ」 「へぇ、手前も御夫人方に付き添っていましたが、 路銀にも困る有様で、なんとかしようと途中で抜けて 来まして・・・・で、その埋蔵金についてですが、 おそらく西軍が・・・・」 「・・・・西軍が奪ったと?」 「おそらく・・・・」 英五郎は覗き込むように次郎太に、 「おめえ、見たのか?」 「いえ・・・・」 次郎太はうつむいた。 「信じてるのか?」 「へぇ・・・・」 「・・・・それを取り返したいってか?」 「・・・・へぃ」 「それでここに?」 「・・・・」 次郎太がうなづいた。 「・・・・幕府は無くなって、西軍が官軍になった。この前橋 でも高崎でも、主だった藩はみんな寝返ったらしいぞ。 俺ら博徒連中が官軍に逆らったら、それこそ袋叩きだ」 「へぇ、ただ、殿が上州へ移ったときに、それを知った 一部の博徒が各地の村人と一緒に、刀や鉄砲まで持ち出して、 殿から金を巻き上げようと大勢で押し寄せたことがあり まして、そのときは家来一同が同じく武装してましたんで 撃退することができまして・・・・」 「ほう、博徒どもはどれくらいいたんだい?」 「およそ二千人と」 「うん、で、家来ってのはどのくらいいたんだい?」 「地元の者を含めて百人程・・・・」 「それでも撃退できたと」 「へぇ」 「じゃあ、今上州に来ている西軍連中は、当然軍勢で 桁も多いから、俺らが集まったところで勝ち目はねえな」 「集まりませんか」 「準備があれば数日で千や二千はいけるが、博徒が槍や 鉄砲持ち出して暴れたところで、どうにもなるめえ」 「北関東では一揆が随分と暴れたようですが」 「西軍が来る前だろ、おめえの殿を襲ったのも、おそらく その一味だ。野州から来たらしいな。だいたい今の上州で 一揆てのも腑に落ちねえ」 「親分さん方はどうされていたんで」 「俺らか・・・・どうしたと思う」 「・・・・連中に加わったか、銭渡して通り過ぎてもらった ・・・・とか」 「わかってたのか? そうだよ、殺し合いなんぞしたら 俺らぁすぐに人手不足だ。後の商売にも差し障る。 到底太刀打ちできねえ。で、まとまった銭渡して事なきを 得たってわけよ・・・・がっかりしたか」 「いえ、でも、なんだか呆気ないなと」 「その一揆の前にも同じことがあってな。 天狗党って奴らだ」 「天狗党・・・・」 「尊皇攘夷を掲げた水戸藩の連中が、千人はいたか、 中山道を通って西へ行くってんだよ。そうなると、 前橋は通り道だ。急ぐにはもっと南を通ればいいんだが、 連中は行く先々で御用金を強請(ねだ)った。軍資金だな。 案の定何里もあるこっちにまでちょっかい出して 来やがってな、こっちは前橋藩やら幕府の下で商売している。 逆らったら食えなくなるどころじゃねえ、遠島、牢獄は無論、 首さえ危うい。幕府に逆らう天狗党に与するわけには いかねえ。とはいえ、天狗党と争うにはこれまた分が悪い。 なんたって血の気の多い連中らしくてな、野州(下野) じゃ商人脅して軍資金にしようとしたらしいんだが、 その額がでかすぎて払えねえと商人達が断ったら、 町を放火されたそうでな。天下国家をこいてる割には、 やってることは山賊や盗賊だよ」 「・・・・」 「で、やり合うとなれば、どれほどひどいことになるか わからねえ。それでなんとか穏便に素通りしてもらおうって わけでな、随分な額を差し出したんだよ。おかげで互いに 死人も怪我人もねえ」 「・・・・で、天狗党は、その後は?」 「ああ、京都へ向かったらしいんだが、越前辺りで大方 捕まって、首ぃ刎ねられたらしいな」 「・・・・聞いたところ、信州から来た西軍は館林に行った そうで、しばらく北関東に残っている幕府方の者を やっつけちまおうってことらしく・・・・」 「幕府に逆らう者、同調する者、どっちもいるのが 現実だいな。俺らとて一家がでかくなったのは 幕府のおかげともいえる。助太刀したいのは山々だが、 相手が軍勢ではなあ」 英五郎は煙管に火をつけ、渋い顔で煙を吐き出した。 