「法華仏教研究」(2017年7月刊)に、法華運動や創価学会の発展史に詳しい宗教社会学者の西山茂氏の「創価学会の基礎思考」という論文が掲載されました。
歴史的にSGが正宗から離脱せざるを得なかった必然性を、大御本尊と日蓮久遠本仏論を特徴とする正宗教学とは別の思想の流れがあったことに求めています。
それは、牧口会長の価値論、戸田会長の生命論、そして池田会長の人間主義的な教義解釈並びにその広宣流布論です。
これは宮田幸一氏の見解とも一致しているし、私も「凡夫即身成仏論」の中で「法華経の智慧」に見られる(正宗教義・生命論・本覚思想・凡夫本仏論などの)思想要素の重層構造を指摘しています。
西山氏はすでに戸田会長の思想の中に生命主義と並んで(御義口伝を背景とする)凡夫本仏論を看取しています。
池田会長の広宣流布論も、正宗の本尊を流布することではなく、人間主義の日蓮仏法を基盤にした「妙法の大地に展開する大文化運動」であることを強調しています(116頁)。
だからこそ、正宗側からは何度も何度も「正宗教義とは異なる」というクレームが出されたというのが、歴史的事実ではないでしょうか。
つまり、SGの根本的な思想と志向性は、正宗・日寛教学を基礎にする寺院仏教ではなく、世界のグローバル社会に展開する在家仏教のための日蓮仏法だったはずです。
今後は、この人間主義の日蓮仏法を前面に押し出していくことになるかと思います。それが私の提案に他なりません。
したがって、ここで正宗教義をSGの根本思想だと見なし続ける人は正宗の寺院仏教を擁護し、逆に、代々会長の民衆のため、世界平和のためへの革新的な思想的努力を軽視・否定することになります。この論文をぜひ読んで、再考していただきたい。重要な啓蒙書です。
さらに今一つ、恐れ多いことではありますが、西山氏が私個人に言及してい箇所を再録します。
・・・戸田の生命論は、その後の創価学会に引き継がれ、池田は随所でしばしば「みなさんが仏なのです」といっているし、元東洋哲学研究所欧州研究部長だった松戸行雄は「人間主義の日蓮本仏論を求めて」(1992年)と「日蓮思想の革新」(1994年)のなかで、本尊のことを凡夫即身の仏界の「自浮自影の鏡」であるといっている。池田も松戸も生命論を書いた戸田の忠実な弟子だったわけである・・・(同上)
私自身にはそんな大それた自覚はありませんでした。が、人間主義の日蓮仏法の学会教学史における位置付けについて、改めて考えさせられました。
https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1501224626&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84
|