一面核禁止、長崎の叫び 市長「条約参加、一日も早く」
長崎は九日、原爆が投下されてから七十二年を迎えた。長崎市松山町の平和公園で、市主催の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、原爆投下時刻の午前十一時二分、参列した市民らが黙とうした。田上富久市長は平和宣言で、例年訴えてきた原爆投下後の惨状を後回しにし、国連で七月に採択された核兵器禁止条約を「被爆者が積み重ねた努力が形になった」と評価。条約に加わらない日本政府に「唯一の戦争被爆国として、一日も早い参加を」と迫った。 田上市長は、宣言冒頭から核禁止条約に触れ、「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼んで歓迎。核保有国と核の傘の下にある国に、安全保障を核に頼ることのないよう求めた。例年は原爆投下後の人々や町の凄惨(せいさん)な描写から始めていた。 東京電力福島第一原発事故で放射線の脅威にさらされた福島にも七年続けて言及し、「被災者を応援する」と述べた。その後、被爆者代表の深堀好敏さん(88)が「平和への誓い」を朗読。「町並みは消え、姉は息絶えた。世界が終わる、と思った」と回想した。 安倍晋三首相はあいさつで、広島市で六日にあった平和記念式典と同様、核なき世界の実現に向けて核保有国と非保有国の「双方に働き掛ける」と強調。条約参加への言及はなかった。 被爆者団体は式典後の安倍首相との面会で、条約不参加に強く抗議。安倍首相は「核廃絶に努力する」などと述べるにとどめ、被爆者の願いには直接応えず、平行線のままだった。 長崎市によると、式典には平和公園の約五千四百人を含む三会場で、被爆者や犠牲者の遺族、計五十八カ国と欧州連合(EU)の代表ら計約六千三百人が参列。核保有五大国は駐日米臨時代理大使ら各国代表が参加した。 七月末までの一年間で、長崎市が新たに死亡を確認した被爆者は、三千五百五十一人。原爆死没者名簿に記された総数は十七万五千七百四十三人となった。今年三月末時点で市内に住む被爆者は三万八百十三人で、平均年齢は前年比〇・六九歳上昇の八一・〇一歳。厚生労働省によると、全国で被爆者健康手帳を持つ人は、二〇一六年度末時点で十六万四千六百二十一人。平均年齢は八一・四一歳。
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