「・・・・」 うつむいたまま考えあぐねている様子の次郎太に 英五郎は、 「おめえは殿の家来というからには、この辺に残っている 幕府連中には話はつけてるのかい?」 「いえ、特に知り合いがいるわけでもなく、 どうなっているやら細かくは分からねえままでして」 「・・・・幕府連中の一部は、西軍に逆らって関東に 散らばった。東北に向かった者もいるらしい。 中には最新の武器を持った軍勢もいて、西軍とも戦う つもりで野州に向かってるらしいな。たぶん会津へ合流 するのかな・・・・連中も銭は欲しいだろう。 天狗党の二の舞ではジリ貧だ。知らせてやったらどうだい」 「・・・・では、行ってみます」 次郎太が玄関に出ると、英五郎がやってきて、 「なあ、次郎太よ、幕府の残党はおそらくもたねえぞ。 それでもいいのか?」 「もたねえと思った者は降参して、 そうでない者は逆らうと思います」 「そりゃそうだが、勝負は見えてるでなあ、 博打とすれば手は出さねえのが無難だ」 「・・・・」 「おめえにも言ったことがあるんじゃねえかな。 博打はするもんじゃねえ、させるもんだと」 「へぃ、よく覚えております」 「損は覚悟ってか?」 「博打は残党にやってもらいます。勝っても負けても やる意味がありまして・・・・」 「負けてもやる意味があるってか」 「・・・・機会あれば後々お知らせします」 次郎太が礼をして出て行こうとすると、英五郎は、 「ああ、ちょっと待ちない」 と、袂から一包み取り出して、次郎太に手渡した。 「五十両ある。大金とは言えねえが、小銭でもねえだろ。 御一行のために使ってくれ・・・・ま、残党に賭けるのも 勝手だがな」 笑顔で答えた。 (親分、随分大金ですよ・・・・) と思うものの、次郎太もまた笑顔で、 「遠慮なく頂戴致します」 受け取って一礼した。 ・・・・ (最新の武器を持った幕府残党・・・・軍勢が野州に・・・・?) 幕府方で最新の武器といえば、フランス陸軍の訓練を受けた 幕府陸軍の一部隊であり、小栗が意欲的に進めた伝習隊の ことだろう。横浜近郊で騎兵、砲兵、歩兵と三種に分けて 三兵伝習所として開設され、幕府の旗本子弟から駕籠かきや 職人のような町人や博徒などまで参加し、幕府陸軍の 精鋭部隊を目指して組織された。小栗の家来も短期間では あるが歩兵として訓練を受けていた。権田村を襲った二千に 及ぶ暴徒達を百人余りで撃退できたのは、地元民の献身は 無論だが、最新の武装と、訓練を基礎とした家来一同の 整然とした統率と勇敢な行動、正確な射撃による。 江戸開城の日に、幕府軍やら何やらが多数抜け出し、 江戸を離れたという。個人個人が降参するのを嫌がって 勝手気ままに、ではなく、多くは組織として動いたに 違いない。 幕府陸軍なのか、その一部か、新撰組か、他の何かか。 (・・・・陸軍部隊が大挙して脱走したんなら、 指揮を執ったのは大鳥先生かな) 訓練時、教官にはフランス陸軍士官のシャノアン (シャノワーヌ)ら十五人と、日本側の指揮官には 歩兵奉行の大鳥圭介もいた。 大鳥は天保四年(1833)、播州(兵庫県)赤穂に生まれた。 大村益次郎と同じく親が医者で、共に大坂の緒方洪庵の適塾で 蘭学と西洋医学を学ぶが、好奇心と勉学意欲は旺盛で、仲間と 共に江戸に出て薩摩藩と関わって蘭学関連の翻訳を手伝い、 坪井塾に入って塾頭になり、その後は西洋式兵学を学び、 縄武館(江川塾)に招かれて兵学教授として務める一方で 中浜万次郎から英語を学んだ。 その後、尼崎藩、徳島藩と出仕した後、幕府直轄の洋学研究所 である蕃書調所(ばんしょしらべしょ)に進み、翻訳や研究を 続けて開成所教授も兼務し、更に講武所が陸軍に編入されて 軍事研究機関となる陸軍所に出仕、数学、英語、フランス語 などを習得しつつ、独自開発した活字を使って翻訳した海外の 軍事関連書を複数出版した。 日本初の金属活字であり、大鳥活字と呼ばれた。 