麻原彰晃 -『TIME』本誌の表紙を飾った最後の日本人
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1995年3月20日、5000人以上にも及ぶ被害者と12人の死亡者を出した地下鉄サリン事件。
その特別手配容疑者の最後のひとりだったオウム真理教元信者・高橋克也容疑者(54歳)が、17年間の逃亡生活の末、先日6月15日に逮捕された。その後の報道によると、高橋容疑者は今もなお松本智津夫死刑囚(57歳=教祖名・麻原彰晃)を「尊師」と呼び、教団への信仰心も根強く残っているとみられている。
当時、15,400人にものぼるオウム真理教信者たちがこの顔を「教祖」と崇めたのだ。そこまで信者を惹きつけた「麻原彰晃の魅力」とはいったい何だったのか。
雑誌「TIME」と麻原彰晃
雑誌『TIME』といえば、アメリカの実業家や政治家、著名人らにとって、その表紙に載ったか否かが彼らの評価を大きく分けることでも知られる。1923年の創刊以来『TIME』本誌の表紙を飾った日本人は、昭和天皇(6回)と皇后美知子様をはじめ、東郷平八郎・東条英機・山本五十六ら太平洋戦争時の軍関係者、犬養毅や米内光政ら内閣総理大臣、そして民間からは、日本郵船社長の各務鎌吉、松下電器会長の松下幸之助と、ソニー社長の盛田昭夫の3人のみ。(不特定を代表する個人や複数人掲載の一部である場合を除く。)いずれも日本の歴史に名を残す錚々たる顔ぶれだ。
そして、1971年に掲載された昭和天皇に続いて24年ぶりに、日本人として最後に『TIME』本誌の表紙を飾ったのが、この麻原彰晃なのだ。地下鉄サリン事件の翌月4月3日のこと。タイトルは「死のカルト- 毒ガス事件がもたらした自家製大量殺人兵器を使う過激主義者の恐怖」。
17年後の今もアメリカを震え上がらせる地下鉄サリン事件
実は、この地下鉄サリン事件は、日本だけではなくアメリカ合衆国をも震撼させた大事件だった。事件当時、アメリカには麻原彰晃とオウム真理教をアメリカ合衆国にとっての脅威と看做すに十分過ぎる理由があった。なぜなら麻原は1990年前半に出版した著書の中で、自身を「キリスト」であると宣言、ユダヤ人やフリーメイソンが世界中で悪しき陰謀を企てているとし、アメリカこそが(ヨハネの黙示録に登場する)「サタンの化身」であり、アメリカが引き起こす「第三次世界大戦」において、日本はアメリカから攻撃を受け、アメリカの核ミサイルによって人類は終焉すると断言していたのだ。
事件後もアメリカ合衆国のオウム真理教に対する警戒は続く。事件から5年が経過した2000年2月4日、オウム真理教の後継団体「アレフ(Aleph)」が発足すると、CIAは「もっとも危険なテロリストグループ」として、あの反米・反ユダヤを標榜するイスラム過激派国際ネットワーク「アル・カーイダ」と並列で「アレフ(Aleph)」の名前を挙げた。
さらに事件から6年後。2001年9月11日に起きた全米同時多発テロ事件の一週間後に、アメリカ炭疽菌事件が発生し、大手メディアや上院議員らが襲われ、5名の死者と17名の負傷者が出た。すると各メディアはこれをオウム真理教や地下鉄サリン事件と関連付けて、その類似性を指摘するよう報道を繰り返した。
また事件から9年後の2004年、アメリカの人気ドキュメンタリー番組「ZERO HOUR」では、オウム真理教と地下鉄サリン事件を、再現映像をまじえて詳しく紹介している。その生々しい映像は、今見ても背筋が凍りつくような内容で、実際の遺族や生存者、サリンの猛毒でパラライズしてしまった被害者までもが登場する。おそらく日本では放送出来ないようなシーンも含まれており、あらためて地下鉄サリン事件の恐ろしさを実感させられる貴重なドキュメンタリー映像だ。
