番組の後半では、水爆実験の影響で別の島に移住した住民が、移住先の島で海水面の上昇による水没に遭い、困惑する姿が報じられます。水爆実験さえなければそもそも移住する必要さえなかったのに、温暖化という思わぬ事態によって、移住先でも再び生活が脅かされている。その住民の悲痛は痛いほど伝わってきます。
しかし、ここでは敢えて感情を抑えて論点を整理しましょう。水爆実験は地球温暖化そのものとは直接関係ありません。これらの別々の問題を情緒的に混同させてしまっては、問題の本質がぼやけてしまうのではないでしょうか。
さらに言えば、まさにこの番組そのものが当初、「ビキニ環礁水爆実験」と「福島第一原発事故」という二つのまったく異なる問題を、「放射能」という共通項だけをもって強引かつ情緒的に混同させ、問題の本質をぼやけさせようとしていました。そればかりか、根拠を示さずおどろおどろしい「印象操作」を繰り返すことで、誤解や風評を助長しているわけです。
放送前に起きたタイトルの炎上騒動も含めて、マスコミが作り出す身勝手な「物語」に毎回毎回振り回される住民は、たまったものではありません。
番組のクライマックスで、1956年1月にワシントンで行われた米原子力委員会の議事録が紹介されます。その中には、このような記述があります。
<世界で最も汚染された場所に住む彼らからは良好なデータを得ることができる。しかも彼らはネズミより我々人間に近い>
その後、放射能検査を行わないまま安全宣言が出され、ロンゲラップ島民たちは帰島した。しかし、島に残留する放射能が直接の被曝を免れた人の体をも蝕み、生まれてくる子供たちには先天性異常が続出した——このように解説は続きます。
「人体実験」の意図が米国にあったとすれば、許されざることであり、それはそれとしてきちんと追及されるべきでしょう。もしテレビ朝日がこの問題にテーマを絞った上で、客観的な根拠を明らかにしながら番組作りを進めていれば、良い番組が出来たのかもしれません。
しかし、ここまで説明してきたように、番組に当初は「フクシマの未来予想図」というサブタイトルがつけられていた以上、テレビ朝日には「福島でも政府が住民を使った人体実験をしようとしている」「福島に帰還すれば重大な健康被害が出る」と仄めかす意図があったのではないか、と疑わざるを得ません。
テレビ朝日が、これほど多くの指摘を受けてもまったく説明責任を果たそうとしない以上、正確な狙いは判りかねますが、たとえ番組にどのような意図があったにせよ、福島に帰還した一般住民に「呪い」をかけるような行為は正当化出来ません。
もしそれを正当化してしまったら、それはこの番組で批判している、水爆実験のために罪のない現地の住民を巻き込んだ米軍の行為と、番組自体も何ら変わらなくなってしまうのではないでしょうか。
冒頭でも書いたように、これも福島への帰還、「帰福島」が進みつつある被災地への当てこすりではないか、と受け止められても仕方がありません。「除染しても無駄」「戻ったら健康被害が出る」「公的支援が打ち切られる」——こうした言葉も、福島からの自主避難者をめぐって何度も耳にしたフレーズでした。
もちろん日本には居住地の自由が保障されている以上、帰還が強制されるべきではありません。今なお避難生活を続けている人へのケアは、手厚く行われるべきです。
しかし、避難者の尊重を訴えるならば、同時に故郷への帰還を望む人の尊厳、意志もまた、ないがしろにしてはならないのです。
この番組で紹介された「帰島した住民の声」は、番組から尊重されていたでしょうか? 同様に、福島に留まった人、あるいは帰還した人の声や生活を、報道はこれまで尊重してきたでしょうか?