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xyzxy888さん

2017/7/2910:53:12

南京事件について回答するのが馬鹿馬鹿しいといいながら、シツコク「アホ」回答を繰り返す「shpfiveさん」、まるで「突っ込んでくれ」といわんばかりの「大ボケ」をかますので突っ込んであげましょう(笑)


「日本語の解釈が間違っていると」何度も何度も指摘しているのにオウムのように同じ回答をするのは「学習能力がなさすぎ」です。



>日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など
>様々な推計がなされている

この解釈を

>犠牲者数については様々な議論があり、上記「日中歴史共同研究」の
>日本側論文では、上限で「20万人」、一番少ない数字として「2万人」
>が取り上げられています。

> 実は「なかった」、あるいは数百人などのきわめて少ない数字だった、
>という説は、相手にされていません。

としているのは間違い・・・というか小学生でもこんな解釈はしませんよ。

日本人のふりをするなら日本語をちゃんと勉強しましょう。


「日中歴史共同研究」について、日本側座長を務めていた東京大学名誉教授の北岡伸一氏は『「日中歴史共同研究」を振り返る』で、この報告書について以下のように述べている。

「南京事件について、日本軍の虐殺を認めたのはけしからんという批判がある。先述した通り、共同研究では南京事件にとくに時間をさいて議論してはいない。よく報告書を読んでもらえればわかるが、日本側は、日本側には犠牲者数について諸説あるということを紹介しているだけである」


犠牲者数に諸説があると紹介しているだけで「南京事件」を認めたわけでない言っていますねえ。

日本語をよくわかっていないレベルの低い人にとっては「虐殺」を認めたことになるんですね(笑)

>事件についての詳細は、ゆうさんの下記サイトもご参照いただけれ
>ばと思います。



あれあれ、「ゆうさん」のサイトって歴史学会の評価を受けた論文じゃありませんよねえ、言っていることが「支離滅裂」で無茶苦茶ですね



>具体的には、例えば「学術論文」等を日本学術会議に参加する
>「歴史学会」に提出して評価を受ける、などの方法が考えられます。


>いるのは日本国内の「自称」歴史学者だけ。
>(要するに歴史の学会で評価されていない人)
>この事実は変わらない。

自分だけが、そう思っているようですね。

日本語もまともにできないうえに「支離滅裂」なわけのわからないことを書く人ですから「事実認識」がまともにできないのでしょう。


立命館大学名誉教授の北村稔氏は、紛れもない歴史学者ですが

「諸君!」平成14(2002)年6月号で 「南京事件」ーー虚構の確認で

「筆者は、2001年11月に文春新書『「南京事件」の探求―その実像をもとめて』(以下、『「南京事件」の探求』)を出版し、「文字資料」に基づいて、日中戦争中の1937年12月から翌年の3月にかけて発生したとされる「南京事件」の実態を、「歴史学の基本原則と常識に基づいて」探究した。

その結果、第2次大戦終了後の南京と東京における連合国側の裁判で断罪された「南京大虐殺」は、日本の戦争犯罪を裁く中核にしようという政治目的により立ち上げられた虚構であったことが明らかになった。」

と書いて「南京事件」は虚構だと断じています。


いつもながら、「ウソデタラメ」を触れ回っていますね。

他にも歴史学者ではありませんが、

竹本忠雄(筑波大学名誉教授)・・・仏文学の第一人者でフランス政府より「文芸騎士勲章」を受勲している第一級の学者。

大原康男(国学院大学名誉教授)・・・宗教学者で国内第一人者。

このお二人が共同執筆された「再審「南京大虐殺」 世界に訴える日本の冤罪」なんかが参考になると思いますよ。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html

「ゆう」とやらの「便所の落書き」と違って、第一級の学者が書いた論文です。

「学問の権威」を振りかざすなら、まともな学者の論文を引用しないとね。

虐殺ガwwwwwwとわめいてるアホどもは「思い込みが激しい」「底抜けのバカ」か「宣伝目的の中国人」ですから、聞く耳を持たないと思いますよ。

南京事件について回答するのが馬鹿馬鹿しいといいながら、シツコク「アホ」回答を繰り返す「shpfiveさん」、まるで...

