さてと、
2017.07.21.20:59
インチキ占い師、自称チンピラ諜報員きどりの相手も飽きたので通常モードに切り替えます、まあ、ご自身のブログで火病状態で、例によって、あること、ないこと、出鱈目を書いているようですが、御苦労さまです。
さて今回初めて沖縄に5日間程滞在したが、沖縄という地域、日本なんだが何か独得の文化と地域性があって面白かった。
何故沖縄へ行ったかというと、今回、私が通う教会の青年団のミッションがあってその為牧師夫人がその準備のため先に沖縄入りした事もあって、私も初めての場所だったこともあり、ご一緒させてもらった。
彼女は沖縄出身で、顔をみれば直ぐにでも沖縄出身の女性であることが分かる顔立ちをしている、いうなら南方系美人。
先ず驚いたのは暑かった、湿度も高く、多少汗もかいたが、梅雨のシーズンも終わり天候には恵まれた。
沖縄、彼女の案内であちこち回ったが木造の家がなく、ほとんど全ての家が鉄筋コンクリートの建物だった、それは何故かと聞いたら沖縄は台風銀座で木造の建物ではもたないという事らしい、また、道路が狭く曲がねくねり、多分、沖縄県人以外は運転するのはちょっと怖い、そう感じた。
沖縄でも色んな方と知り合い、話もしたが、面白かった話はいくつもあった。
その1つ、沖縄では離婚率が高いという、それは沖縄の平均給与が低く時間給でいえば7百円を切ると言っていた、その為夫婦の多くが共稼ぎだという、その結果、女性達が社会進出し場合によってはその職場で新しい恋も芽生え、それが離婚原因になっているそうだ、しかし、そういって離婚した夫婦も友達付き合いをしてあっさりしたものだった。
又、沖縄は夫婦の間では子だくさんが多い、平均4人くらい、中には5人という人もあった。離婚した場合、いったい誰がその子供達の面倒を看るのか疑問に思ったが、それは父母、祖父母が面倒を見るそうだ、驚いたがそんな事当たり前の話でしょうと笑われた
これもフィリピンの大家族主義とよく似ている。
私はフィリピンの文化もよく知っているが、沖縄のこういった家族関係、文化、伝統はフィリピンと共通する部分を持っている。
私は何日か沖縄のリゾート地、恩納村にあるホテルに滞在していたが、そのビーチで泳いでいた人達、みんな長袖のTシャツを着ていた、これはフィリピンでよく見かける光景で、フィリピン人は海岸やプールで必ず衣服をつけて肌焼けを防ぐ、そんなところも同じだった。
沖縄であちこちに民謡酒場なるものがあって、老若男女、地元の酒泡盛を飲み、そこには三線、太鼓がおいてあり、出来上がっては沖縄の踊りや歌を歌い楽しんでいた、ある酒場ではビートルの歌も沖縄民謡風にアレンジして面白かった。
私も出来上がって踊ったが様にはなっていなかった(笑い), このような酒場に客のほとんどが車で来ていて酔った後どうするのか心配していたが、沖縄には車の代行サービスが発達していて話によればタクシーで帰るよりは安上がりだそうだ。
県民性としてはとにかく明るく、能天気なところも感じたが、今の沖縄の現状をどう思うかとの問いには途端に言葉重くなり、複雑な感情がある事が分かった。
ただ、県外本土でいわれるような沖縄から米軍出ていけ見たいな、それが沖縄県民の総意とは感じられなかった、実際、米軍基地で職を得ている人も多いし、沖縄が観光でなりたっているといえ、まだまだ政府の交付金と基地のおかげで経済が回っているのは確かで、県民もその事にジレンマを感じているのは間違いない。
実は沖縄には私の叔母と従弟が3年前に移住しており、最近では本土からの移住者も多くなってきたと言っていた、那覇にはそんな本土からの移住者が移り住んでいる一角があるという、確かに沖縄、台風を除けば冬はないし過ごしやすい気候ではある、ただし従弟の話では沖縄には確たる産業も工場もなく、本土から来た人間が沖縄で職を得るのは難しいと言っていた。
沖縄の人は何かあると沖縄人を強調する、俺たちはウチナンチュウ、ヤマトンチュウとは違う、ウチナンチュウは一旦外に出ても必ず沖縄に戻ると言っていた、確かに沖縄にたいしての郷土愛というか、そういうものを強く感じる。
残念ながら毎晩酒ばかり飲んでいたので沖縄料理を食する機会は少なかったが、食文化もフィリピンと似ているような気がした。