大鳥は歩兵頭並として幕府陸軍の育成する役目を担うと、 二年前の三十三歳で、小栗の推薦により歩兵頭(陸軍士官) に昇格して幕府直参となり、江戸開城前には歩兵奉行と なって伝習隊を組織して、招聘されていたフランス陸軍 士官達と指導に当たった。 当時としても五尺(145cm)程の小柄な大鳥は、 泰然自若として明朗、若い頃より「全身これ肝」とも 呼ばれ、意欲の塊のような人物だった。 大鳥は神田の小栗邸にも数回来訪し、小栗と欧米の情勢や 幕府の今後についても熱く語っていた仲である。 小栗の家来達は、一兵として訓練を受ける前に大鳥に挨拶を している。大鳥からすれば小栗の家来は、同じ主戦派の尖兵 となるべき者達であり、大鳥も満面の笑みをもって家来達に 応えていた。 その関わりから見て、大鳥が小栗と同じく薩長に反感を持つ 主戦派だろうと次郎太は推測した。 (そういえば・・・・) と次郎太は、まだ江戸を離れる直前に、小栗が彰義隊の 隊長に推薦されたのを断ったと家臣に話しているのを 聞いているし、同時期に会津からの使者が何やら熱心に 話しているのも聞いている。他にも複数の部隊が各地に 散って抵抗を続けるらしく、小栗が複数から誘われて いたのは間違いない。 (彰義隊か?) 伝習隊同様に彰義隊なる組織が江戸城から離れて西軍に 対抗していることは聞いていたが、詳細は知らない。 もたもたしていたら、西軍は北関東で幕府残党を壊滅 させるかもしれない、あるいは江戸城へ向かってしまったら、 もはや手出しは出来ない。野州へ来る幕府側もまだ南なのか、 既に到着して更に移動を始めるのか、まったく手探り状態 である。 次郎太は西軍の状況を確認すべく急ぎ館林を目指し、 その後はすぐ北にある野州の西南、高橋村と大沼田村 (佐野市)に行くことにした。そこは小栗が持つ一番 大きな知行地であり、四百石程度の権田村に対し、 高橋村と大沼田村は合わせて一千石を超えていた。 なぜ小栗がそちらに移住を決めなかったのかは不明である。 幕府は無く、主の小栗もこの世にいない。小栗の知行地は 既に朝廷の天領、即ち薩長側に組み込まれている。 小栗の家来である次郎太に、村の者達が好意的であるかは 不明だが、西軍に一泡吹かせ、残り抵抗する幕府方に加勢 したい、幕府方が頑強に抵抗出来るなら、そこを一時的にせよ 根城に利用も出来るのではないかなど、次郎太は無い知恵を 絞って考えを巡らせ、足を速めた。 ・・・・ 数日間歩き通しのせいか徒歩では足に痛みもあり、ときに馬、 ときには辻駕籠を使って次郎太が館林の城下町に来たのは、 夜五つ(午後八時)を過ぎた頃だった。 関東に西軍が来たときには、藩は前橋や高崎同様にすぐに 恭順を決めた。元々前橋も館林も藩主は尊皇攘夷の影響を 受けていた。 僅かな灯が灯る城下町で、その一角の寺境内には煌々と かがり火が焚かれ、物々しい西軍の旗が並ぶ中、兵士が あちこちにいて警戒している様子が見えた。 次郎太は平凡な旅姿とはいえ、西軍兵士がうろうろする中を 歩いていては、どうなるかわからない。不審に思われて 捕まれば荷物を調べられる。中身が五百両近い大金となれば、 連中は放っておかない。素性と目的を問われ、場合に よってはお縄であり、西軍とて金は欲しいだろうし、 難癖付けて奪い取られかねない。 とりあえず近隣のひっそりとした神社仏閣を探して荷物を 隠すと、昨日から何も食べていないことを思い出し、 うどん屋の屋台を見つけて腹ごしらえした。 店の親父に状況を聞くと、 「ああ、官軍がしばらく残った幕府側を掃除するってんで、 なんだかせわしいやら落ち着かないねえ」 「幕府の残党が江戸から野州に行くらしいって 聞いたんですが」 「さあ、細かくは知らねえけど、 戦がいくつかあったらしいよ。 官軍もそれを警戒してんのかな」 「それはどこで?」 「東の方らしいよ。そのことじゃねえかな。 