歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ

歴史学は本来、世界主義やその調和の為に存在します。一国主義に留まりその為の単なる道具としてしか歴史学を見れないようでは歴史は歴史ではなくなります。本ブログはそれを踏まえた上で、歴史家としての正しい姿勢を伝える事です。


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始皇帝

始皇帝 嬴政(wikiより)  



前述に引き続き、「中華主義」のカタマリである「皇」という文字は、「中華律令体制」導入以後、つまり日本が中国に冊封され、その「見返り」としてたっぷりと先進文物を受け取り、その中で先に冊封されていた朝鮮半島と同様に、漢字文化圏(中華文明圏)の一員として、その国家運営をスタートさせました。


そうした意味で、漢字を通じて中国の国家体制や外交政策の手法を学んだこれらの国々は、殊に日本において、中華的な律令体制を整えたあたりから、それ以前は「大王(おおきみ)」だった人間が、ある日突然「天皇」として名乗り、中華皇帝のそれと同じ振舞いをし出しました。


つまり、考えられることとしては、日本人が「漢字」を学ぶ過程において、中国の「巨大さ」や「豊かさ」を知り、とんでもない超大国であることを認識しその国の頂点に立つ人間「皇帝」と名乗っている。「皇帝」は各地の「野蛮」とされる小国のトップたちに、「国王」として冊封し、自らの名目的な「臣下」として扱い、その他にも各種爵位や称号を与えて、北東アジアや東南アジアにかけて、盤石たる国家行政や安全保障体制を構築していました。


その内訳は(前記事コメントにおける伊藤先生のご教示通り)、まずトップに「中華皇帝」が来て、次にその親族(皇族)たちが中華内における「役職」としての「国王(親王)」がきて、これと同等に外部、つまり周辺諸国のトップたちの「国王」がきて、次に古代周王朝以来の「公、侯、伯、子、男」の封建五等爵が来て、さらにその下に「卿、大夫」らが続く形です。


たとえば朝鮮半島(高句麗)の例だと、


「上開府儀同三司・遼東郡王・高麗王」「大将軍(散官)・遼東郡公(爵位)」という称号を隋から受けました。


また補足として、高句麗自体は純粋な意味の「中華主義」国家ではありませんでした。隋から称号を受けて「国王」と名乗っていると同時に、北アジアの突厥という当時最強の「騎馬民族」の国から「自分たちと対等な可汗国(皇帝国)」であるとされ、後、高句麗は隋とは断交(非冊封国)し、戦争でこれを打ち負かします。



本題にもどり、簡単にまとめますと、「皇帝」「王「封建諸侯」「その家臣」という序列になります。


つまりこれが、「中華主義」に基づく階級制度なのです。


そうした事実をまざまざと見せつけられた暁には、私たちもぜひそうなりたいと思った日本人たちは、現実に中国のような振舞い無理でも、表面的でもそのような国でありたいと、まず手始めに「日本」と名乗って、それまでの国名である「倭」を捨て、「東表日出(本来は朝鮮に当てはまる言葉)=真っ先に日を受ける」の国であると、独自の「国家主義」を唱え、これが日本で初めに誕生した「小中華主義」であるということです。


繰り返しになりますが。もし日本が本当に「中華主義」でない国だとしたいのなら、わざわざ「天皇」という古代中国の称号を流用するのではなく、一から自前の君主号を確立すべきだと思います。それが「騎馬民族」のような「可汗」であったり、とにかく中国の神話や役職に一切引っかからないものにすべきでした。

 


無論、このような「中華思想」的な傾向は、昔の日本の知識人全体に言えることで、国学者はもちろんのこと、儒者でも国粋主義に傾倒していった人たちは、日本のことを「中国」と呼んでいました。

この人たちの著作物で「中国」とあれば日本のことあり、山鹿素行の著書『中朝事実』という、「天皇」がいる日本が世界で最も優れた国だと主張する歴史書がありますが、「中朝」日本のことです。中国と朝鮮ではありません。これは神武天皇以前に200万年「天皇制」が続いたという、木村鷹太郎や竹内巨麿の偽史のタネ本のようなものですが、江戸期になるとこの種の国粋主義が目に付くようになります。

さしづめ国学者が日本の王朝を「皇朝」とするなら、儒学者が日本の王朝を「中朝」とするわけで、もちろん両方ともに「中華主義」の影響があります。


そして後者の詳細については、日本が自らを「中国」と呼んだ経緯として、古代に輸入した唐の「中華律令体制」がすべての始まりであり、江戸時代に入ってこれが形骸化し、その「形」自体は江戸時代の幕藩体制の理念として活用され、「藩」の大小は古代中国の都市国家の大小であり、そうした藩に生活の糧を得た儒学者たちの中には、日本を日本と呼ぶのではなく「中国」と呼ぶものがいて、それが国粋主義的儒学者なのですが、「中華律令体制」から授かった「中華・夷狄」意識がそのままに、江戸時代の国粋主義的儒者によって復活させられました。


そのなかで山鹿素行や、浅見掲載・佐藤一斉らが代表者とされ、日本の「中華主義のスケール」は、中国皇帝の大領域よりも、いにしえの戦国時代の実態に近い小さなものであるとされていました。また現代においても、日本の地図では一地方としての「中国地方」「近畿」があり、後者においては天皇がかつていた京都がある「畿内」から発した地名です。


もちろん、この「畿内」自体の意味にしろ、「関中(中原)の皇帝域」を表すものです



ここまでくると、もはや言い逃れもできなく、いかに日本が中国の「皇帝」に憧れていたのかが鮮明に表れた証左です。しかし始末が悪いのは、そうした事実をつまびらかに吐露せず、自国の「下らない体裁」の為だけに「過去に天皇(神功皇后)が『三韓征伐』(高句麗・新羅・百済)を行って朝鮮を『属国』にしていた」とか、日本の権威ある大学の教科書の内容ですら中国の「皇室」を、わざわざ「帝室」と書き換えたり、どこまで「皇」という文字自分たちの独占物にしなければ気が済まないのか、現代で最も「中華主義」に魅了された国が、紛れもなく我が国であるということを、日本人は深く認識しなければなりません。

〈参考文献・ご見識〉


・『中国の歴史02 都市国家から中華へ 殷周春秋戦国』(平勢隆郎著 講談社)

・『興亡の世界史05シルクロードと唐帝国』(森安孝夫著 講談社)

・『騎馬民族の思想』(豊田有恒著 徳間書店)

・『朝鮮-風土・民族・伝統-』(中村栄孝著 吉川弘文館)

・『ヨーロッパ思想入門』(岩田靖夫著 岩波ジュニア新書)

・『文化人類学入門 増補改訂版』(祖父江孝男著 中公新書)

・『中国の歴史06 絢爛たる世界帝国隋唐時代』(氣賀澤保規著 講談社)

・『世界の歴史6 隋唐帝国と古代朝鮮』(礪波護/武田幸男著 中公文庫)

・『歴史哲学講義 上下』(ヘーゲル著/長谷川宏訳 岩波文庫)

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮 第3巻』(勁草書房)

・伊藤先生(歴史作家)のご教示(『‐江戸時代の朝鮮観その3(優越思想と国学者の場合)‐ 』コメント欄より)

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