別れの持つ、狂おしいほどの愛おしさを理解することが格好のいい大人になる第一歩だと思う。「大人の流儀7さよならの力」《リーディング・ハイ》
記事:増木啓介(リーディング・ライティング講座)
「さよなら、だけが人生だ」
どこで聞いたのか? それすら思い出せない。
しかし、私の心の奥底に残り続け、ずっと消えることのない言葉の一つだ。
実際、そうだと思っていた。この言葉は正しいと。
別れを覚悟せずに生きてはいけないというか。
どれだけ仲が良くなろうと、「さよならをする日」は必ずやってくる。
だからか私には、仲が良い人との別れを意識する節がある。
異性を意識しすぎるあまり、変なことをした経験のある人は少なくはないと思う。
僕自身も、別れを意識しすぎるあまり、変なことをしてきた自覚がある。
例えば、ある飲み会のこと。
その日の会は、特別楽しいという訳でもなかった。
それなら普通の人の思考は、「長くても終電で帰ろう」だと思う。
しかし自分は、それが出来なかった。折角、いれるなら長くいようとしてしまう。
しかも終電がすぎてもい続け、あげく会が終わる時。本当に帰れるの? と言われると、心配させまいとして「帰れるから大丈夫だよ」そう言っていた。
それが、健康的な付き合い方でないことには、分かっている自分もいた。
だけど、どうしていいか分からなかった。
別れは必ずくる。なら、それまでの時間をどう使えばいいのか?
どうしたら、別れと向き合えるのだろうか?
なにもかも分からないから、普段は考えないようにしてきた。
しかし、ふと。
この事実に目が行って立ち止まる季節がある。
「そう、ず~っと、そうしてきたんだよな」と。
それは決まって、この時期だ。
冬と春の境に、僕の心は春眠に誘われてか、まどろんでいく。
それがお決まりだった。
でも答えはでずに、夏へとむかっていくのだった。
これから書くのは、お決まりの始まりと。
唐突につげた終わりの物語だ。
春。それは。
新しい生活に、出会いに、胸躍らせる人が多い。らしい。
しかし私にとっての、春とは。
『別離』という、この世界、最大の理不尽を味わった季節だ。
だから、僕にとって春とは待ち遠しいものではなく、この世が理不尽であることを否応なく思い出す。果ての分からない痛みを伴う季節になっていた。
そうなったのは、中2の春のこと。
桜が散って、新芽が芽吹き始めた、ある日、朝のHRの終わり際に訪れた。
突然、教師がドアを開けて、担任を呼んで何かを耳打ちし始めた。
自分には聞こえた気がした。「母が死んだのだ」と。
実際、そうだった。家に帰りなさいと担任に言われ、言われるがままに僕は家に帰った。
涙を流さなかったことを覚えている。
普段の僕は泣き虫だ。だから、普段と違うから、覚えているのだろう。
泣かなかった理由も、おぼろげに覚えている。
「あなたのお母さんが亡くなりました」そう言われる日が来ることを自覚していたからだった。
母の死因は大腸ガンだ。
入院した時には末期で、すでに転移が始まっていたらしい。
よくある話だ。だけど、同じ別れはきっとないから。
だから、少しだけ。僕の話に付き合ってほしい。
母が入院したのは、確か、亡くなる前の年の夏のことだ。
ずっと母は、便秘がひどいと言い張って寝込んでいたが、あまりにも痛がるので父が病院に連れていった。
そして、そのまま入院が決まった。
最初は入院の理由を隠していたが、手術すると決まった時だったろうか。
大腸ガンだということを知った。
手術の結果を聞いた記憶はないが、かんばしくないのだろうと子供ながらに思った。
日に日に、姿を変える母が、そう思わせた。
思いが確信に変わったのは母が個室に移った時だ。
周りの病人たちに死を意識させないようにと、隔離されたように感じたのだろう。
そして、個室に移ってどれだけの月日がたったかは覚えていないが。
母は昏睡状態に陥った。
忘れもしない。その時に、私は母はもう助からないと悟った。
近いうちに、死んでしまうのだと。
そして、本当になってしまった。
なってから、一つの思いが自分の中に渦巻き始める。
「もしかしたら、自分が諦めたから。だから母死んだのではないか?」
思違いもはなはだしいのは、充分承知している。
しかし、当時は真剣そのものだった。
真剣に考えて、出した結論は。
罪人は罪を償うまで、許されてはいけない。
だから、僕は自分を責めることにした。
母が死んだのは、助からないと諦めたお前のせいだと。
それから、10年以上もの間、僕は傷をえぐり続けてきた。
それが、間違ったことと分かっていても。
死んだ母が喜ばないことだろうとしても。
自分が罪人でいる実感、それを持っている間は、母を忘れずにいられると思っていた。
だから、春の訪れる匂いは格好の機会なのだ。
もうすぐ、お前の最愛の人を殺す時期が近いぞ。
ということを、五感を総動員して味わえるからだ。
そんなことを、人知れず続けてきた。
10ん円以上変わらずにだ。
それが、今年は違った。
雪が降るかも、そんな話が出た日のことだ。
昼過ぎになっても吐く息は白く。手足が寒さに震える、そんな日。
仕事の帰り道に、海辺近くの大きな川を繋ぐ橋を渡った。
渡っている最中に、ふと雲の姿が目に入る。
東京にしては珍しく、空は広く移った。倉庫が立ち並ぶような場所だからだなと思った。
雲が、夕暮れのオレンジに染まっている。その姿に見惚れてか、私の足は止まり、そして。
「春は、必ずやってくる。もう少しの辛抱だ」そう思った。
辛抱という言葉が出たことに、私は驚いた。
春が来てほしい。そう願っている自分がいなければ、こんな言葉は出てこない。
そして、その言葉の意味を教えてくれたのが、他でもなく。
伊集院静という作家なのだ。
彼の言葉にいつしか、影響されていたんだ。
笑みがこぼれて、また家へと向かって、私は歩き始めた。
いつか、彼と会える日が来るとしたら。
私は、別れの持つ力を、酒を飲みながら話してみたい。
………
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