平安時代の邸宅跡発見=過去最大級、有力貴族か-京都市


うーん、やはり邸宅「跡」か。
まるまま現存しないのね。

これも何度か語っているが、『AIR』の#8を担当した時、滅多にない「時代劇」だから、もう徹底的に調べよう!と、ありとあらゆる資料を漁った。
スタジオの近くにある源氏物語ミュージアムからも大量の資料をもらった。

しかし、調べるにつれ、さすがに平安時代、残っている「一次史料」がほとんどない。
しまいには、関西大学の教授の論文だと記憶するが、「寝殿造はなかった!」という文章を見つけて、唖然となった。

「寝殿造」と呼ばれる建築物は、今なぜかどこにも存在しない。一軒もない。だからフィクションなのだ。後世の貴族・華族達が見栄を張って、嘘をついたのだ!と。

これには参ってしまって、じゃあどうすりゃええんや!と、丸一日悩んだ。

悩んだ結果、それを信じちゃあ平安時代の雰囲気が出せないから、「ある」という前提で、『源氏物語絵巻』などを一次史料として、丁寧に調べ上げた。
瓦は仏教と共に伝来し、寺院と共に普及していったので、当時の屋根は板葺きだった、とかね。
塀の種類とか、装束のTPOによる着こなし方とかね。

今となっては大分忘れてしまったが、あの一話だけで平安期の忠実な映像化には随分肉薄できたと自負する。


ていうか、昔からこういうの、楽しいんだよね。凝り性というか。
その気性が今の『薄暮』にも反映されている。