江副浩正 角川oneテーマ21

リクルート創業者。昭和11年、大阪府生まれ。東京大学
教育学部在学中より求人広告の仕事を手掛け、23歳で大学
新聞広告社を創業。昭和38年に株式会社日本リクルートメント
センターとしたのち、「リクルート」と社名を変更、発展の礎を
築いた。昭和63年同社を退任。現在、ラヴォーチェ代表として、
毎年、新国立劇場にてオペラの制作興業を行っている。

この書名は、遙か以前から使われていました。リクルート
出身者が、創業した企業が当然のごとく成長を遂げ、上場を
果たしていくのを、誰ということなく使うようになったのだ
と思います。「リクルートのDNA」、言い得て妙です。
江副氏は、本人が言うようにカリスマ経営者ではありま
せんし、見ようとしても見えません。常に人の可能性から
目を離すことなく突き進み、社長ではなく「エゾリン」と
呼ばれる創業者は、社員の名前と持ち味を理解して、人の
モチベーションを高め続け、「リクルートのDNA」を創り
あげたように思えます。

第1章 企業風土について
第2章 私が学んだ名起業家の一言
第3章 成功する起業家の条件
第4章 リクルートの創業期
第5章 生き生きと働く風土
第6章 情報誌の領域を広げる戦略
第7章 領域の過大な拡大
第8章 早過ぎた新規事業の立ち上げ
おわりに
また、私は、業績だけではなく、適性テストや、他者評価
によるROD(Recruit Organization Development)で、自らを
理解する機会を増やすことにした。・・・自分についての忌憚の
ない同僚の議論を、本人は隣室で聞く。自分の弱点を人前に
さらされる研修だから表情がこわばることもある。
経営哲学を社員と共有すること。そのためには自らの経営
理念を周囲に熱く語り、社員と議論を重ねなければ理念の
共有は難しい。理念なき経営者のもとでは社員の心がひとつ
にならない。
それを聞いて、専攻と仕事の適切な出会いのために、
「企業への招待」の巻末に「掲載企業が採用したい学科別一覧」を
マトリックスにして載せた。これが好評を得た。こうして、
「分からないことはお客様に聞く主義」というスローガンを掲げ、
「企業への招待」の改良を進めていった。
「広告だけの本」は、トーハン、日販といった書籍雑誌の
取次会社では扱ってもらえない。そこで・・・、直接書店に
「就職情報」を持ち込み、売上金額はすべて書店に差し上げる
方式をとった。
全社員を対象に毎年新規事業の提案を募集していた。
提案は100件以上。その中から良さそうなものを選んで、
提案者を事業責任者にして、事業化していった。
***起業はボトムアップ、撤退はトップダウン***
思えば東京大学新聞社の時代に、天野勝文さんに
「広告もニュースだ」と言われてたのが、リクルートの
そもそもの始まりだった。
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