この名前を出すと浅岡先生からのコメントを待つしかないのは必須。
先生は後年、彼の態度に嫌気が差し、「彼も所詮は俗物だったのだ!」と喝破したが、でも芸術家だって名声も欲しいしお金も欲しい。カスミ食って生きている訳ではない。
チェリビダッケもたびたび言っている。「とは言え、食べていかなきゃね」。
書庫を漁ってたらビデオテープが出てきたので、懐かしいなぁ、と、午前中観ていた。
やっぱり彼の演奏は一味違う。良くも悪くもパロディに過ぎなかった宇野センセとは違い、本物だ。
彼の尊敬するフルトヴェングラーに一歩でもにじり寄ろうという姿勢がストイックだ。
リハーサルも「跳ぶんだ!跳ぶんだ!」と何言ってるか解らず、オーボエのお姉ちゃんが泣き出してしまうのだが、テンションだけで寄せ集めのオーケストラを束ね、ある完成度まで持っていけるのは、それなりの実力があったという証拠。
N響の奏者から大阪フィルの指揮者を経て、関西フィルを地道に作ったり一生懸命だったのが、オケに裏切られ第一線を退き、ビジネスライクに傾いたクラシック業界を憂い、批判どころか罵倒し続け、最後まで我が道を貫いた人。
あれ?身に覚えがあるような・・・。
しかしいい音だなぁ。もう現代にこのような音を求めるのは絶望的なのか・・・。