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ETV特集「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」 2017.08.05

気をつけてちょうだい。
戦後70年にわたって封印されてきた過去。
今それを語ろうとする女性がいます。
ちょっと夕方風が冷とうなりました。
今年92歳になる佐藤ハルエさん。
戦時中岐阜県から中国に移民した黒川開拓団の一員でした。
敗戦とともに開拓団は全滅の危機に直面しました。
(砲撃)1945年8月中国東北部・旧満州にソビエト軍が侵攻。
日本軍が撤退したあとハルエさんのいた開拓団は取り残されます。
この時黒川開拓団は若い女性たちにソ連兵の性の相手をさせる事で生き延びる道を探りました。
黒川開拓団ではその事を「接待」と呼びました。
当時二十歳だったハルエさんはこの時接待を強いられた一人です。
戦後ふるさとでは接待の事は秘密とされてきました。
しかし今ハルエさんは自らの体験を語り始めたのです。
接待を強いられたのは10代から20代までの未婚女性15人。
山本みち子さんは当時17歳。
接待に呼び出された女性の中で一番年下でした。
敗戦直後の満州で何があったのか?女性たちが語り始めた戦争の記憶。
今残された人々はその事実をどう受け止めているのか。
72年後の告白です。
岐阜県東南部旧・黒川村。
山あいの集落では林業と茶の栽培が営まれています。
村の一角に一体の石仏が建てられています。
「乙女の碑」。
黒川開拓団で犠牲となった女性たちの慰霊碑です。
碑を建てたのは黒川開拓団の遺族会です。
会長を務めてきた藤井恒さん。
「乙女の碑」には女性たちの接待の事実は記されていません。
(藤井)まあえ〜…。
そりゃまあ…。
しかし4年前一人の女性の告白が村に波紋を広げます。
満州で接待を務めた安江善子さん。
自らの体験を公の場で初めて語ったのです。
善子さんはなぜそれまで秘めてきた体験を語ったのでしょうか?ごめんください。
(チャイム)去年善子さんは亡くなっていました。
体験を語った理由は家族も聞かされていませんでした。
…と思うんですけどね。
うん。
非常にまああの〜…やっぱり…善子さんが告白したのと同じ頃開拓団の他の女性たちも自らの体験を語り始めます。
接待を強いられた女性のうち3人が今も健在でした。
どうも。
忙しいのにご苦労さまです。
ようおいで下さった。
まだ来てもらえんと思ったけど。
戦前ハルエさんの家は養蚕農家でした。
満州へ渡るきっかけは昭和恐慌に始まる長引く不況です。
ハルエさんの家は一家7人での移民を決めました。
日本の関東軍が中国東北部を制圧。
翌年満州国が建国されました。
国策として日本からの移民が奨励されました。
移民には豊かな農地が与えられました。
中国人を立ち退かせたり安く買い上げたりしたのです。
黒川開拓団が入植したのは中国吉林省「陶頼昭」。
当時の満州国の首都新京近くの農村です。
129世帯650人が暮らしました。
王道楽土に見えた満州での暮らし。
しかしそれは長くは続きませんでした。
(砲撃)1945年8月9日。
ソビエトは日ソ中立条約を破り突如国境を越えて侵攻。
日本の関東軍の主力はいち早く撤退。
残された日本人居留民は略奪や強姦にさらされます。
村ぐるみで命を絶つ集団自決が相次いでいきます。
満州全土で開拓団の集団自決は分かっているだけで48に上りました。
黒川開拓団の両隣の村も集団自決に追い込まれました。
敗戦翌月の9月23日。
黒川開拓団にも全滅の危機が迫ります。
中国人が大挙して押し寄せてきたのです。
まああのものすごい…。
開拓団では皆で話し合った末集団自決の道を選ぼうとします。
その時ハルエさんの父長太郎さんが声を上げました。
それでそしたらその時に…この時何が話し合われたのか。
当時開拓団にいた人を訪ねました。
う〜ん…何が知りたいの?甲子朗さんは父親が書いた話し合いの記録を保管していました。
しかしこれまで記録を誰にも見せてきませんでした。
(物音)
(甲子朗)あれ?
