一面広島「原爆の日」、祈りと怒り 核禁止条約、首相言及せず
広島は六日、原爆投下から七十二年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、松井一実市長は平和宣言で、七月に採択された核兵器禁止条約に触れ、核廃絶への取り組みをさらに前進させるよう各国に提唱。日本は条約に不参加で、安倍晋三首相は式典でのあいさつでも条約に言及せず、式典後の面会で被爆者団体が「怒りを込めて抗議する」と直接批判した。 核軍縮が停滞する中、条約を「核なき世界」実現への一歩としたい被爆地・広島だが、米国の「核の傘」に依存し条約に反対する政府との立場の違いが際立った。 松井市長は政府に対し、条約の締結促進を目指し「核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう」に要求。「絶対悪」である核兵器の使用は人類として決して許されない行為と断じた。 安倍首相は式典で、核廃絶のためには核保有国と非保有国の参画が必要とし「わが国は双方に働き掛け、国際社会を主導する決意だ」と強調。面会では、被爆者団体の批判に対し「非核三原則を堅持し、核廃絶の努力を続ける」とだけ述べ、条約不参加への直接の回答を避けた。 式典ではこの一年間に亡くなるなどした五千五百三十人の名前が書かれた原爆死没者名簿を原爆慰霊碑の石室に奉納。これまで記帳された総数は計三十万八千七百二十五人となった。 市によると、参列者は約五万人。「平和の鐘」が響き渡る中、原爆投下時刻の午前八時十五分に黙とう。子ども代表で広島市の小学六年、竹舛直柔(たけますなおなり)君(11)と福永希実(のぞみ)さん(11)が「平和への誓い」を宣言した。 式典には、八十カ国と欧州連合(EU)の代表が参列。核保有国は、英仏ロが代表を派遣、原爆を投下した米国は臨時代理大使が出席した。国連の軍縮担当上級代表の中満泉事務次長が「核保有国は軍縮に向け具体的なステップを踏む責任がある」とする、グテレス事務総長のメッセージを代読した。田上富久長崎市長も出席した。 被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は、二〇一七年三月末時点で十六万四千六百二十一人、平均年齢は八一・四一歳となった。 六日夕には原爆ドーム前の元安川に約一万個の灯籠が流され、集まった人々が犠牲者をしのんだ。 ◆「被爆国、条約批准すべきだ」 被爆した名大名誉教授
「お母さん、あなたの命を奪った核兵器を禁止する条約ができたんですよ」 原爆投下時刻よりも一時間早い六日午前七時すぎ、名古屋大名誉教授の沢田昭二さん(85)=名古屋市緑区=は、広島市内にある母親の墓に報告し、手を合わせた。 七十二年前のあの時、当時十三歳だった沢田さんは爆心地から一・四キロの自宅で布団の中にいた。爆風で家が崩れ、何とかはい出すと、街がなくなっていた。がれきに閉じ込められた母を助けようとしたが、手に負えない。火の手が迫る中、離れようとしない息子に、「母さんのことはいいから、早く逃げなさい」と母は声を荒らげ、そのまま亡くなった。「立派な人になってね」という言葉が今も頭を離れない。 沢田さんはその後、広島大に進学し、物理学者に。名古屋大で素粒子物理学を研究する一方、核廃絶運動にも関わった。 先月七日に国連本部で採択された核兵器禁止条約に、被爆国の日本は参加していない。沢田さんは、条約の実効性を高めて核廃絶を求める活動「ヒバクシャ国際署名」を推進する「愛知県民の会」を、呼び掛け人の一人として発足させた。 「条約は核廃絶を訴え続けてきた、私たち被爆者の願いが結実したもの。政府は唯一の被爆国として条約を批准し、核保有国に批准を働き掛けるべきだ」 この日、母親の墓参りを終えた後、広島市の平和記念公園であった式典に参加した。「核兵器のない世界のため、国際社会を主導する」との安倍晋三首相の言葉を聴き、「空虚だ。核兵器禁止条約に言及すらしなかった」と怒りを隠さない。安保法制や共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法を念頭に、「安倍政権は民主主義とは逆の方向、戦前の日本に戻そうとしているように感じる」と語気を強めた。 (坪井千隼)
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