知恵ノート
今まであの当時のあの学校がどれだけ厳しいかを書いてきましたが、その中で生徒はどんな楽しみを持って生活していたか?を書いてみたいと思います。
最終的にはもちろん卒業です。
でも1・2年生はピンときませんし3年生でもの3学期くらいにならないと実感が湧かないです。
なので家に帰れる帰省が最大の楽しみです。
帰省に関しては前回書いたのでここでは省きます。
帰省日が遠い普段どんな楽しみを持っていたか?
人によって違うと思いますが、食事だったり間食のパン、日曜の仮眠って人もいますし授業と答える人もいます。
寮だと常に先輩と一緒で下級生(特に1年)はとても気を使いますが、授業中や休み時間は先輩はいません。
寮では最下層ですが教室ではそれが無いわけです。
(と言っても同級生でも強い弱いでランクみたなのはありますがこれはどの学校でも同じ)
2年や3年はどうか?
やはり夜の自習時間ではないでしょうか?
原則では私語禁止ですがしょっちゅう喋ったりしてましたし自作の遊び道具で遊んだりしてました。
テスト前とか3年の受験前以外で自習してるのはあまり見ませんでした。
新聞・TV・ラジオ・雑誌は禁止なのですがなぜか小説だけはOKでした。
(日曜の仮眠の時に読むならOKと言う事なのか?理由は不明です)
その小説を読むのも多かったですね。私も中学時代はまったく読まなかったですがあの学校で何十冊読んだか分からないくらいです。
それ以外では手紙を読んだり書いたりもありました。先輩に「読ませろ」とはよく言われました
あとは一年をからかったり・いじめたり・パシリに使ったり、いかにも的な説教をしたり、
間食のパンを賭けて何かギャンブルみたいな事をやったり・・・あそこでは一年は奴隷で2年は平民、3年は殿様、教師はその上って感じなので1年は何かと気苦労が絶えません。
このギャンブルですが上級生とはやりたくなかったですね。
負ければ当然払うのですが下が勝ってもあっちから取れません。
そんな事しようものなら他の先輩から何を言われるかわかったものではありません。
また、今日はつかないから止めたいとかでも止める・続けるの決定権は下級生にはありませんし、下級生が勝ちまくれば先輩の機嫌が悪くなるかも?を考えてバレない様に適度に負けないといけなかったり、「今の無し」は先輩だけの特権ですしイカサマも先輩には抗議できません。
これでパンとか牛乳を取られるくらいならまだしも「帰省したら俺ん家に金送れ」なんて言われて払えず辞めたって話も聞きました。
こんな感じで日々何も無い所から僅かな楽しみを見つけて生活してました。
普通の学生が普段得ている楽しみは(遊びに行ったりデートしたり・・・)皆無と言っても過言では無いでしょう。
思い出した事があるので書きます。
リンチの件です。
どういった経緯かは分かりませんがある生徒が教師にが「誰々がタバコを吸ってる」と告げ口した事がありました。
そこからイモヅルにけっこうな数が謹慎とか怒られたりの処分がありました。
その晩から告げ口した生徒は毎晩・何人もの生徒からリンチされました。
自分の部屋ではなく同じ階ですが毎晩怒声とかのリンチの声・音が響きました。
教師は止めませんし、一応喧嘩・生徒間の体罰は禁止されてるにもかかわらず変形した顔を見ても何も言いません。
殴られすぎて起きれなくなってやっと収まりましたが帰省日まで病欠扱いでベッドで寝てすごし、結局そのまま学校を辞めていまいました。
噂なので真偽は分かりませんがその生徒は障害が残ったとか・・・
教師も「告げ口したんだからある程度やられるのは仕方ない」とでも思っていたのでしょうか?
校内に医者がいるわけでもないのにもし死んだら・・・と今思えばあの対応はどうだろう?と思います。
生徒間もさることながら教師の体罰も時に異常なのがありました。
今話題になってる体罰、あの当時の教師や生徒があの当時の感覚で見たら「あんなのは体罰の内に入らない」とか言いそうです。
退学の理由は厳しい押さえつけられた生活が嫌といった理由だけではなく、イジメ・金銭的、または命の危険を感じて辞めた人もいました。