こっちに来なきゃいいけどねえ」 この頃、江戸城から脱走した大鳥圭介率いる伝習隊小川町大隊 約六百人、同大手前大隊七百人、同歩兵第七連隊三百五十人、 桑名藩兵二百人、黒鍬組(土工兵)二百人、会津藩純義隊百人 など総勢約二千人程が、翌日には幕府天領である下総は市川の 国府台に集結し、大鳥圭介を総督(隊長)、土方歳三を参謀 として改めて編成され、大鳥本隊と、土方が参謀として 加わった会津藩士秋月登之助が率いる先鋒隊の二手に 分かれて北上していた。常陸西南部の下妻では開城して 迎えられ、下館藩も五百両を出して大鳥軍に従う姿勢を 見せた。 大鳥軍はそれで歩みを止めることなく、頼みの会津と近く、 神君家康公を祀る日光での決戦を考え、先鋒中軍と 「東照大権現」の白旗と葵の御紋旗を掲げて進軍し、 途中鉢合わせとなった警戒中の西軍部隊と交戦して 撃退しつつ、すぐ西の野州へ向かっていた。 幕軍残党が野州に向かっているらしいとの報は、館林を始め、 関東の西軍諸藩にも知れ渡り、その対応に追われていた。 町内では兵士らの往来も多く、物資運搬などの動きも 見られる。次郎太にも察しがついた。 (なんとか連中から取り返せねえかな・・・・) 警備は厳重で兵は多い。 一人突っ込んで射殺されるところを想像。 (・・・・やっぱり幕府頼みか) 高橋村は国境を越えてすぐ隣にある。 幕府側が通り過ぎないうちにと向かうことにした。 ・・・・ 人見宗兵衛は高橋村の名主として、薩長側の領地となった 今も村を取り仕切っている。次郎太は名前までは 知らなかったが、村人に聞いて居場所はすぐにわかった。 次郎太が小栗の家来と知ると、一寸驚いたようだったが、 「俺らとて裏切る気はねえよ、殿の活躍は知っとるでな、 生きておればもっと御役に立てたろうに」 やはり悲報は届いているらしく、神妙な口ぶりとなった。 「野州に幕府残党が来るという話を聞いたんですが」 「さあ、どうかな。殿がいなくなってからは江戸に行った 村の者もいないし、幕府が終わったとか将軍様が降参した ってのは聞いてるが・・・・野州も今じゃ西軍が 治めちまってるよ」 小栗の知行地に幕府側は来ていないという。 (来るのか来ないのか、はっきりしてほしいなあ) 次郎太は歯痒い思いだったが、 野州を廻っている余裕は無い。 数日滞在して何の変化も情報も無ければ、 夫人一行が目指した会津へ向かうことにした。 (どうせ銀十辺りが「やっぱり次郎太は逃げた!」 なんてこいてんだんべな) と思いつつ、宗兵衛に近隣の旅籠を教えてもらい、 自炊が普通の木賃宿よりも飯付きは倍以上の相場と知るも、 「滅多にねえ贅沢くらいよかんべえ」 と、そこで夜を過ごすことにした。 旅籠に着いて主人にも近況を聞くが、やはり答えは宗兵衛と 変わらず、越後から引き返して初めて一人客としての滞在で 気楽さもある反面、不安も焦りも消えない。 次郎太は二階の四畳半に横になりながら、戻る前に知った 話を思い出していた。 神田の小栗屋敷で、用人として屋敷の雑事や奉公人を 取り仕切っていた塚本真彦(まひこ)は、 小栗の養子又一と共に高崎城内で斬首された。 西軍は小栗主従とその親族も捕らえるとの噂もあり、 塚本の死を聞いたその母ミツと夫人らは、自分らにも累が 及ぶことを恐れて、ミツは親類を頼って七日市藩 (現・富岡市)へ向かうことにした。 しかし、権田村からでは南へ行く途中の峠道など、女子供が 通るには容易ではない険しい道が続く。一日二日とかかるで あろう道をミツと夫人、子供四人では目に付きやすい。 追っ手が来る恐れもあり、途中で二手に別れて合流すること にしたらしい。 ところが、ミツと七歳の娘チカは山中で迷い、 そこで出会った農夫の下田喜十郎に助けを乞い、 喜十郎は母子が空腹と知って、弁当でも用意して持って 来ようと伝えて村へ戻って行ったが、足場は悪く、 すぐに引き返せる距離でもない。 三時間ほどして喜十郎が戻ったときには、ミツとチカは その場に倒れていた。二人とも懐剣で喉を突いていた。 喜十郎は慌てて村の名主に知らせ、更に七日市藩や権田村 にも伝わってきた。夫人と他の子供三人は行方知れずという。 