河瀬 麻花さんの人生インタビューを最初から読む

祖母と猫の生活を守るために家業のパン屋を手伝う

卒業後も就職はせずに、日本でお金を貯めては長期で海外に出るバックパッカー生活を続けることにしました。やりたいことは見つかっていなかったのですが、サラリーマンになるのは嫌だと思っていたんです。また、私の学科では就職する人はほとんどいなかったこともあり、焦りはありませんでしたね。

ヨーロッパや中東、東南アジアなど色々な場所に行きましたが、その中でも24歳の時に初めて訪れたインドが衝撃的でした。人も動物も獣も同じ空間で暮らしているし、同じ地域にお金持ちも貧乏の人もいる。ガンジス川では身体を洗っている人がいると思えば、すぐ横には服を洗濯している人もいるし、死体だって流れている。

そんな混沌とした光景を見て、この世には常識なんて存在せず「何でもありなんだ」と実感できたんです。そして、自分の悩みなんて小さすぎて悩みですらないと気づけましたね。

旅をしてもやりたいことは見つかりませんでしたが、いつかは夢中になるものが見つかると考えていました。ただ、東京は生活費が高かったので、旅行のお金を効率良く貯めるために実家に戻り、名古屋の会社でOLとして働くようになりました。

そんな時、実家のパン工場の業績が思わしくないことを知りました。卸先企業が潰れてしまったり、契約を解消されてしまい、危機的な状況だったんです。しかし、実家には祖母と8匹の猫が住んでいました。

そこで、私はその生活を守るために、実家を手伝うことにしたんです。また、ちょうど東京でパン作りの修行を積んでいた弟も戻ってくることになり、ふたりで新しいことを始めようと考え、それまでは卸しかしていなかったパン工場の前にベーカリーカフェを作り、小売を始めることに決めました。

自分の責任でベーグル専門店としてリニューアル