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2012.02.21 , 15:31

「真の人々」

「真の人々」

「真の人々」、それは「アイヌ」という言葉が持つ意味だ。それは別に自らを誇示するような言葉ではなく、単にアイヌ語の一つの言葉に過ぎないものだろう。しかし、アイヌ人の行動には尊敬に値するような、何か「真のもの」があった。

  「真の人々」、それは「アイヌ」という言葉が持つ意味だ。それは別に自らを誇示するような言葉ではなく、単にアイヌ語の一つの言葉に過ぎないものだろう。しかし、アイヌ人の行動には尊敬に値するような、何か「真のもの」があった。彼らは自然と調和しながら生きることが出来た。彼らは採集や漁業、狩猟などを行い、農業には一切関わらなかった。そのような理由から、自らの人口と地域の可能性とのバランスを維持しない限り、生活していくことはできなかったと言える。よって、広い土地に分散しながら少人数で生活していくことを余儀なくされたのである。

   そのような時代は長く続いた。というのも、日本列島においてアイヌ人たちは比較的少数だったからだ。しかし紀元前第三千紀ごろから、日本列島には東南アジアや南中国、そしてさらには中央アジアやアルタイからの移民がやってくるようになる。彼らは狩猟だけでなく、農業や牧畜にたずさわり、より多くの人々を養っていける能力を持っていた。その結果、日本列島における移民の数は増加し、それが日本民族を形成したのである。

   日本列島における民族大移動の第一段階において、移民たちとアイヌ人らの関係がどのようなものであったのかは、はっきりとしていない。ある説によれば、一部のアイヌ人たちはサハリンやアムール川下流地域、沿海州やクリル諸島に押し出された、という説明もある。そしてヤマト国家が出来てからは、アイヌ人たちは本州の北部へと押しこまれていった。

   他の説によれば、ヤマト国家は邪馬台国、つまりアイヌ人国家の後継者なのだとする説明もある。そうなれば、ヤマト国家とアイヌ人との対立は、日本人とアイヌ人との戦いではなく、国家に移民を吸収していった「文明化された」アイヌ人たちと、伝統的な生活を守ろうとした「野蛮な」アイヌ人たちとの戦い、ということになる。

 

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