同様に会津へ出立していた小栗夫人の一行も途中で知らされた が、戻るわけにもいかず、冥福を祈りつつ先を急いでいた。 塚本は、当初野良犬同然だった次郎太に抵抗を感じていた ようだったが、小栗と次郎太自身の態度に納得したのか、 特に威張るでもなく、屋敷での決め事や役目を細かく 教えてくれていた。 殺された家臣六名は、小栗や又一と同じく、すべて屋敷で 過ごした仲であり、時には兵士として訓練を受け、 暴徒と戦った仲でもある。 次郎太はいつにない贅沢な夕餉ついでに酒を頼んでいたが、 今後のことも相俟って、杯を一杯飲んだもののやはり 酔う気にもなれず、飯をかき込んで横になった。 翌朝、気になった次郎太は、旅籠を出て南へ行くことにした。 が、主人が言うには、 「昨夜、小山の方で西軍と幕府側の戦があったらしいですよ」 「なんだって?」 次郎太は唖然とした。 「昨日は何も聞いてないって言ってたじゃねえですか」 「いや、そうなんですが、昨夜遅く来られたお客さんが、 そう話してたんですよ」 「小山って、どっち」 「東の方ですよ。ここから四里(約16キロ)くれぇ先かな」 「あいたたた~」 次郎太は素っ頓狂な声を出して、その場にへたり込んだ。 「ちょっと、大丈夫ですか」 心配する主人をよそに、次郎太はしばらく呆然としていた。 (幕府軍には館林をやってほしかったのになあ・・・・せめて あと一日二日遅らせてくれれば・・・・やっぱり無理か) 次郎太は気を取り直して主人に、 「で、どっちが勝ったの?」 「いやぁ、そこまでは聞いてませんよ、 決着ついたかどうかもわかんないし・・・・」 「幕府軍はどうするつもりなんですかね」 「さあ、なんとも見当がつきませんねえ」 次郎太はそのまま宿を後にした。 町役人にも聞いたが、西軍との戦が南の方であったらしく、 昨夜もその一つだろうとのことで、やはり詳細はわからない。 (会津へ行くなら船で海に出た方がいいだろうけど、 大勢だから船が足りなくて諦めたのか、 北上して戦ったってことは・・・・ やっぱり西軍を蹴散らしたかったのかな) しばらく歩きながら考え込んでいたが、 「いいや、幕府側に行っちまえ」 次郎太は幕府側に会いに、小山へ行くことにした。 「どうせまた幕府側は移動してるだろうけど、 急げば追いつくだろう」 ・・・・ 江戸を脱出して野州まで来た大鳥圭介率いる旧幕府側軍勢は、 小山宿で西軍方の彦根藩と壬生藩、笠間藩の部隊と遭遇、 大鳥の作戦が功を奏して撃退し、大砲や銃、弾薬を分捕った。 大鳥は目の前にある壬生藩に使者を遣わし、葵の御紋旗や 「東照大権現」と大書した白旗を掲げた徳川幕臣の軍と 知りながら、幕府恩顧の大名家であるはずの壬生側が 奸雄の徒に与して発砲してきたことを糾すと、壬生側は 弁明しつつ、どっちつかずの態度で金と兵糧で許しを 乞うてきた。 「我らは水戸天狗党にあらず、 小藩を脅して金品を奪うことはない」 と、大鳥はこれを拒否した。が、先日の交戦で、 食糧弾薬を積んだ馬が数頭、敵の砲撃に驚いて逃げ出す という失態を犯していた。 先の長い行軍として準備していたものがもはや 心細い状態になっていた。 大鳥は壬生藩の曖昧な態度に不満だったが、 当面の必要から兵糧を受け取り、金は辞退した。 壬生藩士による道案内を先頭に北上の途中、栃木で兵の 一部が近隣の酒屋から酒樽を強奪したとの一報があり、 激怒した大鳥は、酒屋を呼び出すと丁重に詫びて酒代を 支払った。 「我らは幕臣の軍であり、いかなる不法も許さぬ。 違反者は厳罰に処す」 と、将兵に厳命した。 一方、西軍傘下となった宇都宮城を奪還すべく、 秋月登之助率いる伝習第一大隊と、 土方歳三の土方隊の別働隊は宇都宮城を目指した。 城を守っていたのは西軍に降った藩主戸田忠恕と宇都宮藩兵 三百人の他、幕府側の来襲を知って駆けつけた近隣西軍側の 笠間藩、館林藩、須坂藩、烏山藩兵ら約千人で、 指揮は征東軍大軍監の水戸藩士香川敬三だった。 