モスクワからマニラ、北京からブダペスト、アンカラからデリーに至るまで、国家主義の「ストロングマン(強権的な指導者)」が再び流行している。もし米国が共和党候補のドナルド・トランプ氏を大統領に選んだら、国際的な流行を追いかけているのであって、先頭で引っ張っているわけではない。
ストロングマンに魅了される流れは、独裁的な国と民主主義国の双方に広がっている。中国は10月末、習近平国家主席が今や共産党指導部の「核心」だと発表したとき、個人独裁に向かう危険な道をさらに一歩踏み出した。「核心」というのは、毛沢東主義のニュアンスを帯びた肩書だ。
その習氏は先日、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領をもてなした。ドゥテルテ氏は選挙を経て権力を握ったが、威張り散らすスタイルと法を軽んじる態度は、新しいタイプの独裁者に典型的な特徴だ。世界の強権的指導者たちの「守護聖人」は、そのワンマン支配がまだ民主主義の外見的特徴を多少備えている、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領である。
民主主義の形式と独裁の現実を織り交ぜた同じ体制は、ほかの強権的指導者も披露している。その一人はトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領であり、程度はましだが、ハンガリーのオルバン・ビクトル首相だ。このほか、まだ正真正銘の民主主義体制の枠内で活動しているものの、その政治的アピールは、国家主義をはっきり帯びた毅然としたリーダーシップというイメージを基盤としている強権的指導者がいる。インドのナレンドラ・モディ首相や日本の安倍晋三首相などだ。
憂慮すべきことに、トランプ氏の政治スタイルは、プーチン、エルドアン両大統領といった最も独裁的なストロングマンと一番共通点が多い。
ロシアとトルコの指導者が描く外の世界は、自国に対して陰謀を企てる敵対勢力に満ちた場所だ。また彼らは、往々にして外部の敵と協力しているとされる「内なる敵」を引き合いに出す。プーチン氏とエルドアン氏は、習氏と同じように、外国人から受けた過去の屈辱を晴らす「国家の復興」を率いることも約束している。
■トランプ氏、ストロングマンと共通する特徴
トランプ氏は驚くほどよく似た政治物語を採用した。国家主義と自己憐憫(れんびん)、陰謀論、国家再生の約束という同じ要素を含むストーリーだ。トランプ氏はこう主張する――世界は米国を笑っている、米国内の自分の敵は外国のロビイストとぐるになっている、だが自分は「米国を再び偉大にする」と。
トランプ氏はさらに、米制度全体が腐敗していると断じ「泥沼を一掃する」と約束している。腐敗したエリートを統制するという、この(概してシニカルな)約束は、新たなストロングマンに共通する特徴だ。プーチン氏はロシアのオリガルヒ(新興財閥)を相手に、芝居がかった衝突を演出してみせた。習氏は猛烈な反腐敗運動に乗り出した。
程度の差こそあれ、こうした強権的指導者は皆、個人崇拝を促してきた。近年、中国では、習氏を賛美する流行歌が次々生まれた。ロシアのメディアは、さまざまなマッチョなポーズを取るプーチン氏の姿を紹介してきた。