そもそものはじまりは
私はこの7年以上、
エゴサーチを一切していません。
なので、2ちゃんも一切見ていません。
仮に「見ろ」と言われても、見ないですね。
なぜなら、
あの場所に私の幸せはひとつもないと思っているからです。
とは言え、そう思えるようになるまでは、かなりの時間がかかりました。
何年前だったかなあ。初めて2ちゃんにスレが立ったのは。
ブログを始めて3年とか、まだそのくらいの時期だったと思います。
当時は定期的にエゴサ(エゴサーチ)をしていたので、それはすぐに見つかりました。
初めて2ちゃんにスレが立ったときはやっぱり衝撃でしたし、
「鼻が変」とか (大きなお世話)
「恵比寿のゼストの店員とカーセックスしてんのを見た」とか (デマすぎて吹いた)
自分の知らない人が自分
(と恵比寿のゼストの店員さん)のことを、あることないこと好き勝手に言っているその光景を見て
「クソが( ´∀`)」
と思っていました。
いや、思うだろうそれは。
って思うなら見なきゃいいんですが、「今度は何が書かれているのか?」と、定期的にエゴサーチをしてしまい
新しい悪口を見つけるたびに「クソが( ´∀`)」と思っていました。
時にはチェックしてなかった間に、たまたま板の内容と通じるブログを書いていたときもあって
「奈々っぺここ見てるね」みたいな書き込みがされているのを見たときや
私じゃないのに「本人乙」と言われている人がいるのを見ると
そりゃあ反論したくもなりました。
だけど、私自身が書き込んだことは一度もないですし
今後も、どれだけ腹が立っても、私が2ちゃんに書き込むことはないと言い切れます。
過渡期
スレ立ちの話を友達にすると
「有名税」「人気者」という言葉を使って私を励ましてくれようとする友達もいれば
「そんな暇な人が居るの?」「一部でしょ〜?」と、その事態やその世界を矮小化することで、私を慰めようとしてくれる友達もいました。
あるいは笑い話として昇華し、ネタ化することで私を元気づけようとしてくれる友達もいました。
仮に私が聞く手であった場合でも、このどれかと似たような反応をすると思いますし、
聞く側にとっては、そのくらいしか言えることはないだろうな、というのも、よく分かるんです。
ただ、これはきっと「ブログ管理者」に限った話ではないと思うんですけど、
「誹謗中傷の耐性」というのは、「時が作り上げていく」ところが大きいと、私は思っています。
第一撃、第二撃、第三撃と次々にやってきて、中傷のされ方も、その攻撃力も変わっていくので
新しい中傷を受けているうちに、初期の中傷を笑えるようになったり、「そのくらいだったら平気」と免疫がついてきたりするようになるんです。
逆に言うと、「免疫がついた」と思えるほどツラの皮が厚くなるまでには、やっぱり時間がかかるんですよ。
「有名税」とか「人気者」だなんて言われても、そんな実績もなければ自覚もない。
だって私のことなんて、誰も知りませんよ。
その言葉がストンと腹に落ち、
「だったらしょうがないか」
なんて思えるほどの何かがあるわけでもないのに、この言われよう。
だからなんていうか
「割に合わなさすぎる」
んですよ。気持ち的に。
落ち込むものは落ち込むし、すり減るもんはすり減るし、
別に依頼されて書いてるわけでもないのに、
書き続ける意味ってあるのかなあ?