そして驚くことに、事件から13年が経過した2008年、アメリカ国防総省は、日本で拘置中の信者たちに直接コンタクトを取り、2011年までの3年間に渡ってインタビューを繰り返し、事件に関わった信者たちがどのようにして生物・化学兵器を開発したかという詳細な報告書をまとめた。そこには信者達の直筆スケッチを含めて、教団や事件に関する詳細が記載されている。
「オウム真理教:テロリストがどのように生物・化学兵器を開発したか」
(2011年アメリカ国防省年次報告書)
そして先日、冒頭の高橋容疑者逮捕のニュースは、アメリカでも大きく取り上げられた。事件発生から17年経った今でもアメリカをここまで震え上がらせている「地下鉄サリン事件」。なぜこのような陰惨な事件が私達の生まれた国・日本で起きてしまったのか。
リーダー不在国家 日本
冒頭の『TIME』の表紙の例、つまり1971年の昭和天皇以降1995年の麻原彰晃まで24年間、日本人で『TIME』の表紙になるほどの人物がいなかったことが物語る通り、今の日本には、国家を力強く牽引できるような「リーダー」がいない。そして国家のリーダーなき今、私たち日本人が無意識のうちにリーダーの代わりに崇めているのがおそらく「テレビ」ではないだろうか。私たちはテレビが流す情報はなんでも鵜呑みにして来た。ここ数年の「お笑いブーム」「韓流ブーム」も同様で、テレビが「流行っている」と言ったものは、何も疑うことなくみんなでそれに乗っかってきたのだ。
例えば過去10年間に流行した歌謡曲やCMソングを考えると、「だんご3兄弟」「ポリンキー」「スコーン」「バザールでござーる」「た~らこた~らこ」「ポーニョポーニョポニョ」「マル・マル・モリ・モリ」「ポポポポ~ン」「テテテテイネンピー」「ガリガリ君」など、何度も同じフレーズを繰り返すような、あきらかに子供向けで幼稚な作品ばかりだが、私たち大人が夢中になってきた。
でも、これらの「作品」の多くは、その裏に、これらの広告に大金を支払っているスポンサー企業の存在がある。そして、これらの「作品」は、例えば電通の佐藤雅彦氏、映画監督の宮崎駿氏、放送作家の秋元康氏のような「仕掛け人」たちが、お金儲けのために作った「仕掛け」なのだ。もしかしたら彼ら仕掛け人たちは例えば「アニメ」と「同じフレーズの繰り返し」には、見る側の判断力や思考力を低下・麻痺させて、商品の存在だけを脳に刷り込む抜群の効果があることを知っているのかもしれない。
私たちは、そんな作られた「ブーム」の背景に誰のどんな意図があるかなど考えることもなく、テレビが「いいね!」と言えば、みんなで「いいね!」といって国民総動員で乗っかり、あとは運命共同体でやってきた。簡単に言えば「仕掛け人」によるマーケティングが優れていれば、すべて発信者側の思うツボ。これは私達日本人にとって、もうどうにもならない性癖なのかもしれない。踊らされても楽しければそれでいいという意見もあるだろうけど、そんな性癖は一度身につくと条件反射になってしまうもの。
そして権力側にとってこんなに都合のいい話はないのだ。
例えば「国民の生活が第一」「政権交代」のようなもっともらしいキャッチコピーにも簡単に飛びつき、その政党が掲げるマニフェストの内容を自ら精査することもなく、国会中継で国会議員の生の発言を聞くこともなく、テレビが意図的に編集した映像を見て、何の専門知識もないワイドショーの「コメンテーター」の言葉にうなずいては、それを自分の意見だと思い込んでしまう。
テレビで見たその政党のイメージが良ければ、なんとなく支持してしまうわけだ。それは優秀なクリエイティブディレクターが、その政治家や政党の広告を手掛ければ、どんな政党でも政権を取れる世の中を意味する。
でも、ひとつの国家を構成する国民のあり方としてこんなに危険ことはない。