慶応四年(1868年)初頭より、全国規模の 「ええじゃないか」などの世直しや一揆は関東にも 影響を与え、農民を主体とした一揆勢は野州南部から 北部、上州にも広がり、商家や陣屋への遠慮の無い 打ち壊しに手を焼いていた宇都宮藩の家老、 県信緝(あがた のぶつぐ)は危機感を募らせ、 慶応四年(1868年)四月一日(4月23日)、 上州から武州へ移動して江戸は板橋宿に本陣を置いていた 東山道軍総督府へ急報し救援を要請した。同日、 東山道軍は急報を受けると香川率いる二百人の救援隊が 宇都宮城へ向かった。 四月三日(25日)には、宇都宮城下に農民三万人が集結、 藩の説得を無視した彼らは城内突入を図ったが、 藩の強硬な反撃で死傷者が出て、鹿沼や今市方面へ移動、 打ち壊しを続けた。 香川の部隊は四月七日(29日)に入城し、 藩は東山道軍指揮下となっていた。 一足先に宇都宮城を包囲していた土方の別働隊は数時間に 及ぶ猛攻を加えて三ノ丸、二ノ丸を落として城内に突入 すると、城方は城と城下町に火を放って南部の壬生城へ 逃走した。 城攻撃の知らせを受けた周辺西軍方諸藩と、板橋宿の 東山道軍総督府は直ちに援軍を差し向け、 鳥取(河田景与率いる藩兵三小隊)、土佐(祖父江可成 率いる藩兵迅衝隊五小隊と砲兵隊)、松本の各藩兵が 下総国古河、薩摩(伊地知正治率いる藩兵五番隊と砲兵隊)、 長州(藩兵第一大隊第二中隊)、大垣(藩兵2小隊)の 各藩兵が進軍していた。 大鳥本隊も宇都宮城に合流すると、強奪や着服を禁ずる 軍規の厳守を通達し、焼け残った藩校修道館や三ノ丸の 家老藩邸などを本営として、米蔵に残っていた三千俵を 接収すると共に、焼け出された町民などに三百俵を分け、 野戦病院を設置して敵味方問わず治療に当たらせた。また、 城内の牢に捕らえられていた二十一人の農民を解放した。 農民に事情を聞くと、度重なる重税に地元農民達が訴えに 城に向かったところ、城側から銃撃を受け、二十七人が死亡、 二十一人が捕縛され獄に入れられたという。 全国規模で起きていた「ええじゃないか」や「世直し一揆」 が北関東でも盛り上がり、特に野州南部は激しく、 その鎮圧に手こずっていた。 規模三万人に及ぶ一揆勢は勢いを増して城内突入を 試みるも藩は激怒し、強硬な措置を取ったらしい。 ともかくも大鳥達によって城は占拠され、地元民も決着が 着いたことに安堵し、大鳥の軍規厳守と配慮に喜んだ。 また、別行動を取った草風隊、回天隊などの旗本子弟の 部隊約七百人も合流した。 慶応四年(1868)四月二十二日、西軍援軍(東山道総督府・ 薩摩、長州、大垣)ら援軍は途中で宇都宮落城を知るが、 敵は補給も限られ連続の攻撃には耐えられまいとみて、 北上して壬生城に集まると、宇都宮城奪還策を講じた。 ・・・・ 次郎太は高橋村よりひたすら北東へ向かい、戦の最中という 宇都宮城へ向かった。戦となれば近づくことは容易でなく、 幕府側に接触できるとは限らないが、ここまで来て素通り する気にはなれなかった。 城下まで来たときには、地元民から伝習隊がいると 聞くことができた。 「大鳥先生・・・・!」 江戸開城で屈することなく部隊を引き連れて 北関東へ進み、西軍と戦っているとわかった。 まだ抵抗し、西軍を度々跳ね返し、城まで奪った伝習隊、 その頭の大鳥の姿を想像して、次郎太は思わず笑顔になった。 「さすがだな、先生。おもしれえや」 ・・・・ 次郎太が城に着いたのは大鳥達が城を奪って戦勝気分で 兵士達が酒宴を催している最中だった。 短期間とはいえ伝習隊一員として訓練に参加していた 次郎太は、同窓の者に再会して、 「おお、次郎太、おめえ生きてたんか」 「なんでこんなとこいるんだよ」 「おめえらもよく無事だったな」 などと声をかけ合いつつ、案内を受けてすぐに大鳥に 会うことが出来た。 「先生、御無沙汰しておりました」 「ああ、次郎太か、久々だのう」 三ノ丸の家老屋敷を本営に、大鳥達幹部数人が揃って 広間に陣取り、簡単な肴の膳を前に杯を交わしていた。 