と、やってることが馬鹿馬鹿しくなったことは、一度や二度じゃありません。
そしてエゴサをやめたわけ
ブログをはじめて4年目のある日、
「これ、ひょっとして身内?」
と思うような書き込みを発見したことがあります。
今となっては、それすら作為的だったのかなあという気がしないでもないのですが
関わりのある人々の顔が次々と浮かび、頭の中でシロ、クロ、グレー、と振り分けられていきました。
だけどそれは私の勝手な判断で、シロだと思っている人がクロかもしれない、
逆に、クロだと思っている人がシロかもしれない、
そうなってくると、周囲の人みんながグレーに見えてくるのです。
今までだったら普通に話せていたことでも、話す内容にブレーキがかかるようになったり
遊びの誘いを受けてもその裏を勘ぐってしまうようになったり
家に人を招くこともためらうようになったり。
結果として、その時期の私の生活は、
くっそつまらないものになりました。
ネガ感情が増幅して、自分がどんどん
ブスヅラになっていくのも自覚できるほどだったし
なにより、「疑い出したらきりがない」状況にへとへとに疲れてしまった。
だから、ある日を境に、2ちゃんの閲覧をすっぱりやめたんです。
最初に言ったように、
「
あの場所に、私の幸せはひとつもない」
と思ったからです。
でだな。
2ちゃんで何かを言われることはなくならないだろうし、
そこを出入りしていたとしても、ただ傍観されているぶんには別に構わないんです。
ストレートな悪意をぶつけられることもありますが、それは分かりやすいだけまだマシかなと思っています。
だけど、好意を装ってまで接触されるのは、私の中ではちょっと話が違うんです。
これが今日この記事を書こうと思った理由です。
好意のあるていでSNSを介して近づいてきた方が、実は板の人だった、ということが判明しましてね。
と言いますのも、私が2ちゃんを見ていなくても、周りが教えてくれるので、どういうことが書かれているのかは、そこそこ知ってるんですよ。
ちょっと前に、違和感を感じる接触がありまして
一見好意を示すふうのコメントなんだけど、なんか引っかかる物言いだなー、、、
この人ほんとに私に好意あるのかなー、、、??
と思っていたら決定的なことがあって「あーやっぱりか」と。
私が常々言ってる「文色(ぶんしょく)」ってそういうところなんです。
たぶん、本人も自覚がないんだと思いますが、隠しきれない悪意って、漏れるんじゃないかなと。
私自身、何か明確な基準があってそれをもとに察知していると言うより、
「なんとなく」そう感じることが多いので、「なんでそう感じるのかなあ…?」と自分で不思議に思うことも多いくらいです。
でも、感覚で察知してるからなおさら外れないのだなあと、これはまた今後の教訓になりましたね、、、悲しいけど。
さて、今回お伝えしたかったお知らせです。
SNSにもよりますが、
今後、
原則として、非公開の方、公開はしていても未投稿(投稿はしていても明らかに適当に見えるものを1つ、なども同等)の方のフォローを、お断りさせて頂こうと思います。要は、「
背景が全く見えない方」ですね。
プライバシー上、非公開にせざるをえない方も、たくさんいらっしゃると思います。
また、非公開であっても「この方は違うだろうな」というのが、分かる方もいらっしゃいます。
なのであくまで「
原則として」、自分自身が気持ちよく続けていくためのガイドラインなのですが
今後、
該当する方を見かけたら、フォローを外させて頂くこともあるかと思います。
本当に申し訳ないのですが、なにとぞご理解いただきたく思います。
中と外
年末年始に、とても印象的なことがありました。
季節的に忘年会や新年会が多かったので、たくさんの友達に会ったんですが
私の友達のほとんどは、私のブログは知っていても、2ちゃんのスレ立ちを知らないんです。
「え、そうなの?」
というていど。
これが「中と外」の違いだなあと思いました。
「中」にいると、それがすべてのような気がするけど、
そうだよなあ、「外」ではこれが普通だよなあと、思わず笑ってしまいました。
相変わらず、私のことなんて誰も知らないのです。いい意味でね。
R-18は今年4月でまる11年、そして12年目を迎えます。
落ち込むものは落ち込むし、すり減るもんはすり減るし、
別に依頼されて書いてるわけでもないのに、
書き続ける意味ってあるのかなあ?
と、やってることが馬鹿馬鹿しくなったことは、一度や二度じゃなかったけれど
もう、今は「書き続ける意味ってあるのかなあ?」なんてことは、思わないですね。
「馬鹿馬鹿しいのかも」なんていう思いより、ここに対する愛着の方が、遥かに勝っているからです。
私のことを知ってる人なんてごくわずかだけれど、そのわずかな中に、ずっと変わらず好意を向けてくださっている方や、
新しい風を送ってくれるようになった方もいらっしゃいます。
だから私は何を言われても辞めないし、仮にまたどこかでコケても、絶対に起き上がります。
そういう気概もまた、「時が作り上げていく」ものなんでしょうねえ。
全く関係のない方もいらっしゃるのに、明るくない話を長々と、本当にごめんなさい。
そして、最後まで読んでくださってありがとうございました。
明日からまたいつも通りのR-18に戻りますので、よろしくお願い致します!^^
R-18 奈々

さあ、今日は飲むぞ♡
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