そこには既得権益によって癒着した政府とメディアの存在があり、全メディアの一極支配による世論操作を実現している大手広告代理店の存在がある。これは「一業種一社制」や「外国資本によるメディアへの参入規制」といった世界的な広告業界・メディア業界の常識を無視した日本固有の異常な体質に起因するものだ。しかし彼らが発信する情報に最終的な判断を下し、実際に投票をする権利を持っているのは、私たち国民ひとりひとりなのだ。
「投票」とは「契約」だ。その「契約書」(マニフェスト)を隅々まで読まずに、サインしてしまうのがいかに危険なことかは誰もが知るところのはずだ。その契約書の何枚目かの隅っこに小さな文字で書かれていることに、真実が隠されているものだ。「キャッチコピー」だけで全体を分かったような気分になってしまうのは危険なことなのだ。
聖徳太子のキャッチコピー
その「キャッチコピー」の元祖ともいえる聖徳太子の有名な言葉に「和を以て貴しとなす」というものがある。学校では端的に「みんな仲良くすることが大切」と教えられる。でも、十七条憲法の全体を読めば、この言葉の本来の意味は「人はみんな完璧ではないから、どのような相手であれ、相手を非難するのではなく、上のものも下のものも、柔軟な発想をもって、その違いを受け入れ、自由な議論をすることが出来れば、おのずと解決策が見えてくるものである」というものだと分かる。それが、時代を経た今では「自分の意見を主張するよりも、周囲と協調して全体に従うことが大切である」という「武士道」寄りの解釈で使わるようになっている。これは権力者側にとって都合の良い解釈とも言えるかもしれない。
こうして日本人は長い歴史の中で、権力側の目的のためなら自己を犠牲にしてでも、集団で従うことを「美徳」としてきた傾向がある。そこに個人の判断や意見は必要とされてこなかった。この日本人独特の習性、つまり自他分離のない国家的集団心理のメカニズムは、先の東日本大震災において「暴動も起こさず冷静に対応する日本人」の姿が世界から賞賛された面を持つと同時に、過去の日本国民全員が、大日本帝国政府のプロパガンダのもと太平洋戦争に突入していった面も同時に持ち合わせている。
麻原彰晃のプロパガンダ
麻原彰晃は、このような私達日本人の性癖をよく理解していたのではないだろうか。彼が15,400人もの信者を集めた「宗教プロパガンダ」は、上に挙げたような大手広告代理店のそれに匹敵する「広告マーケティング」の様な手法を巧みに利用したものだった。
例えば「ヨガ」。今でこそ日本でも若い女性をはじめ多くの人たちに支持されているが、その流行のもととなったアメリカでヨガが流行しはじめたのは今から14年も前のこと。1998年にマドンナが出演したテレビ番組でヨガを紹介したのがきっかけと言われている。その後、ロサンゼルスでも人気が高まり、サンタモニカにある有名なヨガ教室の前には、毎クラス100メートルを超える長蛇の列ができるほどだった。それでも当時の日本では、まだほとんどの人たちが「ヨガ=オウム真理教」という印象しか持っていなかった。当時、筆者がサンタモニカで初めて体験したヨガクラスの素晴らしさを日本の友達に伝えると、ことごとく全員に妙な宗教に入ったのではないかと心配されたものだった。ところが、そのマドンナよりもさらに14年も早い1984年には既に麻原彰晃は「ヨガ道場オウムの会」を設立し、当時若者の間で人気だった雑誌『ムー』に、あの有名な空中浮揚の写真とともに何度も広告を掲載していたのだ。
次に「ダライ・ラマ」。麻原彰晃は1987年に、ダライ・ラマ14世に対面して、自身と教団のイメージやステータスをあげることにも成功している。アメリカのメディアは、ダライ・ラマが麻原彰晃から200万ドル(約2億円)の金銭を受け取ったという報道もしているが、麻原がお布施という名の下に2億円の「広告費」支払って、ダライ・ラマ14世を教団のCMタレントとして雇ったことになる。のちに来日したダライ・ラマは、麻原の印象を聞かれて「宗教家というのは教えに従うものだが、彼は教えよりも自分自身と教団という権力に従わせることに夢中になっている。大変危険な存在であり、日本政府は何かをするべきである。」と発言している。