  • xyzxy888さん

    2017/07/2911:06:01

    「kouyouchinbutaiさん」は 「shpfiveさん」と互いにウソツキとののしりあう似た者どうしですが(笑)

    また、レベルの低いウソをふれまわっていますね。

    >1937年11月23日に南京市長が政府に出した報告書、
    >「調査によれば本市の人口は50万余、将来はおよそ
    >20万と予想される難民の為に食糧送付が必要」

    文章を改竄してはいけません。

    本当は、こう書かれている。

    「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。
    将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
    南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司)

    「現在」という文字を省いていますね。

    現在の人口が50万人であって将来は20万人と予測されるので、その分の食料を送ってほしいという要請の書簡ですね。


    ですから、日本軍は占領時の南京市の人口は「20万人」なんですよ。

    こういう「俺様解釈」で「おかしな言説」を振り回すお二人は「恥」というものを知らないのでしょうか。




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shpfiveさん

2017/7/2907:46:06

最近は「南京事件」関連の質問はなるべくスルーしているんですけど、あえて一言。

こういう「議論吹っ掛け」のための言いがかり質問、止めてくれないかな?

あなたは間違いなく「南京事件」のことについて何にも知らない。

知らないこと自体はおくとしても、自分自身の偏見を元に親日の中国人の方にくだらない言いがかりをつけても、私たち日本人の恥でしかないんだ。

面倒なんで、以下は過去回答からのコピペ。

1937年の日本軍による南京占領の際に、日本軍による少なくとも万の単位の中国軍人(捕虜、投降兵など)、民間人に対する「虐殺」が存在した、というのは、すでに史実として確定しています。

有名な事例としては「幕府山事件」と呼ばれる、第十三師団山田支隊による南京城北部で行われた、大量の投降兵(当時の公式発表で1万4千人余り)に対する「裁判抜きの大量処刑」があります。

この他にも、数多くの中小規模の「事件」の存在が知られており、いわゆる「南京事件」というのは、その総称です。

いわゆる「南京事件」の「否定派」の方々は、日本軍の公文書をはじめとする日本側史料、被害者側である中国側史料、第三者的存在である欧米諸国などの史料を、十分な根拠もないまま根こそぎ「否定」し、どうしても「否定しようのない事例」については、国際法上の「合法」を主張したりしていますが、専門家である「歴史学者」に、そうした主張を支持する方はいません。

一部の国際法学者による「合法説」も、当時の南京の実情について、きちんと検証がなされていないように思われます。

第一次安倍政権により着手された「日中歴史共同研究」では、日中双方の主張がそれぞれの学術論文としてまとめられ、PDFファイルによりネット上でも公開されています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html

日本語論文のPDFから一部抜粋。

>12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。翌13日、南京を占領した。

この間、中国政府高官は次々に南京を離れ、住民の多くも戦禍を逃れ市内に設置された南京国際安全区(「難民区」)に避難し、また、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた21。

国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。首都衛戍司令官に任命された唐生智は、当初は南京の死守方針であり、松井司令官の開城投降勧告を拒否したが、12月11日、蒋介石から撤退の指示を受けると、12日に各所の防衛指揮官に包囲突破による撤退を命じた22。
しかし、計画通り撤退できた部隊はわずかで、揚子江によって退路が塞がれ、中国軍は混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた23。

中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。
しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。

日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している


一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している25。

(引用終了)

犠牲者数については様々な議論があり、上記「日中歴史共同研究」の日本側論文では、上限で「20万人」、一番少ない数字として「2万人」が取り上げられています。

実は「なかった」、あるいは数百人などのきわめて少ない数字だった、という説は、相手にされていません。

犠牲者数について少なく見積もる研究者の代表は秦郁彦氏で約4万、大きく見積もる研究者の代表は笠原十九司氏で、10数万から約20万との見解です。

「仮にこの状況を覆すというなら歴史学界での検証に耐えうるだけの仮説を用意する必要があります。」

具体的には、例えば「学術論文」等を日本学術会議に参加する「歴史学会」に提出して評価を受ける、などの方法が考えられます。

それを実行する方はいないみたいですが。

「南京事件」については、様々な思惑により、史実を無視した見解が横行していますが、実際にはしかるべき大学の歴史学のゼミですら「事件はなかった」という主張は相手にされないのが現実です。

「南京事件」関連の写真には確かにおかしなものも存在しますが、同時代にマギー牧師が撮影したフィルムはもとより、村瀬守保氏、不動健治氏などの撮影した写真は本物と認定されています。

事件についての詳細は、ゆうさんの下記サイトもご参照いただければと思います。

「南京事件−日中戦争 小さな資料集」
http://www.geocities.jp/yu77799/

「事件はなかった」という主張は「俗説」です。

あなたが「同類」のような輩の回答をBAに選ぶなら、それでも構わないけれど

「南京事件」の存在を否定するまともな歴史学者は世界中探してもいない。

いるのは日本国内の「自称」歴史学者だけ。
(要するに歴史の学会で評価されていない人)