(取材者)あっすごい。
これまで誰かに見せた事はあったんですか?開拓団の女性たちが満州の体験を語る中今回初めて父親の手記を見せてくれました。
父親の久夫さんは開拓団の行く末を決める話し合いに参加していました。
開拓団が頼ったのはソビエト軍でした。
当時ソビエト軍は南満州鉄道を接収。
村から3キロ離れた陶頼昭の駅を占拠していました。
ロシア国防省の資料には陶頼昭に駐屯した部隊が記されています。
ザバイカル方面軍第36軍に所属する狙撃兵です。
ザバイカル軍はドイツとの戦争を経て満州に侵攻。
囚人兵も含まれていました。
当時12歳だった藤井恒さんです。
接待が始まったいきさつを初めて話してくれました。
恒さんは開拓団の青年がソビエト軍に助けを求めに行くのを見ていました。
…という事もありまして。
駆けつけたソ連兵によって黒川開拓団は襲撃を免れました。
しかしその時兵士たちから見返りを求められます。
黒川開拓団の幹部はその要求を受け入れました。
更にソ連兵に今後も村の護衛をしてもらう条件で接待が始まりました。
敗戦から2か月後。
黒川開拓団本部に出来たのは「接待所」と呼ばれる一室でした。
接待所には開拓団にいた15人の若い女性が送られる事になったのです。
山本みち子さんは当時数えで18歳。
何も知らされないまま接待所に連れていかれたといいます。
その時の事を今回初めてカメラの前で語りました。
(山本)チャッ!泣いて…。
もうこうやって握ってる。
突然やって来るソ連兵。
女性たちは一日に何人もの相手をさせられた事もありました。
父親の手記を公開してくれた曽我甲子朗さんは接待所の様子を目の当たりにしていました。
当時12歳接待所に来たソ連兵を案内する係でした。
佐藤ハルエさんは当時二十歳。
親たちの苦しい事情を聞かされて接待所に出向いたといいます。
接待は未婚の女性に限られました。
男たちが戦争に駆り出された中その留守を守る妻に接待は頼めないとされました。
父の長太郎さんは集団自決ではなく生き残る道を主張しました。
ハルエさんはそんな父の気持ちに応えようとしたといいます。
(取材者)ハルエさんに何かその…言葉をかけてくれた事もあったんですか?お父さんは。
(ハルエ)何しろが…父の長太郎さんは病で亡くなりました。
しかし母と弟は生きて日本に帰る事ができました。
4年前満州の体験を公の場で語った安江善子さんです。
善子さんにも守りたい肉親がいました。
善子さんは当時21歳。
他の女性よりも接待を多く引き受けていました。
善子さんには4歳下の妹がいました。
その妹の分まで接待に出向いていたのです。
ひさ子さんは接待に出た姉の体を洗う「洗浄係」でした。
妹をかばった善子さんですが一度だけ気持ちをあらわにした事がありました。
一遍はね…とか言ってねもう…女性たちの多くは数か月の後梅毒や淋病に侵されました。
更に発疹チフスの流行で15人のうち4人が現地で命を落としました。
57万人余りの日本人捕虜をシベリアへ抑留したソビエト軍。
敗戦翌年の1946年3月ソビエト軍は国際的な批判を受け満州からの撤退を始めました。
その年の8月黒川開拓団は日本へ引き揚げようと陶頼昭を出発します。
しかし中国では内戦が始まっていました。
共産党軍と国民党軍が対立。
陶頼昭は2つの勢力がぶつかる前線となりました。
村を脱出した開拓団が松花江にさしかかった時行く手が塞がれます。
内戦で鉄橋が破壊されていました。
渡し船を見つけましたが乗せる代わりに「女性を差し出せ」と要求されました。
戦後黒川開拓団650人のうちおよそ450人が日本へ帰国しました。
集団自決に追い込まれる開拓団もある中過半数が生還する事ができたのです。
黒川開拓団が引き揚げた博多港。
港近くの診療所では女性たちの中絶手術が数多く行われました。
診療所の跡地には水子供養の石仏が建てられています。
開拓団を守るため犠牲を強いられた女性たち。
戦後をどう生きてきたのでしょうか?佐藤ハルエさんは生まれ故郷に戻りました。
しかし地元には満州から帰ってきた女性に対する悪いうわさが流れていました。
引き揚げから3年後ハルエさんはふるさとを離れます。
人里から離れた山奥に住み山林を開拓する事にしました。
冬は雪に閉ざされ湿地帯が広がる山林。
ヒルしか住まないという意味で「蛭ヶ野」と呼ばれました。
蛭ヶ野には満州の開拓経験者が多く集まりました。
荒れ地を開墾するのには3年がかかりました。
この蛭ヶ野でハルエさんは同じ満州帰りの健一さんと結婚しました。
2人はじゃがいもを作って資金をため1頭の乳牛を飼いました。
やがて牛を40頭まで増やし4人の子供を育て上げました。
(ハルエ)とーとーとーとーとーとーとー…とーとーとーとーとーとー。
若い女性たちの犠牲によって生きて帰る事ができた黒川開拓団の男たち。
彼らもまた葛藤を抱えて戦後を生きてきました。
父親の手記を見せてくれた…甲子朗さんは手記をめぐってひそかに悩み続けてきました。
今から36年前村では開拓団の歴史を伝える記念誌を作りました。
甲子朗さんはソ連兵への接待について記念誌にこう記しました。
「ソ連兵には豚の料理などで接待し娘達も協力してくれ誠に感謝の外はない。
我々の今日あるのも彼女等のお陰である」。
接待の真実までは書けませんでした。
しかし父親の手記にはこう書かれていました。
甲子朗さんは接待の内実に触れたこの部分を記念誌から「排除」していました。
なかなかなかなか長い間あれやわ…。
しかし女性たちがつらい過去と向き合い語り始める中でその事実を埋もれさせてよいのかと心が揺れました。
女性たちが告白する消し去る事のできない過去。
村の人たちは今戦争の記憶と向き合い始めています。