ヨガブーム、パワースポットブーム、チベットブームなど、今まさに「スピリチュアルブーム」が日本中に広がっているが、麻原は30年も前に、ヨガに始まる現在の「スピリチュアルブーム」の持つ影響力をほぼ全て私物化し、教団の宣伝のために思う存分利用出来ていたことになる。このようなブームの背景には、常に人々の社会や将来に対する「不安」や「迷い」があると言われるが、麻原はあの時代の人々の弱みにつけ込んだとも言えるのかもしれない。
日本テレビ「鶴太郎のテレもんじゃ」(1987年)出演時の映像
秋元康と麻原彰晃の類似点
それに先立って麻原は、様々な「販促ツール」をつくる。中でもマスコミの格好のネタになったのが、教団宣伝用アニメビデオ。さらに、アニメと合わせて、「そんしー、そんしー、そんしそんしそんしー♪」「しょしょしょしょしょしょしょしょーこー♪」などのフレーズで有名になった「尊師マーチ」や「麻原彰晃の歌」などの教団のテーマソングを作った。これはまさに、先に挙げた「アニメ」+「同じフレーズの繰り返し」と同じ手口によるものと言えるのではないだろうか。その内容やクオリティは一般的に見れば冷笑されるものではあったが、多くの信者たちが、実際にこれらに影響を受け、洗脳されていった事実は決して無視できるものではない。
「私はそんなモノに騙されるわけがない」と思うあなたも、ちょっと冷静に考えてみて欲しい。オウム信者とて、誰も洗脳されているとは思っていない。自分の選択だと思っている。私たちも普段当たり前に思っていることが実は第三者によるある種の洗脳の中にいることもありえない話ではない。
もし麻原彰晃がもっと狡猾で、自分の代わりに例えば今人気の韓流女優を教祖に立て、また上戸彩は無理だとしても、AKB48や少女時代らに「尊師マーチ」を歌わせ、アイドル信者たちが深夜のバラエティ番組で谷間を見せながらセクシーポーズを決めていたとしたらどうだろう。やがて「美人過ぎるオウム信者」にみんなが群がり、「アサハラズ・ブート・キャンプ」のビデオは飛ぶように売れ、最新型のパチンコ台「CRドキドキオウムガールズ~今日からあなたがグル~」が人気になり、秋葉原で開催される「AUM48」のファン感謝祭イベントに「信者」が集結…その頃には、オウム真理教の信者数は、ゆうに創価学会の規模を超えていたかもしれない。そう思うとゾッとするが、ある意味では秋元康の思うがままになっている今の日本なら少しもありえない話ではない。
ビートたけし(北野たけし)と麻原彰晃の対談
最後にビートたけし。その後、麻原はさらにメディアへの露出を増やしていくが、当時のメディアは、雑誌もテレビも一様にオウム真理教に対して好意的であり、高視聴率を取れる麻原を夢中で持ち上げた。それは、広告用語で言うところの「フリーパブリシティ」。オウム真理教にとっては広告費を支払う必要のない番組出演ばかりだった。そんな中でも衝撃だったのは1991年「TVタックル」でのビートたけしと麻原彰晃の対談だ。
テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」(1991年)麻原彰晃とビートたけしの対談
