藤原紀香さんが特定秘密保護法案(特定秘密保全法案という報道もある)に対して懸念を呈していた。
公式サイトでだ。
この法案は砕けて説明すると、国にとって特に重要な情報、すなわち「特別秘密」の指定を政府自体が判断して実施し、それを保護するというもの。
バラしたり、その情報を入手して暴露したり、報道すること、すなわち違反者は処罰対象となり、報道規制も今より厳しくなる。
権力はますます野放しになり、国民にとって重要な真実は永遠に闇の中に葬られ、真実をネットに書けば逮捕される…そういう憂慮は当然である。
残念ながら国民的な関心はイマイチであるが、実は非常に危ない代物だと自分も思った。
国民が真実を知る権利を剥奪されて、政府に批判的な報道もできない、真実を暴露するとタイホされてしまう。
まさに「1984」のセカイではなかろうか。
超管理、もとい監視社会の到来である。
権力者が全てを仕切ってしまうというファシズム国家の再来である。
向かうべき方向は何となく想像できる。
公にどんぱちができる国への変貌だ。
そもそも権力者って、自分に都合の悪いことについては平気で事実を捻じ曲げるヒトたち..というイメージが根深い。
というか、事実そうなんだろう。
恥ずかしながら、今までこういう法案が国会に出されそうになっていることを自分は知らなかった。
藤原さんはこの法案が「国民の知る権利」を侵害してしまうのではないかと書いていた。
まったくその通りだと思う。
繰り返すが非常に怖いことだ。
だがその勇気ある発言に対してかなり非難や批判が寄せられているそうだ。
例えば「売名行為だ」「たかがグラビア風情で」「キャスター転進への布石か?」などである。
真意は藪の中ではある。
一概に肯定も否定もできない。
それはご本人の胸の中にあることだからだ。
神戸のお嬢さんタレントが知ったかぶって物を言うなというやっかみは確かにあると思うし、それを頭ごなしに否定はできない。
だがしかし、いかなる立場や境遇の、誰が発言しようと、この問題提起自身は非常に重要で意義のあることだと思う。
例えば、「メルトダウン」を秘密保護されては困る。
ナイショの軍事演習をそうされても困る。
「いじめ」「自衛隊や警察の不祥事」「健康被害を及ぼす農薬についての情報」「セクハラ、パワハラの実態」「ブラック企業への取り組み」...
当然のことである。
この「秘密」を「保護する」という言葉の持つイメージや感覚からして、まず生理的に受け付けない。
「ヒミツ」..いやらしい言葉である。
そんなものを保護するのであれば、まずは法によってヘイトスピーチを制限すべきなのではないのかと思う。
あんなにゲスで、どうしようもないものはない。
必然として規制してしまえばいいようなものだ。
蔑視感や差別心なんかは、ヒトである限り、心の中に誰しもが持っているものだと思うのだが、それを公然の場で垂れ流すなと思う。
恥ずかしくないのだろうか?
人間としてのプライドとかはないのだろうか?
理性でそれを抑制するのが人間なのではないのか。
根底には貧困問題とかがあるのだろう。
鬱憤が充満しているのは自分も日々感じることだ。
今、ネットをトリガーにして社会全体が良くない方向へと、急激に舵を切り出しているのだろうと思う。
しかし、本来規制すべきものを野放しにして、逆に秘密として保護すべきではないものを闇に葬ろうとしているこの状況は、ますます火に油を注ぐような気がする。
本末転倒とはこのことであろう。
藤原さんのブログの文面は、当然ご本人が書かれたものだと信用したい。
信用するということが前提なのだが、この文面や文章を見る限り、彼女の人柄が良く表れているような気がして、自分はやまない。
第一、こういう発言をすることって、タレント活動をやめざるを得ないこととほぼ同義なのではないのか?
素直に讃えたい。
追記へ続く