妹を助けたい一身で接待を引き受けた安江善子さんです。
満州で両親を失った善子さん。
故郷の黒川村で洋裁の仕事をしてきょうだいを育てました。
その後同じ満州帰りの愼吾さんと結婚しました。
結婚後善子さんは子供ができない事が分かりました。
その事を知った妹のひさ子さん。
当時1歳になる次男泉さんを善子さん夫婦へ養子に出しました。
姉さんには私はほんとにあの私としては…泉さんには養子に出した本当のいきさつは伝えませんでした。
そういう事は…
(取材者)これはおいくつぐらいの時?5つ6つやね。
安江泉さんは一人息子として大切に育てられてきました。
善子さんは折に触れて泉さんと写真を撮りました。
息子の成長が何よりも楽しみでした。
音楽が大好きだった善子さん。
去年泉さんに歌を聴かせてほしいと頼みました。
まあ去年の1月に亡くなったんですけれども。
亡くなるほんとに直前にその「レット・イット・ビー」が聴きたいって言ったもんですから枕元で歌ってあげたら泣いて喜んでくれましたけれども。
「WhenIfindmyselfintimesoftrouble」というところ「trouble」というところを「チョボ」っていうふうに「チョボ」が聴きたいっつってよく言ってて。
去年1月善子さんは91歳で亡くなりました。
その直前善子さんは満州の体験を公にしました。
泉さんにも養子となった本当のいきさつを伝えました。
まあそれは言いづらい部分も結構話はしてくれたしそういったそのさっきのね醜い部分の事もやっぱりその悔しさ交じりで話はしてくれたからまあ大変だったんだろうなというのとそれからおふくろがなんでなんでっていうなんでそういう苦労をしなきゃいけなかったんだっていうような事は言いながら話ししますからやっぱりそのかといってね誰が悪いっていうかみんな当事者でみんな被害者ですからでその逆の立場になればそういうふうにもなるだろうしという事を考えるとね一体その戦争の愚かしさはどこにあるのか。
今年6月。
黒川開拓団の遺族会は中国陶頼昭を訪ねました。
現地で亡くなった仲間たちへの慰霊の旅です。
泉さんは母親が暮らした場所を一目見たいと同行しました。
初めての陶頼昭です。
とうもろこしやじゃがいも畑が広がる農村です。
まあおふくろが話してたところがおおよそのイメージはねしてたんですけど実際に見てみるのとその全然…。
まあその話す内容がそういう悲惨な話だから私の今までのイメージの中では暗いんですよここが。
夜だったり。
日常はこういう穏やかなねそういうとこだったんだろうと思うんですけれども。
遺族会の藤井恒さんは30年間現地の人々との親睦に力を入れてきました。
中国人の土地を奪った歴史を償いたいと友好碑も建てました。
しかしその友好碑は倒されていました。
尖閣諸島を巡って日中関係が緊張する中での出来事でした。
泉さんは母親がつらい経験を強いられた場所へ向かいました。
ソ連兵の「接待所」。
建物は取り壊され畑に変わっていました。
食べるものもあるわけじゃないし誰かがこう守ってくれるという状態でもないしそれぞれがねみんな生きてくのが必死で。
この異国の地でもうほんとに取り残されて頼る者が何にもない状態で何とかその家族を守らなければっていうやっぱりそういう極限状態だったと思うんですよ。
帰国後泉さんは実の母であるひさ子さんからテープを受け取りました。
善子さんが生前録音したもので初めて聞きます。
あの我々に対してそういう事実は事実として見つめていく重要さっていうか。
でそれとその太陽のように生きていく事の方が重要なんだっていう事を言いたかったのかなぁという…。
これはやっぱりおふくろから教わったと思うんですけれども。
その…隠したりなかった事にしようとしたりっていう事が私はそれは自分をごまかす事ですよね基本的には。
あのそんなはずじゃなかったとかそんな事はあってはいけないとか。
っていう思いが強くて現実を否定してしまう。
それは自分を否定するのと同じ事だと思うんですよ。
それほど不幸な事は…。
それが不幸の始まりだとおふくろも思ってただろうし私も思うんですね。
92歳の今も農作業が日課です。
さつまいもが大きいんですよ。
百姓しかやった事ないから芋掘りぐらいはできます。
アッハハハ!ハルエさんは自らの体験を後世の人に伝えたいと願っています。
戦後70年を経て語り始めた女性たち。
その告白は弱いものに犠牲を強いる戦争の実相を明らかにしました。
「悲しみは繰り返さないでほしい」。
女たちの願いです。
2017/08/05(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」[字]

終戦後の旧満州。命を守るため、ソ連兵の接待を若い女性にさせた開拓団があった。戦後長く語られなかった、開拓団の女性たちの告白。その歴史に向き合う人々を見つめる。

詳細情報
番組内容
戦前、岐阜県の山間地から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれた。その時、開拓団が頼ったのは、侵攻してきたソビエト兵。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。戦後70年が過ぎ、打ち明けることがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を残された人々はどう受け止めるのか。
出演者
【語り】余貴美子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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