「見切れる」、という業界用語がある。本来なら「余計なものが中途半端に映り込む」ということだ。
僕はこれをしょっちゅう(意図的に)誤用して、「フレーム外に切れ気味になる」という意味で使う。
僕の絵作りは、この「見切れる」絵が非常に多い。
例えば女子高生が鞄を手に持っている。大概のアニメーターは、鞄まで入れたくてしょうがないから、フレームを広く取る。
しかし、僕はそんなのお構いなしに、中途半端なところで鞄を見切る。
理由は二つある。
まずは、キャラのサイズを大事にしたいからだ。
小物なんかにこだわってられない。その被写体に今、どの距離感で接するのが最適か、気分や想いを捉えられるか、それに専念するためだ。
つまり「綺麗な絵」にはしない。「芝居」や「情感」を優先するのだ。
それともう一つ、フレーム外にも世界がある、と意識させるためだ。
これができないアニメのレイアウトは本当多い。フレームの中に世界を完結させようとする。
おそらく絵画の世界でも、芸大・美大ではそう教えていることだろう。
だから、つまらない。ていうか窮屈だ。
アニメは特に、フレームの外にも世界があり、フレームの外にも人生がある。そう意識させないと、絵空事が際立ってしまうのだと、僕は考える。
師匠によく言われた。
「絵に騙されるな」。
僕はその言葉を、そう解釈した。
まぁ師匠も、窮屈な絵ばかり描いてたけどね!(笑)
僕はこれをしょっちゅう(意図的に)誤用して、「フレーム外に切れ気味になる」という意味で使う。
僕の絵作りは、この「見切れる」絵が非常に多い。
例えば女子高生が鞄を手に持っている。大概のアニメーターは、鞄まで入れたくてしょうがないから、フレームを広く取る。
しかし、僕はそんなのお構いなしに、中途半端なところで鞄を見切る。
理由は二つある。
まずは、キャラのサイズを大事にしたいからだ。
小物なんかにこだわってられない。その被写体に今、どの距離感で接するのが最適か、気分や想いを捉えられるか、それに専念するためだ。
つまり「綺麗な絵」にはしない。「芝居」や「情感」を優先するのだ。
それともう一つ、フレーム外にも世界がある、と意識させるためだ。
これができないアニメのレイアウトは本当多い。フレームの中に世界を完結させようとする。
おそらく絵画の世界でも、芸大・美大ではそう教えていることだろう。
だから、つまらない。ていうか窮屈だ。
アニメは特に、フレームの外にも世界があり、フレームの外にも人生がある。そう意識させないと、絵空事が際立ってしまうのだと、僕は考える。
師匠によく言われた。
「絵に騙されるな」。
僕はその言葉を、そう解釈した。
まぁ師匠も、窮屈な絵ばかり描いてたけどね!(笑)