この対談で、ビートたけしは、自身が「ずっと会いたかった」麻原に自らの死生観を語る。注目すべきは対談の最後。麻原はたけしに対して「(たけしさんのようなひとは)あと何年かしたら全て捨ててしまうかもしれない」と言う。それに対してたけしは「(これまでも何年も周囲に言って来たが、自分は)5年後くらいに自殺すると思っている」と応じる。麻原は最後に「たけしさんはそれでは死なない。」と言い、それがテレビ的な「おいしいひと言」としてスタッフたちの笑い声にかき消されるように対談が終わる。そして、この対談の4年後、ビートたけしの自殺未遂とも言われたバイク事故が起きるのだ。しかし、その事故後、瀕死状態から生き延びたビートたけしが現在に至るまで活躍し続けている事実を考えれば、対談時の麻原が言った「(たけしさんは)全てを捨ててしまうが、死なない」という未来を完全に予想出来ていたと言える。
若き日の北野武とオウム真理教信者たち
「けれど、人生は皮肉だ。その死の恐怖を克服するために、俺が選んだ道は、一種の自殺だった。」「飛び降り自殺でもするような気分」「気持ちがふわーっと浮いたようになって、蛇に見つめられたカエルのように、その甘美な”自殺”のアイデアに魅入られていた。」「(自分が生きているという)快感といっても、かならずしも楽しい思いとは限らない。たとえ酷く苦しい体験だったとしても、自分が生きているということが味わえれば、それで良かった。」「苦しくてもなんでも、熱いほうの人生を選ぶ」「もう一回、人生をやり直せたとしても、やっぱりオレは、何億度という高温で燃える様な生き方を選ぶに決まってる」
一流大学出身の高学歴エリート集団とも言われたオウム真理教の信者たちの入信前の感覚は、この「自分が生きているという実感を味わうことが出来な」いまま「死ぬのが怖かった」という若い頃の北野武の感覚に近かったのかもしれない。そしてオウム真理教に入信することに「苦しくてもなんでも、熱いほうの人生」を見出してしまったのかもしれない。
一度「システム」から外れた人の心は危ういものだと思うけど、「システム」の中で守られた人には得られないもっと大きな可能性を秘める場合もある。それが「システム」の中の常識から見て良い方向に作用したのがビートたけしであって、悪い方向に作用したのがオウム真理教の信者たちなのではないか。きっとそこはほとんど紙一重でしかないのだと思う。
現代によみがえるオウム真理教
大切なのは、わたしたちが、自分ではない誰かや何かを神格化して追従してしまったり、身の回りの様々な問題をその誰かや何かに任せて「無関心」でいられる悪癖から卒業して、自分で解決する道を探す努力を始めることだ。溢れかえるような膨大な情報から真実を正しく読み解き、その過程で自分自身の考えを形成する能力を身に付けることだ。
それは「地下鉄サリン事件」に置き換えれば、これを過去の事件として風化させることなく、あのような事件を再び起さないために、起こさせないためにはどうすればいいのか、という問いに対する「答え」を導き出すということ。
なぜなら、いまオウム真理教が再び、地下鉄サリン事件を知らない若者層に拡大し、新しい信者が再び増加し続けているというのだ。2011年11月17日の公安調査庁の発表によると、一時は風前の灯と思われていたオウム真理教の信者数は、現在1500人にまで増えたという。彼らは団体名を隠してインターネットや大学などで若者に近づき、「ヨガ教室」に誘うなどの手口で勧誘するという。さらに同団体は事件以降禁じていた麻原彰晃の肖像画や修行法・教本の使用も2011年から復活し、オウム真理教の原点回帰が鮮明になっているという。
現在17歳の学生は、17年前の事件を知らないのだから無理もないと言えるだろうか。海外で出会う人たちはもっと自分の国にもその歴史や政治にも深い関心を持っている。それが自分の生活や将来を左右することを知っているからだ。でも、今の日本は「無関心大国」。それは、テレビをはじめとする「見えないリーダー」たちによって、私たちが何事にも「無関心」であるように仕向けられてきた結果なのかもしれない。「テレビ教」の盲目的な信者。でも人も国も、誰かに操られていたら、未来はないということにもう気づかなければ。