この事実は変わらない。

  • shpfiveさん

    2017/07/2912:27:49

    早速、xyzxy888なるネットストーカーが嘘と誹謗中傷にまみれた「回答」をつけています。

    個別にこいつの嘘を指摘してもいいんですけど… 

    まずは質問者さんの考えを聞きたい。

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2017/7/2905:37:35

相変わらずレベルの低い回答がありますね(笑)。南京大虐殺と広島の原爆??広島は日本国内の短時間での出来事。南京は日本軍が8年間も占領して証拠になるものは徹底的に廃却。その間に中国サイドの調査を許すわけが無い。中学生にでも分かる常識です。

それはともかく、別に中国の人に聞かなくても当時の大日本帝国の将軍たち、実戦に参加した日本軍の兵士、日本から行っていた従軍記者などの記録、証言があります。

「否定派」はそれすらウソだと言いますが、まあいいでしょう。どうぞ御自由に。この話題は何度も出てくるので回答も同じ様なものになりますが悪しからず。

大虐殺否定派の一番好きなウソが「人口20万の南京で30万殺せない」です。南京の人口20万という記録は存在しない。南京戦直前の人口に関し信頼出来る唯一の資料は1937年11月23日に南京市長が政府に出した報告書、「調査によれば本市の人口は50万余、将来はおよそ20万と予想される難民の為に食糧送付が必要」、と。

南京戦の前なので南京市長がウソをつく必要はない。20万は人口ではなく、戦争の為に流入してくる事が予想される難民の数です。南京安全区国際委員会のラーべ委員長(ナチス党員)もそう書いている。

その50万+南京守備の中国軍10万~13万=約60万。30万殺そうと思えば殺せた。正確な数は分かりません。日本軍は南京を8年間占領。その間に証拠になるものは徹底的に廃却。戦争が終わった時にも軍は大量の資料を焼却。

しかしわずかに残っている資料だけでも南京で日本軍による残虐行為があった事は明白です。普通なら「大日本帝国の天皇陛下の軍隊がそんな事をするはずがない」ともみ消してしまうのですが、よほどひどかったのでしょうね。当時の陸軍の将軍、南京攻略戦に参加した兵士、従軍記者の証言、報告書、従軍日誌から少し御紹介しましょう。

日本軍が南京攻略で行った大規模な残虐行為は現地にいた外国人記者によって世界に報道され大きな反響を呼びました。日本では軍の報道規制の為に国民が実態を知るのは戦争が終わってからです。

南京攻略軍総司令官・松井石根大将、東京裁判で死刑直前のコメント
「南京事件はお恥ずかしい限りです。私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまったと。ところが、あとでみなが笑った。或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえ言った。従って、私だけでもこういう結果になるという事は(注:死刑の事)、当時の軍人達に一人でも多く深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」

軍司令官、師団長として戦った澄田睞四郎中将の回想
「日本軍は事変の出だしから隠れもないあの南京虐殺事件は論外としても、残念ながら略奪、放火、殺人、強姦などあらゆる悪行のし放題と言ってよい」

陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ
「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪絶えず」「婦人方面、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」

第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将)
「南京攻略時において約四、五万に上がる大殺戮、市民に対する掠奪強姦多数ありし事は事実なるが如し」

中島今朝吾第十六師団長の従軍日誌
「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約千三百」(処理は軍隊用語で虐殺=国際法違反)

山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」

第十六師団・小原主計少尉の日記
「およそ310名の正規軍を捕虜にしたので見に行った、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す。中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っ込む」

歩兵第66連隊第一大隊戦闘詳報(日本軍の正式報告書)
「旅団命令により捕虜は全部殺すべし」

第十六師団 歩兵第30旅団長・佐々木到一少将の日記
「俘虜続々投降し来たり数千に達す。激昂せる兵は上官の制止を聞かばこそ、片はしより殺戮する」

外務省東亜局長・石射猪太郎日記(1938年1月6日)
「上海からの来信、南京における我が軍の暴状を詳報し来る。略奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。ああこれが皇軍か」

都城第23連隊兵士の日記
「今日もまた罪もないニーヤ(中国人の蔑称)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのだが、まるで犬や猫を殺すくらいのものだ」

第十軍嘱託カメラマン河野公輝の話
「銃剣で刺すなんて生易しいものではなく、棍棒でぶっ殺す。バクッと叩くと血がぶあーっと噴き出してね。蘇州の女というのがまたきれいでね。兵隊は手当たり次第に強姦して、やったあとは殺していたな」「川沿いに女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から道端に延々とそういう死体がころがっていた」