とにかく、沖縄人、明るく、女性は美人が多い、機会があれば又訪れたい場所だった。
さて今回初めて沖縄に5日間程滞在したが、沖縄という地域、日本なんだが何か独得の文化と地域性があって面白かった。
何故沖縄へ行ったかというと、今回、私が通う教会の青年団のミッションがあってその為牧師夫人がその準備のため先に沖縄入りした事もあって、私も初めての場所だったこともあり、ご一緒させてもらった。
彼女は沖縄出身で、顔をみれば直ぐにでも沖縄出身の女性であることが分かる顔立ちをしている、いうなら南方系美人。
先ず驚いたのは暑かった、湿度も高く、多少汗もかいたが、梅雨のシーズンも終わり天候には恵まれた。
沖縄、彼女の案内であちこち回ったが木造の家がなく、ほとんど全ての家が鉄筋コンクリートの建物だった、それは何故かと聞いたら沖縄は台風銀座で木造の建物ではもたないという事らしい、また、道路が狭く曲がねくねり、多分、沖縄県人以外は運転するのはちょっと怖い、そう感じた。
沖縄でも色んな方と知り合い、話もしたが、面白かった話はいくつもあった。
その1つ、沖縄では離婚率が高いという、それは沖縄の平均給与が低く時間給でいえば7百円を切ると言っていた、その為夫婦の多くが共稼ぎだという、その結果、女性達が社会進出し場合によってはその職場で新しい恋も芽生え、それが離婚原因になっているそうだ、しかし、そういって離婚した夫婦も友達付き合いをしてあっさりしたものだった。
又、沖縄は夫婦の間では子だくさんが多い、平均4人くらい、中には5人という人もあった。離婚した場合、いったい誰がその子供達の面倒を看るのか疑問に思ったが、それは父母、祖父母が面倒を見るそうだ、驚いたがそんな事当たり前の話でしょうと笑われた
これもフィリピンの大家族主義とよく似ている。
私はフィリピンの文化もよく知っているが、沖縄のこういった家族関係、文化、伝統はフィリピンと共通する部分を持っている。
私は何日か沖縄のリゾート地、恩納村にあるホテルに滞在していたが、そのビーチで泳いでいた人達、みんな長袖のTシャツを着ていた、これはフィリピンでよく見かける光景で、フィリピン人は海岸やプールで必ず衣服をつけて肌焼けを防ぐ、そんなところも同じだった。
沖縄であちこちに民謡酒場なるものがあって、老若男女、地元の酒泡盛を飲み、そこには三線、太鼓がおいてあり、出来上がっては沖縄の踊りや歌を歌い楽しんでいた、ある酒場ではビートルの歌も沖縄民謡風にアレンジして面白かった。
私も出来上がって踊ったが様にはなっていなかった(笑い), このような酒場に客のほとんどが車で来ていて酔った後どうするのか心配していたが、沖縄には車の代行サービスが発達していて話によればタクシーで帰るよりは安上がりだそうだ。
県民性としてはとにかく明るく、能天気なところも感じたが、今の沖縄の現状をどう思うかとの問いには途端に言葉重くなり、複雑な感情がある事が分かった。
ただ、県外本土でいわれるような沖縄から米軍出ていけ見たいな、それが沖縄県民の総意とは感じられなかった、実際、米軍基地で職を得ている人も多いし、沖縄が観光でなりたっているといえ、まだまだ政府の交付金と基地のおかげで経済が回っているのは確かで、県民もその事にジレンマを感じているのは間違いない。
実は沖縄には私の叔母と従弟が3年前に移住しており、最近では本土からの移住者も多くなってきたと言っていた、那覇にはそんな本土からの移住者が移り住んでいる一角があるという、確かに沖縄、台風を除けば冬はないし過ごしやすい気候ではある、ただし従弟の話では沖縄には確たる産業も工場もなく、本土から来た人間が沖縄で職を得るのは難しいと言っていた。
沖縄の人は何かあると沖縄人を強調する、俺たちはウチナンチュウ、ヤマトンチュウとは違う、ウチナンチュウは一旦外に出ても必ず沖縄に戻ると言っていた、確かに沖縄にたいしての郷土愛というか、そういうものを強く感じる。
残念ながら毎晩酒ばかり飲んでいたので沖縄料理を食する機会は少なかったが、食文化もフィリピンと似ているような気がした。
とにかく、沖縄人、明るく、女性は美人が多い、機会があれば又訪れたい場所だった。