知恵ノート

壮絶!90年までの日生学園ーその8-

2013/03/09 18:26:53

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今回はまとめみたいな感じです。

あの学校とは一体なんだったのか?を考えてみました。
高校でありながら更正施設としての面を持っていたともとれます。
あそこに入る人は 、私の様に内申や成績が悪く地元のバカ校にすら入れない人、何度も警察のやっかいになっていて「鑑別行くか日生行くかどっちがいい?」とか手のつけられない人の最後の受け皿みたいな感じも持っていました。
もちろん教育方針に賛同した人(本人よりも親が多かった)もいました。
確かに「あの学校のおかげで変われた」「今の自分があるのはあの学校のおかげだ」等言われる方もいます。
それはその人の考え、受け止めたかなので批判する気はありませんが、逆に人権侵害、収容所、等の批判的意見があるのも事実です。
wikiでは削除されてますが、過去には様々な問題を起こしていて、暴力事件や自殺、集団脱走、イジメやリンチなども多数でした。
全寮制で保護者は校内の状況を把握出来ずに実際の現場が分からないのです。
また、日生学園被害者の会ってのもあったそうですし(学校に対して被害者の会ってのがある事自体がおかしな話ですが・・・)、国会でも論議された様です。

更正した人は肯定出来るでしょうが、イジメや虐げられた生活を送る羽目になった人は批判的な意見を持っているのかもしれません。

少し考えると、手が付けられない人間を隔離して教育(更正)する、どこかに似ていませんか?
そう。刑務所と同じなのではないでしょうか?
高校なので違う面もありますが、私には同じ様な受け止め方でした。何から何までがんじがらめ、体罰とか連帯責任で締め付ける恐怖政治、やはり今思い出しても同じに思えます。
確かに当時の時代背景や生徒の質(校内や家庭内暴力が問題視されていた)等考えれば厳しいのもアリだったかも知れません。
実際に体に教えないと分からない人間もいると思いますし、叩きなおす必要のある人間もいるでしょうから、ある意味必要だったかも知れませんが、それでも私は全てを肯定する事は出来ません。

あの学校に行って良かった事・悪かった事両方あります。

良かった(得たもの)ものはまず体力。

あれだけ走ったり何かと体を酷使すれば嫌でもつきます。

人によっては根性と言うのもあるでしょうが、私は違います。

あれだけキツイ思いをしたのだからあそこに比べりゃなんでも堪えられるって事でしょうが私はあれだけの事をやったのでもう二度と辛いのは嫌だ。となってしまいました。

次に上下関係と人の顔色を伺う事・空気を読む事です。

これは社会でも役立つスキルの一つだと思います。

これが出来ないと体罰・イジメの対象・・・あそこではやっていけませんでした。

 

悪い事は人の嫌な面をたくさん見せられる事です。

先輩は下級生を、学校は生徒を人間扱いしてないのか?と思う事も多々ありました。

学力に関して言えば「全然だめ」です。

次に声です。

歌・返事、全て大声で何度も声が枯れて、枯れた上でさらに大声を出すので喉を潰しました。

いまだに自分の声が嫌いです。

あとこれは私だけかも知れませんが人の苦労話を素直に聞けなくなりました。

誰かの苦労話・つらい事を聞いても「それのどこがつらいの?」「そんなのあの学校に比べりゃ苦労に入らないよ」なんて思ってしまいます。

表面上は「それはキツイね」と言ったりしますが内心は・・・


最後にあの学校の本質を見た。ってのがありました。
実際にその場にいたわけではないので、また聞きなのですが
暴力事件や自殺なのどの事件の際、学校側は「24時間生徒を守る義務は無い」と言ったそうです。
全寮制で自由に外出出来なくて外と緊急連絡も取れない環境で(生徒が自由に使える電話が無い)命の危険を感じてもどうも出来ない所に入れておいているのにもかかわらず、そう言ったのを聞いて「やはりあの学校だ・・・」と思いました。

創立者の建学の理想、校訓、確かに素晴らしい事が書いてあります。それがどこかで間違った方向に向いてしまったのでしょうか?
結局、私が肯定出来ないだけで多くは肯定してるのか?ただ単に生徒が悪いだけなのか?本当は素晴らしい学校なのか?・・・今考えても答えは出ません。


今回はまとめみたいに書きましたが、また思い出した事があれば次を書くかもしれません。

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