創価ダメ出しブログの考察②
数日前、このブログに書き込みをしたが、このブログに群がってきて出入りしている連中の数々の""えげつない横レス""には辟易した。私のブログにもそのお仲間とおぼしき人物が数名コメントを入れてきたが、最低限のマナーさえ知らない。まあ、宗門のトップが狂っているんだから、仕方がない。
「本尊義を示せ」云々いう前に、
『一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候けるぞ』P1174
という御書の通りの実践をしろといいたい。
不軽菩薩はすべての人に仏性がそなわっているといって、あらゆる人に礼拝していった。しかし、このブログの管理人は不軽菩薩とは対極で『あなた方程度の教学力では』と平気でひとを見下す。こんな輩は、いかに教学があろうと大聖人の崇高なご精神とはかけ離れているということがわかる。
「学会員を目覚めさせるため」などと大義名分?を掲げているが、たんに学会を追放になった恨み言をダラダラと書きつらねたいだけであろう。
『同時中継という公の場で、法華講のトップの役職にある人間が公然と宗門や法主を批判した』
今さら述べることでもないが「出所不明」の改ざんテープをもとに、「お尋ね文書」と称して言いがかりをつけてきた宗門側に対し、学会側は直接話し合いをしようとするが宗門側はこれを拒否。
阿部日顕に関しては、福島、藤原、大橋ら退転・反逆者の陰謀にまんまと踊らされた感もあり、「福島に3000人」「藤原に6000人」くらいの脱会者が本山につくといった内容も話されていたようである。前法主の短気でわがままな幼児性に目をつけた「大魔がつきたる者ども」が群がってきたのだろう。
退転者の本質を大聖人はこのように仰せである。
『をくびやう物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者ども』P1191
(臆病で、求道心がなく、欲がふかく、疑い深い者たち)