「西軍より城を奪ったとのことで、驚くやら感心するやらで さすが先生と愉快に思いつつやって参りました」 「いやいや、城を取った一番手柄は会津の秋月殿と、 新撰組の土方殿の部隊でな、 俺の部隊は出遅れてしもうたわ」 笑顔の大鳥が軽く左右に示した二人が秋月、土方だった。 次郎太が顔を向けると、土方は微笑して杯を傾け、 秋月も口元に笑みをもって軽く会釈した。 次郎太は二人にも深く一礼した。 大鳥が周りに次郎太を紹介をすると、伝習隊一員で 小栗の家来と知って喜びを示す者もいた。 秋月も同様とばかりに、 「小栗様といえば、大鳥様もよく御存知ですね」 「それはもう、あの方には世話になった。幕府随一の 実務家にして軍略家だ。だが、上様が弱気故に罷免されて しまってな、御料地へ隠遁されてしまわれた。まったく 惜しいことだわ」 「・・・・それにしても」 次郎太が言葉をつないだ。 「会津藩と、新撰組、ですか・・・・」 新撰組といえば、京の都で尊皇攘夷を標榜する賊徒を 厳しく取り締まる集団で、元は多摩の百姓だったが 剣術を活かして幕府直参にまでなったという、 剣客達で戦闘集団という認識だった。 「土方様は、たしか鬼の副長とか・・・・」 土方は微笑むだけで無言のままである。 「新撰組は京の都だったのでは・・・・」 と訝る次郎太に大鳥は、 「うむ、鳥羽伏見の戦で状況が変わってな、彼らも関東に 戻って西軍に対抗しておる。我らの下に三十名程 加勢してくれた。実に心強い」 (土方様がいるなら、隊長の近藤様は・・・・) 隊長の近藤勇がいないのは、いない理由があるからに 他ならない。 この頃近藤は、下総流山で西軍に捕まり、宇都宮城へ向かう 途中だった東山道軍の香川敬三ら西軍二百人の部隊に 連行され、香川に西軍への降伏を勧められたがこれを拒否、 近藤は板橋の総督府に送られて、直ちに斬首、 晒し首となっていた。 この報は既に大鳥達にも知るところとなり、土方が残された 新撰組隊員三十名を取りまとめて、旧幕府軍として抵抗を 続ける大鳥達に参画したのだった。 そこまでは知らない次郎太は、余計な詮索と思われても 困ると考え、秋月に顔を向けた。 「・・・・秋月様は会津、ということは、会津藩は 後ろ盾として決意されたのでしょうか」 秋月は笑みを消して杯を膳に置くと、 「・・・・上様が恭順謹慎されて江戸開城となった今、幕府と 徳川家の象徴は会津藩に移りました。西軍にしてみれば 憎しみの的、会津も何度も恭順を示しましたが、西軍は 潰さずば気が済まぬらしく無視されました。こうなれば 会津も東北諸藩も覚悟を決めるしかありません」 西軍と東北の対立は決定的で、もはや一戦は避けられない との見方だった。 「ところで、上野(小栗)様はどうしておられる。 御健勝かな」 杯を片手に大鳥は目尻を下げて次郎太に語りかけたが、 (やはり御存知ないのか・・・・) 次郎太は返答に困った。 小栗がすべての役を解かれて権田村へ隠棲したまでは 知っているが、その後までは知らないのだろう。 激戦だったらしい攻城戦の後、見事城を奪って祝杯を 挙げる彼らに水を差すわけにはいかない。さりとて 知らせぬわけにもいかない。 「・・・・我が殿については、後ほど詳しく」 澄ました調子で言葉を濁した。 大鳥達も気にすることなく話題を移した。 ・・・・ 兵士達も一様に喜んで各所で配られた酒を飲んでいる。 これまで遭遇した西軍部隊を打ち破り、城まで奪ったのは、 最新武装の伝習隊を主力とする兵達の気力と統率なるが故 だったが、祝いとして酒が振舞われたことに次郎太は 疑問を感じていた。 (周りは敵だらけだろうに) 西軍が関東に進出し、江戸城も開城して、関東は既に 西軍傘下といえる様相になっている。 城を取ったところでそれを許さない西軍が、 現地諸藩をも糾合して攻めてくるのは目に見えている。 (兵が疲れてるなら食って寝るのが一番と思うけどなあ) それもこれも大鳥の優しさだろうと思うものの、 やはりどこか隙があるような、のんきさを感じてしまう。 