「しこしこ」と、「もっこり」について、ちょっと考えてみたい。手短に。主に語源の推定である。理由はおしまいに述べる。
しこしこ
説A
- 麺などの「こし」のしっかりしていること(こしごし)。「しこしことした歯ごたえ」。いづれの御時にかks→sk転換の起きけむ。
説B
- しこしこ→しこ+しこ
- しこ→こし→こする
- こする→する
遡行すると上のようになるが、時系列では、これの逆が起こったか。つまり、太古に「擦(ル)」という基本動詞があり、それに接頭語「こ」が付き(たとえば、練る/こねる、踊る/小躍りする、などを想起されたい。ニュアンスは「ちょっと」「(小)手(元)で」)、オノマトペ「こしこし」「ごしごし」が発生して、これが後世に逆転/ksがskに転換し「しこしこ」となったか。
ただ、注意が必要なのは、岩波古語辞典P.619に曰く、
しこしこ:むやみにするさま。やたら。「(略)云ひ侍る人をばしこしこ痛め」≪仮・童蒙先習上≫
とあること。「言上する人のことをやたらと攻撃して」くらい。
参考まで、岩波古語辞典の引く出典は、1541年に李朝で世に出された中国朝鮮の歴史入門書。これの仮名草子。江戸時代に仮名交じりの日本語に訳されたもの、くらいに思っていただけたら。
腰を入れてしっかり。むやみ、やたら。うーん。微妙だ。
ちなみに、北関東には「しこってる」で調子に乗っている、の意味で通用する地域がある。あった。先輩「てめえ、しこってんじゃねえ」後輩「いえ、しこってません」。
はい、次。
もっこり
これは、自説がある。定説の「もっこ」(おんぶもっこ)起源説は、僕は採らない。
持ち+籠=もちこ→促音便→もっこ。わるくなさそうなんだけど、もっこりは、どちらかというと、運ぶ(持つ)ときというより、持ち籠から土を平らな地面に落とした後のさまでしょう。ちょっと親和しない気がする。負ぶさった外形は確かにいかにも「もっこ」という姿なんだけどね。
理由はほかにもある。それは、「こんもり」という言葉(木が林や森を形成して全体が遠目に丸く盛り上がっているさま)。モとコの複合語ぢやないのか。ただ、並びは盛ってから凝る、かな。あるいは盛りながら、凝る。
そうして、盛るは森や杜にも通じる。水平面までを並み、それを上回った状態を盛りとわれわれは呼びならわす。ご飯茶碗の山盛りのあれである。あるいは古墳。盛り土をする。
凝るは、肩こり、なんてところに息づいていますね。岩波古語辞典にも、ほら、
液体など、流動性をもって定まらないものが、寄り固まって一体となる意。
(P.527)と、我が意を得たり。
今朝、私は甘夏さん(id:amanatusauce)から、前の晩に青い★を付けて差し上げたお礼をいわれ、うれしくなった。甘夏さんが「にっこり」とおっしゃったので、僕は腕立て伏せをして力こぶを作り「もっこり」と韻を踏んで返した。そう、ガッツポーズだ。
そして男子当然の願いとして、もっと強くなりたいと思ったので、マストドン(www.nekotodon.com - Mastodon)のほうで甘夏さんにノックをお願いした。
くーちゃん @nekokurumihime
甘夏さん僕をしごいてください!
すると、何たること、サイババに夢中(目がない)とかいうインターネット初心者(id:netcraft3)から、いわれのない誹謗中傷を受けたのである。
サイバーメガネ @miraihack
鯖菅さんがマストドンでもセクハラしている件w
諸君、覚えておいてほしい。もちろん、直接にも文句をいったのだが、我が心の内にわいせつ/セクシュアルがあるから、世界もまたわいせつ/セクシュアルだと思ってしまうのだ。汚れているのは、サングラスの奥の我が心である。私の中の三島由紀夫がそう強く主張している。
したがって、断乎、戦う。ちなみに、断固の固は代用字といって、漢文由来の乎が正統である。断は決断の断。決める。乎は感嘆。だから、断乎は、強い決意を表すことになる。池波正太郎の「鋭ッ」みたいな感じだ(それはいいすぎ)。
(甘夏さん、申し訳ございませんでしたw)