同盟通信社・新井正義記者
「校舎の一角に収容してある捕虜を校庭に引き出し、下士官がそれを前方の防空壕の方へ走らせる。待ち構えた兵隊が銃剣で背後から突く。悲鳴をあげて壕に転げ落ちると、更に上からとどめをさす。それを三ヶ所で平行してやっていた。壕の中には鮮血でまみれた死体が重なっていく。交代で突き刺す側の兵隊も蒼白な顔をしている」

中国従軍の近藤一氏の証言(TBS・TVインタビュー。)
「幼児を連れた女を捕まえた。逃げない様に裸にして首に縄をつけて連れて行った。夜になるとみんなで強姦。幼児が泣いてうるさいので谷底に投げ込んだら、泣き叫んだ女があとを追って谷底へ飛び込んだ」

第16師団歩兵第33連隊第2大隊井上益男
「南京の手前で、中隊長が南京に入ったら強盗、強姦、殺人を許す、と命令を出したのを聞いた」

南京野戦郵便局長・佐々木元勝の従軍日誌
「中山門を入る前、武装解除された支那兵の大群に遇う、、、七千二百名とかで、一挙に殺す名案を考究中だと、引率の将校が話した」

陸軍省兵務局長・田中隆吉少将回顧録
「方面軍司令部の長勇(ちょう・いさむ)中佐は約30万の中国兵捕虜を「皆殺し」にすべしという命令を無断で軍司令官の名で各部隊に伝達した、と威張っていた」

静岡民友新聞の従軍記者・片山兵二氏の日記(南京陥落後の見聞)
「中華門付近のシナ人街を視察。商店もまばらに開いているが、軍人や日本人の顔を見るとすばやく奥へ逃げ込む。特に若い娘らの逃げ足の早い事には感心する」

南京攻略軍総司令官・松井石根大将の日記(1938年2月6日)
「支那人民のわが軍に対する恐怖心去らず」
(注:南京占領後2ヶ月経ってもこの有様です)

昭和天皇の弟・三笠宮(陸軍士官学校出身)の自伝
「私は支那派遣軍参謀に補せられ南京の総司令部に赴任、一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。ここではごくわずかしか例をあげられませんがそれは氷山の一角に過ぎないものとお考え下さい、、、」

陸軍将校の親睦団体である偕行社も南京で大虐殺が行なわれた事を認め、謝罪しました。武士らしい潔い態度ですね。

ちなみに、南京安全区国際委員会が日本軍に感謝状を送ったという事実はありません。安全区を侵さないでくれと言う依頼はしましたが無視された。

2017/7/2821:48:58

ま、中国の、嘘教育は普通常識だからね。
知ってても、中国では、「もの言えば唇寒し、秋の風」政府批判なんて、言えない人の方が多いと聞いたけどな。

矛盾点を上げて、自分で調べたら?y765094125さんよ。
中国の建国日から、調べてみてよ、すでに、時系列が矛盾だらけだから、それと、天安門事件て知ってますか?

wai_wai_440さん

2017/7/2821:30:45

南京大虐殺が事実だと言うなら、なぜ殺された人の名簿が無いのでしょうか?....広島の原爆では、資料がすべて灰になっても、亡くなった人の名簿はちゃんと作られています、口だけで殺された人が20万〜30万と言っても世界は信用しません。

嘘がバレバレですね。

runa_3_jpさん

2017/7/2819:46:21

少なくとも、遺体や遺骨が無い限り
殺人事件の捜査すら出来ないのが、現行法。

南京事件では、(欧米の研究者の調査で)遺体や遺骨が全く出て来ず
現在でも、遺体や遺骨が見つかっていません。
しかも、中国政府の戸籍上、南京事件前後で、居なくなった者は、殆ど居ません。

その状態で、「虐殺があったハズだ」と主張する【物証】は何???



「あった」と主張する【自称】学者さんは
南京での現地調査をした者が、誰一人として居ません。
現場に行った事も無く、【想像】だけで論議している者は
学者扱いしてはダメでしょ?
「これだけの物証から、こう判断した」と論理的な話が必要なのであって
「過去の中国人の戦闘では、これだけの民間被害が出たので、これだけの被害者が出たハズだ」との【推測】しか出せないのに・・・

2017/7/2819:43:07

反日は商売になるので存在しますね。
朝日新聞の存在がそうであるように。
いつの日か、日本人はスキャンダラスな刺激が好きになりました。
慰安婦や南京は、まさにスキャンダル「記事」にすぎず、現実の正反対ということです。

質問に沿って答えますと、南京事件での日本軍による蛮行とされる写真などは、
今で言う中国という地域に住む方々の蛮行でありました。
自分らのやったことなので写真は豊富にあるんですね。
それを、日本軍がやったと捏造したわけです。

macpapa10さん

2017/7/2819:38:25

>南京大虐殺が事実だと言う丁寧に書かれたもの

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