さすがに大鳥も警戒して、一ッ時(約二時間)で酒宴を 切り上げ、秋月ら側近と話し合いに移った。 そこで再び次郎太がこれまでの事情を話した。 「なに、上野様が」 大鳥は驚いた。小栗主従八名が無抵抗のまま捕らえられ、 弁明も許されず直ちに斬首されたことは、大鳥にとっても 衝撃だった。 大鳥は人目はばからず泣いた。その激しさと悲しさに 側近ももらい泣きした。 次郎太は大鳥に、 「殿と又一様の御首は、西軍が持ち出したまま館林方面に 向かったと聞き、権田村より追っていたのですが既に遅く、 江戸から幕府方の軍勢が来るとも知りましたので、 野州に移って来たところでした」 次郎太は小栗の首を取り返したいことを伝えた。 大鳥は渋った。 「我らはこれまでも西軍とも戦ってきた。だが、信州から 来た東山道軍なる西軍はすでに江戸に向かっているであろう。 我らが野州にいるのは日光を目指したからだ。これから反転 して西軍主力に向かうのは、今の状態からは到底無理だ」 (またダメか・・・・) 軍勢をもって東山道軍を四散退却させ、そこで武器弾薬 食糧は無論、小栗親子の首が取り返せれば大成功だったが、 とても叶いそうにないとわかった。 「では、とりあえず、先生方へ献金致しますので お受け取り下さい」 と、次郎太は二百両を差し出した。 次郎太に相応しいとは思えない金額に大鳥は驚いた。 「この金はどうした」 「わが殿から村へ貸し与えた一部で、それを受け取って 参りました」 「上野様は我らの動きを存じておられたか」 「生前、いざというときは同じであることは 殿も仰せでありました。・・・・ただ、残念ながら、 噂のような額ではなく」 「噂とは」 「殿による埋蔵金の噂が広がっている様子ですが、まったく 事実無根。我ら家来のみならず、幕府方であれば誰もが 御承知と存じます」 「無論じゃ・・・・だが、あるいは、 西軍はそれを当てにしたのかの」 次郎太は大鳥に会津へ向かうことを伝えた。 「以前の立場であれば、伝習隊の一員として参戦する ところですが、今はやはり戻らねばなりませんので、 なにとぞ御容赦下さいますよう」 「うむ、わかっておる。お主はお主の役目を担うがよい」 大鳥は微笑んだ。 城を出る次郎太に知り合いの隊員達が声をかける。 「なんだよ、おめえ会津行くんか」 「うん、あっちでも御役目だ」 「会津も江戸から集まってるらしいな」 「会えたらまた会おうや」 次郎太は北へ向かった。 ・・・・ 翌朝になると伝令が到着し、宇都宮の西軍残兵が南部の 壬生城に入ったことがわかった。大鳥達はこれまでの交戦で 弾薬は少なくなっていた。 対して西軍の増援、反撃は必定である。 大軍に包囲されては宇都宮も持たないだろうとの見解となり、 このまま日光方面へ撤退が妥当としたが、壬生城を放って おくのは勿体無いと大鳥は考えた。 「我らに備えが不足である以上、敵から奪わねばならぬ。 兵は拙速を尊ぶという。壬生が防備を固める前に、 後々を考えれば動けるうちに動いた方がよい」 と、壬生城攻撃を主張した。 が、参謀の柿沢勇記は弾薬の不足を理由に反対し、 周囲もこれに同調した。 議論白熱して互いに譲らぬ状態で時が過ぎ、 粘る大鳥の主張に皆も妥協を示した。 しかし壬生側はこのとき準備万端、大鳥達に備えていた。 結果、大鳥軍は各所で破れて百人余りの犠牲者を出し、 宇都宮城へ戻るが、翌日には反撃に来た西軍を迎撃する 羽目になった。 猛攻の西軍を午前には奮闘の末に城外まで追い出したものの、 既に弾薬が底を着いた状態では維持も叶わず、将兵にも 怪我人が続出して指揮も支障を来たし、土方も足の指を負傷、 もはや持たぬとして、午後になると大鳥により撤退命令が 出された。 ・・・・
by huttonde
| 2014-10-08 06:00
| 漫画ねた
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